二
八-二
トポスはこの作戦を卑劣だと思っているが、リュウビが辛い気持ちを乗り越え、実行を決意した最後の手段だ。こんな哀しい役目は二度とゴメンなので、何としても成功せねばならない。
海底で待機していたタコ十頭が、一斉に海面へ向かう。
「踊子が乗っているのは、どちらの船だ。」
上空から監視しているカモメのジョイに、トポスがたずねた。
「右側の方が、そうです。」
「え、右と言われても。」
下から見ているので、どちらか分からない。欲しい標本は、もてなし役の子供達と世話人なので、絶対に間違ってはいけない。
「船の進行方向に向いて、右側ですよ。」
「分かった。ジョイさんありがとう。」
まだ一抹の不安があるトポスは、念のため花見の二隻から離れた後方へ移動し、そっと海面に出た。確かに右側の船には、艶やかな衣裳を纏った踊子達が、唐傘を手に舞を披露している。左の船は侍達が酒盛り中だ。
「間違いない、右の船底に粘液を塗り付けろ。」
十頭のタコは船の真下から近付き、船底の中央部にモックの粘液を、たっぷり塗り付ける。
「塗り終えました。退去します。」
タコの報告はリュウビにも伝わった。とまどいを見せたリュウビは意を決し、金色の目をカッと見開いて、口から白い物体を三度にわたって吐いた。
細長い三本の白い筋は、そびえる屋敷を猛スピードで飛び越え、海の闇に消えた。
「暁鯛のみならず、魚族全体の未来のためです。」
軽やかな笛や太鼓の音に包まれた演舞を、領主や家臣が三丈ほど離れた屋形船から、酒を酌み交わしつつ眺めている。
まだ少し冷気を残すそよ風が、ほろ酔いに心地よいのか、どの顔もニコニコとして楽しげだ。波は穏やかで、山手から飛んで来たであろう桜の花びらが、ポツポツと海面を漂う。
演舞船の底がドンドンと異様な衝撃を受けた。だが世話役は、揺れを感じなかったので、気に止める様子もなく舞台に見とれている。
踊り子十人が舞い終ると、舞台の袖で待機していた十人が、入れ代わりに舞台へ上がろうとした、その時である。
待機場の床がメキメキと音をきしませ、足もとに海水が湧き上がった。驚いた踊子達は、舞台の裏へゾロゾロと避難する。
船尾の漕手と世話役の五人が、海水に気付いて立ち上がった時、舞台の下でバキバキッと鋭い大きな音がして底板がめくれ上がり、海水が腰の高さまで勢いよく噴き上がった。
浸水は船尾へ流れ、船は船尾から沈んでいく。その反動で船首は天空を指す。
踊子達は声も出せず、舞台の欄干や土台、舳先にしがみ付いている。
船尾には、多数の荷物が積まれて重く、船首に踊子達が集まったため、船の前方と後方に強い荷重がかかる。その状態で板が割れ、弱くなった船の中央部から、木の枝のように船が折れた。
天空を指していた船首は、船尾と離れて海面に突き刺さり、船首の子供達は悲鳴と共に海に投げ出される。
しぶきが六丈離れた屋形船に降りかかった。後を追うように波が屋形船を、左右に揺さぶる。
予期しない事態に、屋形船の領主や家臣たちは目を疑い、うろたえて声も出ず、海を指さすばかり。我に還った家臣が救助のために海へ飛び込むと、続いて数人が次々と後を追う。
離れた場所で警護していた軍船が屋形船に横付けし、領主とその家族を保護して港へ急いだ。他の三艇が、海に投げ出された子供達や、世話役の救助に当たる。
子供達は、家臣や上流商家け)の子息で、芸事は習っているが、泳ぎは身に付けていない。さらにきらびやかな衣装が海水を含んで自由を奪い、波の間に沈んで消える。
軍船に助けられた子供が次々と港に戻るが、その中に我が子がいない親は居たたまれず、漁船や曳き船に乗り込んで海へ出る。
現場には小舟や大型船が五十隻ほど集まり、長い竹竿を海に差し込んだり縄で縛り付けた板を投げ込んだりして、懸命の捜索が繰り広げられた。
口々に我が子の名を呼びながら、必死で海面を探す親たちの意志に反して、海は何事もなかったかのように、小さな波がうねるばかり。
西日が沈み、暗くなった海面では大小の船が、松明を掲げて右往左往している。
「かわいそうですね。命を奪われた子供達も、残された親や家族も。」
悲痛な呼び声が、波間にこだまする夕暮れの海。カモメのジョイが、上空から寂しそうに眺めていた。
捜索は夜になっても止む気配がなく、松明が闇の海面を点々と照らす。呼び続ける子供の名が、波間に吸い込まれる無情。
春とはいえ夜の海は冷え込み、おぼろが松明をぼんやりと包む。
懸命の救助活動も空しく、助かったのは演舞船の三十六人中、わずか十二人だった。
ここは海底の岩の前。着物を剥ぎ取られた遺体が二十四体並べられ、マイスとミンクによる身体各部の解明が始まっていた。
遺体は十三歳から十七歳くらいの女児が十二体、男児が六体。
大人は男女三体ずつで、推定の年齢順に並べると身長や骨組み、身体の変化が一目瞭然だ。




