十
六-十
「え、家が違うじゃ。勘次の家も変わっとる。」
驚いて周囲を見回した。対岸にある表島の城は霧雨に霞んで見え、下町もうっすら確認できる。
多賀屋升克のいる北島もある。日頃から漁場にしている、つばくろ岩もある。
「ここは裏島じゃ。間違いないが、何で家が変わっとる。」
立っていても、答えを見つける術はない。とにかく誰かに話を聞こうと、わが家があったはずの民家へ不安定な足取りで、歩を進める。
ふと丘を見ると、上がり口で見かけない子供が二人、こちらを見ている。年は十歳くらいか。着ているものは上等そうなので、何かの用事で表島から来ている子だろう。
「ちょっとええか。オラは太郎という者じゃが、少したずねたい。」
その言葉が終わらないうちに、素早く草むらに姿を隠してしまった。幼いので、追いかけても何も聞けないと、民家の方に向かう。
夕飯の支度だろうか、軒下から淡い煙が出る家の前に立った。中をうかがっていると、小窓から見覚えのない婦人が顔を出し、小窓の戸をピシャリと閉めた。
「あ、ちょっと。話を聞きたいんじゃが。」
だが返答はない。見回すと知らない民家が三軒並んでいる。他の家をのぞいても、相手にしてくれる気配がない。さっきの子供といい、何かが変だ。
「オラ太郎という者じゃ。誰ぞ、おらんかのう。話を聞きたいんじゃ。」
誰にともなく大声で叫んでいると、先ほどの婦人が小窓から顔を覗かせ、不機嫌そうに言い放った。
「しつこい男はんじゃな。もう飯も金子もないけぇ、あきらめて消えな。」
婦人が何を言っているのか、さっぱり解せない。
「飯や金子をくれとは言うとらん。話が聞きたいだけじゃ。オラの名は太郎で、ここに住んどったが、帰ったら家がないんじゃ。何か知っとったら、教えてくれんか。」
この様子を見かねたのだろう、隣の家から白髪の混じった婦人が現われ、道端の石に腰を掛け、手招きをしている。
救われた心境で婦人に近付き、深く頭を下げて前に正座した。
「おばさん、オラの名は太郎という。五日ぶりに帰ってきたら、オラの家がないんじゃ。」
婦人は食い入るような目で、こちらの仕草を見ていたが、すぐ優しい目付きになった。
「旅の人よ、あんたは芝居の役者じゃろ。色白で身なりがいいので分かる。ワシは芝居が好きでのう。」
どうやら救いを求める素振りや声を、演技と勘違いして出てきたようだ。
「オラは鯛を釣っとる漁師じゃけ、顔は真っ黒に日焼けしとるはずじゃ。」
五日前までは連日漁をし、差江や北島で鯛を売り歩いていた。婦人の言う色白な筈がない。
「あんたは化粧っ気がないのに、この浜の女より色が白い。その秘訣を教えてくれんかのう。」
言いながら、丸い手鏡を差し出した。その手鏡に映った自分の顔色は、長く床に臥せていた病人のようではないか。
わずか五日間、海底で暮らしただけなのに、日焼けがすっかり消えているとは……。
ぎこちなく婦人に手鏡を返しながら、この場をつくろう言葉を探す。
「ああ、しばらくお天道様が届かん所に行っとったもんで。」
婦人はそれ以上のことは聞かず、黙って手鏡を懐におさめた。婦人は弥恵といい四十歳らしい。
弥恵の話では遠い昔、この地に太郎という龍を倒した英雄がいたそうだ。
だが大きな海亀に乗って海に入ったまま、帰って来ないという伝え話があると話した。
その伝え話を利用して「ワシが太郎じゃ、帰ってきたぞ。」と、英雄気取りで武勇伝を語り、食べ物や金品を要求する物乞いが、よく現れるらしい。
「てっきり、あんたも役者崩れの物乞いかと思うた。じゃが衣裳は古びておるが立派じゃし、行儀も備わっとる。」
そこへ、丘にいた二人の子供が来た。
「さっき、この人ね。大きな海亀に乗って、あの辺の海から出て来た。」
指さしながら弥恵に説明するが、弥恵は手を口の前で左右に振りながら、笑い飛ばした。
「伝え話を信じる子供も、おるでな。」
弥恵の言う伝え話は、海に入った五日前の話に似ている。だが、そんな話はどうでもいい。
「おばさん聞いてくれ。オラの母っちゃんはおりん、妹は梓というて、この東方に住んどるんじゃ。一緒に鯛釣りしとる勘次は知らんか。西方の万作という男は知らんか。」
矢継ぎ早に聞くが、弥恵はことごとく首を横に振る。十八歳でこの地に嫁いで来たが、そういう名の人は初めからいないと答える。
「音根と言う娘が、丘の登り口に住んどるが……知らんか。」
弥恵は驚いた顔付きになって、目を見開いた。
「音根さんという名の人はおるぞ。西方に住んどるが、婆さんじゃ。」
音根という名前が、こんな小さな村に何人もいることはない。病気か何かで、顔が老人のようになったのだろうか。
「人違いでも、婆さんでもええ。音根という人に会わせてくれ。」
何か分かるかもしれないと、思わず弥恵の着物の襟をつかんですがった。
「苦しい。ええい、その手を離さんか。」
弥恵が襟の手を振りほどいて立ち、着物を整えながらスタスタと西方へ歩く。




