八
六-八
屋敷の最上階まで、目を皿のようにして見回すが、誰もいない。
歓迎門をくぐると、光を吹き出す砂の平原が広がった。平原から一丈ほど上を、水平に進んでいる。あちらこちらに積み上がった岩が光を遮り、黒い筋を真上へ投影している。
「わぁ、魚の群れが綺麗じゃ。」
どこから集まって来たのか、上方にも左右にも、大小入り混じった魚の群れが、キラキラ輝きながら取り巻き、同じ方向に同じ速さで進む。その数、千尾は下らないだろう。
「すんごい数じゃ、オラたちと並んで泳いどる。」
すぐ右を桃色に輝く鯛が、五十尾ほど並泳している。手を伸ばせば届くほど近い。
---大きゅうて、きれいな鯛じゃ。
日頃釣り上げている暁鯛より、ひと回り大きくて美味そうだが、今は漁への意欲が湧かない。
「魚達が、太郎様とのお別れを惜しんでいるのでしょう。」
「じゃが、国の人たちが姿を見せんかった。」
国の人たちに言葉を掛けたかったが、叶わなかったことが悲しく、悔しい。手箱をヒザで挟み、魚たちに両手を振る。せめてもの、別れのあいさつだ。
ショウが高度を上げ始めたが、まだ魚の群れはついて来る。だいぶ遠ざかった龍宮が、地下から噴き出す光に押し上げられ、浮かぶように輝いている。来た時と同じ風景だ。
「きれいな屋敷じゃった。乙姫様も加奈さんも器量よしで優しかった。一太夫さんと二太夫さんには、よう世話してもろうた。皆ええ人達じゃったなあ。」
「豊作祭へのご招待は、ご満足いただけましたか。」
「ショウさんのお陰じゃ。こんな素晴らしい国に招いてくれたこと、どんなに感謝しても足らん。」
「ありがたいお言葉、もう十分です。」
正面に漆黒の闇が迫って来た。色鮮やかな珊瑚礁を過ぎ、海藻や海木の森に入った所から、急速に光がなくなる。あの魚の群れは何処かへ行ったようだ。
いよいよ真っ暗で、何も見えなくなった。来る時に体験しているが、やはり闇は心細くて怖い。もしも手箱を落とせば、見つけることは不可能だろう。気を引き締めて抱え直す。
「太郎様、地上が恋しいですか。」
真っ暗闇に突入してまもなく、ショウの唐突な言葉に、一瞬とまどった。
「そりゃ、そうじゃ。オラの生まれた故郷じゃから、恋しいに決まっとる。」
「もし故郷が、太郎様に酷い仕打ちをしたら、龍宮に引き返しますか。」
何を言い出すのだと腹立しくなったが、ここはショウの甲羅の上。口論は分が悪いのでグッとこらえる。
「ショウさんの言う意味が、よう分からん。オラは地上に帰りたい、それだけじゃ。」
潮の圧迫も、航行の振動もなく進む闇の中で、不吉な予感がして胸が騒ぐ。五日の間に地上で何か異変があったのか。まさか再び武将の戦さが始まり、裏島も戦禍に巻き込まれているのか。
「ショウさんは、海の上へよう来とるで、オラが海底におる間に、何ぞあったら分かるよな。」
「そうですね、もう何百回……。」
ショウは慌てて、言葉を呑み込んだ。
「オラが海底におる間に、そんなに海上には来れん。何回か見た裏島に変化はなかったか。」
「はい、自然のままでした。」
ショウの返事を聞いて胸をなで下ろす。地上に何も変化はない。だが「故郷が酷い仕打ちをする。」と言った言葉が、妙に心に引っ掛かったまま、しばらく変化のない航行が続く。
「太郎様、龍宮に引き返しませんか。乙姫様や加奈殿に、もう一度会いたくありませんか。」
ショウは、乙姫の望みを勧めている。それを断って帰る申し訳なさと、ショウの心遣いに胸が締め付けられる。
「オラは地上に帰って、ゼクスに教わった事を伝える仕事がある。人間は天地の恵みに感謝して暮らさにゃいけん。人間が特別じゃと思うて、むやみに木を伐ったり、動物を殺したり好き放題しとると、この星とやらに滅ぼされるんじゃ。」
「分かりました。もうこの話はやめましょう。」
漆黒の闇を、静かな航行が続く。
太郎がショウの甲羅に乗って、歓迎門を出発した海底の鏡の前。
全ての擬似人間たちが元の魚に戻ったため、まだ残している建造物や、農園は閑散としている。
リュウビと側近たちは、太郎が引き返してくる事態を考慮し、岩の鏡の前で動向を見ている。
トポスは、計画の成功に上機嫌だ。
「五十年後の地上に帰って、驚く顔が目に浮かぶぜ。」
「家族も知人もいないことに、強い衝撃を受けるでしょう。五日後だと思って帰るのですから。」
シオンが悪戯っぽく笑うが、リュウビは黙ったまま鏡を見ている。太郎の漁と、鯛釣り塾の阻止が成功したことに、満足こそしているが、地上で太郎が迎える運命を、哀れみ悲しんでいる。
太郎の運命を知るマイスも、晴れやかな気持ちになれない。
「太郎が普通に地上で暮らしていたら、七十歳を過ぎた老人になっています。若者のまま地上に帰って、身体に異常は出ないのでしょうか。」
マイスは、敢えてシオンとトポスに聞かせるよう、リュウビに問いかけた。




