二
五-二
「ゼクス、どうした。何か言うてくれぇ。」
庭に飛び降り、真っ暗な空に向かって大声で叫んだ。
黒く変色したゼクスの屍が、拝塔の前庭に横たわり、人々に囲まれている。拝塔の縁台には黒い着物姿の乙姫と、随臣が立っている。
側近に手招きされて階段を上がり、縁台に立った。
「お集りの皆さんに報告いたします。本日の収穫祈祷の後、ゼクスが亡くなりました。」
乙姫の声は、思いのほか冷静に聞こえる。国民の前で悲しみを抑え、必死に平静を保とうとしているのか。だが群衆にも泣く者が見当たらない。
普通、大切な存在が亡くなったら悲しみ、打ちひしがれる。この国の人達はゼクスの死を、どう受け止めているのか不思議だ。
「皆様とゼクスのご冥福を、祈りたいと思います。」
乙姫が胸の前で手を合わせると、人々も同じように手を合わせた。
ゼクスとは、僅か一刻足らずの接見と会話だった。
短い時ではあったが、人間が草や木や海との関わりを正さねば、未来が危ういことを考えさせられた。
長く親しい友人だった気がして、この別れはとても辛く、涙が止まらない。
白木の台に乗せられたゼクスに、白い布が被せられている。その横にゼクスが作り出したという、ハクビやカンの葉が添えられた。
ゼクスは農園の中央に埋められるらしい。人夫風の男が左右に四人ずつ、ゼクスを乗せた台を担いで行進が始まった。
白い花を手にした長い列が後に続く。
乙姫と側近の侍達も列に加わったが、一緒に歩く気分になれず、縁台で見送っていたら、横に加奈が来た。
「加奈さん、どこにおったんじゃ。」
「あの人たちの中にいました。太郎さんはゼクスとお話しなさったのですね。」
「ああ。直接話して、良かったと思うちょる。オラの世界にはない考えを、いろいろ聞かせてもろうた。」
「なぜ乙姫様は、わずか五日で帰ってしまう太郎さんに、ゼクスの話をしたのでしょう。」
加奈の本意が汲み取れないので、黙ってゼクスを埋葬する農園の中央付近を眺める。
すると突然、加奈が縁台の欄干を掴んだまま、声を荒げて泣き出した。
「太郎さんは、加奈より乙姫様を選ぶのですね。」
乙姫を選ぶ……。思いがけない言葉を耳にして加奈の横顔を窺う。
---どういうことじゃ。
長いまつげが涙の露で濡れ、肩も大きく震えている。
「加奈さんの言う意味が、よう分からん。オラに分かるように話してくれんか。」
「私にも分かりません。」
加奈は涙を拭いながら、拝塔の階段を駆け下りて農園に消えた。
滞在二日目が終ろうとしている。
「今日は朝から加奈と走ったり、拝塔でゼクスに会ったり、色々あってお疲れになったことでしょう。」
迎えに来た一太夫が、前を歩きながら労ってくれた。
この国には朝夕がないので、地上の十二刻を計って一日とし、時刻ごとに伝えてもらうよう頼んでいる。
「忙しい日じゃったが、疲れは感じとらん。」
「落ち着けば、疲れが沸き上がります。今夜はしっかり寝ていただきますよ、病まれては大変ですから。」
一太夫の気遣いに、朝から数刻前まで心身を揺るがせた恐怖が、遠い昔に思える。
屋敷に戻って花園が描かれた寝所に入ると、すでに夕膳が置かれ、給仕の女が座って待っていた。
「明日の豊作祭は取り止めとなり、ゼクスの冥福を祈る日になりました。ですが客人の太郎殿が所望なら、拙者が農園を案内いたします。」
一太夫は一杯だけ酒を酌み交わし、早やばやと場を去った。
給仕の女が食事をすすめるが、ゼクスの死を思うと食欲がない。給仕を断って一人になり、飯を少しだけ掻き込んだ。
寝間着を抱えて浴室へ向かう。湯に浸かった後、寝床で大の字になって、天蓋の布をじっと見つめる。
龍を恐れて加奈と逃げた地下道。収穫祈祷でゼクスと対面した驚き。そのゼクスとの会話と、思いがけない死と悲しい葬列が、甦る。
一日でこれだけ多くの体験は、今後二度とできないだろう。
「疲れとるかも知れん。もう鯛漁や音根の笑顔を想いながら、寝んといかんな。」
だがゼクスを見送った拝塔で「太郎様は私より乙姫様を選ぶのですか。」と、涙ながらに叫んだ加奈の声が、脳裏を離れない。
「あれは一体、何を言うたんじゃ。何かの謎にしても、ひどい泣きようじゃった。」
考えるほど目が冴えて眠れない。手を頭の後ろに組んで、布越しの花園を見つめる。
「太郎殿、起きなさるか。今日はのんびり楽しみましょうぞ。」
膳を運んできた一太夫の声で目覚めた。今朝も痩せ細った顔を洗い、着替えをして朝食を二人で済ませ、屋敷の外に出た。
庭に長い槍を手にした侍が、立っている。
「この者は、同行させていただく兵藤と申す者です。何事もないとは思いますが、広い農園ですので身辺警護です。」
三日目になると景色も見慣れ、つい先頭を歩く自分がおかしい。
「乙姫様はどうしちょるんじゃ。」
振り返ると、一太夫は真っ暗な上空を見ながら歩いていたが、反射的に目線を戻して笑みを作った。




