八
一-八
右門は丁重に頭を下げ、革製の袋を差し出した。
「太郎殿、そして皆の衆、鯛の礼金を渡す。今日は祝い日であるゆえ、少しばかり弾んでおいたぞ。」
ずっしり重い革袋を受け取って、横の弥助に渡す。弥助は万作に、そして勘次、藤造吾作へと回して戻って来た。
万作と勘次が積んできた大八車を桟橋に上げようとすると、能勢右門が両手を差し出して止める。
「よいよい、荷車は用意しておるので、配慮は無用じゃ。さあ皆の者、鯛を岸まで運べいっ。」
侍達が献上箱を一箱ずつ抱え上げた瞬間、ギギィと桟橋の軋む音がし、海面が音もなく盛り上がった。
「うわわぁ、橋が沈んでいくぞ。」
侍達は足場を見失って動けない。海面は腰まで達し、水流の勢いで桟橋から落ちそうになる者もいる。
「落ち着け、橋は壊れとらん。ただの高波じゃ。両足をしっかり踏ん張って鯛を守れ。」
能勢右門は舟の係留柱にしがみついて、激を飛ばす。
侍達は献上箱を頭上に上げ、中腰で踏ん張って耐えている。海面が少し下がったので、献上箱を抱えた侍達も能勢右門も、一勢にしぶきを立てながら桟橋を走って、岸に駆け上がり、鯛は無事だった。
だが今度は十丁ほど沖の方から、大きな波が押し寄せて来るのが見えた。波の高さは一丈(約三m)くらいあろうか。これを被れば間違いなく海に投げ込まれる。
怪物に気付かれたのだ。海の中で怪物が手ぐすね引いて待っていると思うと、誰が合図するでもなく、全員が一目散に桟橋を走る。
岸に跳び上がると同時に、高い波が激しい音を立てて岸の石垣にぶつかり、おびただしい量のしぶきが上空へ舞い上がった。
沿岸で見物していた町人も警備の侍達も、どしゃ降りの雨のようなしぶきを被って、右往左往している。
「何だ、何だ、地揺れでもあったんか。見たことのない大波じゃったなあ。」
婚礼の祝賀そっちのけで、恐いもの見たさの町人が通りに駆け集まって、騒然となった。
鯛を運んできた三隻の小舟は、係留されたまま転覆し、桟橋の横で漂っている。
通りの騒ぎを背に、百尾の鯛は朱塗りの立派な牛車に積み込まれ、数十人の護衛に囲まれてそそくさと城に入っていった。
「ああ、肝を冷やした。皆が無事で何よりじゃった。」
万作は濡れた地面にどっかりと腰を落とし、大きく息を吐いた。
「あの波、一つめは鯛を狙うた。二つ目はワシらを狙うた。それにしても、来る途中であれが来てたら、お陀仏じゃったろう。」
怪物は鯛の受け渡しに気付いて、昨夜のうちに百尾を釣り上げたことを知り、波を使って襲ったに違いない。
「怪物が気付いたからには、舟で帰る訳にはいかんのう。舟を残して陸伝いに帰るしかないか。」
万作が力なく天を仰ぐ。
「怪物がこの海峡に戻っとるで、しばらく漁は出来ん。舟は怪物が去るまで預かってもらうか。」
弥助も、力なく海を見つめる。皆も同感だ。
そこへ侍が三人来て、能勢右門の家来と名乗った。二人は桟橋で鯛を運んだ侍だが、もう一人は白髪で商人のようだ。
「主人はたいそう喜んでおられたが、既に城へ上がっておるので、代わりに礼に参った。これは主人からの心尽しじゃ。」
そう言いながら、風呂敷包みを一人ひとりに手渡した。それは能勢家の家紋が入った立派な重箱で、豪華な料理を盛り付けた弁当だった。
もう昼時に近い頃合いだ。六人は、わざわざ持って来てくれたことに感激し、有難く戴いた。
一人の侍が万作の横に腰を下ろし、目を細めて裏島方面を眺めながら尋ねる。
「昨夜の悪天候で、百尾もの鯛をどう揃えたのか、教えてくださらんか。他から仕入れた鯛や、前に釣った鯛も混ざっておるのか。」
「いや、海が静まった夕暮れに舟を出して、全部釣り上げた鯛じゃ。」
侍は信じられない顔つきで、何度もうなずいたり、首をかしげたりして聞いている。
「お城の嫁入りじゃ。古い鯛があっても、混ぜることは出来んでな。」
「そうか、感服した。ところで夕べ、そなた達の浜は丑の刻まで明かりが灯っておったが、何ぞやっておったのか。」
六人を見渡し、誰にともなく尋ねる。それを受けて、弥助が元気よく答えた。
「あれは、釣った鯛が無事にお納め出来るよう、祝言で喜ばれるよう、村中で祈っておったのですじゃ。」
どう答えるべきかと惑っていたら、弥助ならではの機転に助けられた。
侍は、ニコニコ顔でうなずいていたが、にわかに真顔になって身を乗り出し、口に手を当てて万作に尋ねる。
「五年ほど前、この海域で恐ろしく大きな怪物が出て騒ぎになったことがある。拙者は人伝で聞いたが、それは海の鬼神と呼ばれているらしい。ここからは詳しいことが分からなんだと言う。怪物が近かったそなた達は、何かご存じであろうか。」
弁当まで用意してくれた、律儀な能勢右門なら信じられる。正直に話せば、怪物の正体を探ってくれると思ったのだろう、万作は怪物について話し始めた。