↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
PR
40/86

七

四-七

「そ、それはならん。加奈さん、着物を着てくれ。」

 美しいとか、可愛(かわい)い以上の魔力(まりょく)を秘(ひ)めている加奈が、目の前で裸(はだか)になったから堪(たま)らない。意図(いと)せず全身(ぜんしん)の血がしぶきを上げ、股間(こかん)がたぎる。

 それは、とても抑(おさ)え切れるものではない。これ以上(いじょう)加奈が接近(せっきん)すれば、手に負(お)えなくなるのが分かる。

 大げさに、激(はげ)しく両手(りょうて)を突(つ)き出して加奈を制(せい)するが、構(かま)わず寝床(ねどこ)に入って来たではないか。

「頼(たの)むから、やめてくれ。」

 両手を突(つ)き出し、後(あと)ずさりする姿を悪戯(いたずら)っぽい目で追いながら、寝床(ねどこ)の真(ま)ん中(なか)まで上がり込んだ加奈(かな)は、首まで布団(ふとん)を被(かぶ)って目を閉じた。


 そこには女の奥(おく)ゆかしさや、恥じらいは微塵(みじん)も見られない。加奈(かな)は、一太夫の命令を受けた夜伽(よとぎ)女(おんな)だろう。

 音根の花嫁(はなよめ)姿(すがた)が浮(う)かぶ。祝言(しゅうげん)を前にして、こんな夜伽(よとぎ)女(おんな)と一夜(いちや)を共(とも)にするなんて、とんでもない事だ。

「やめてくれ。オラには嫁(よめ)がおるけ、いくら加奈(かな)さんでも駄目(だめ)じゃ。」

「添(そ)い寝(ね)だけですから。」

 加奈(かな)に右(みぎ)手首(てくび)を掴(つか)まれ、強引(ごういん)に布団(ふとん)の中へ引き込(こ)まれた。腕(うで)っぷしには自信(じしん)のある漁師(りょうし)が倒(たお)れ込む。

 加奈(かな)の豊(ゆた)かな乳房(ちぶさ)を押(お)し潰(つぶ)すかのように、互いの胸(むね)を重(かさ)ねた格好(かっこう)になり、掴(つか)まれたままの手が、くびれた腰に添(そ)えられた。柔肌(やわはだ)が顔や首筋(くびすじ)に吸(す)い付いてくる。


「だ、駄目(だめ)じゃ。添(そ)い寝(ね)だけでも、オラの気持ちが許(ゆる)さんのじゃ。」

 言葉では拒否(きょひ)するものの、少し冷たくて滑(なめ)らかな柔肌(やわはだ)の感触(かんしょく)に、ひ弱(よわ)な理性が翻弄(ほんろう)され、男の本能(ほんのう)がムラムラと首をもたげる。

 全身が熱(あつ)くなり、抑(おさ)えが利(き)かない。手が無意識(むいしき)に腰から尻(しり)に向かって這(は)っている。

「腰巻(こしま)きを取(と)って……ください。」

 耳元(みみもと)で恥(は)じらいを含んだ細(ほそ)い声がした。夜伽(よとぎ)女(おんな)にも、女の恥(は)じらいがあるのか。

 腰巻(こしま)きを外せば加奈は全裸(ぜんら)で、添(そ)い寝(ね)ですむ筈(はず)がない。尻(しり)に当たっている右手と、加奈(かな)の頭の横で伏(ふ)せた顔が、行(い)き場(ば)を失っている。


 祝言(しゅうげん)前の貞操(ていそう)心(しん)もあるが、ここで加奈(かな)を抱いて交(まぐわ)うことになれば、加奈に溺(おぼ)れて地上に帰る決意(けつい)が消えかねない。

---これ以上踏(ふ)み込(こ)んではいかん、五日(いつか)経(た)ったら地上に帰る身じゃ。

 この決意(けつい)が色香(いろか)の誘惑(ゆうわく)に勝った。加奈が、そっと身体(からだ)を離(はな)す。

「すまん。加奈さんが嫌(きら)いではないんじゃが、やっぱりオラは、オラ自身をだますことができん。勘弁(かんべん)してくれ。」

 布団の上で正座(せいざ)し、意識(いしき)して強(つよく)くはっきり告(つ)げた。加奈は悲(かな)しそうな目をして聞いていたが、すぐ起き上がって微笑(ほほえ)んだ。

「太郎様の強いお気持(きもち)ちが、よく分かりました。地上(ちじょう)の奥様(おくさま)を、うらやましく思います。」

「すまん。本当にすまん。」


 米(こめ)つきバッタのように頭を何度(なんど)も下げ続(つづ)ける。加奈は背(せ)を向けて寝床(ねどこ)を下り、薄紫(うすむらさき)の着物を着終(きお)えると、振(ふ)り向いて笑顔(えがお)を見せた。

「今夜はおいとましますが、私は太郎様が好(す)きです。明日もお会いできるのを、楽しみにしております。」

 そう言い残し、扉(とびら)から出てゆく加奈を目で追いかけ、手を頭の後ろに組んで仰向(あおむ)きになった。

 天井(てんじょう)の絵をぼんやり眺(なが)めながら、決意(けつい)を貫(つらぬ)いた満足(まんぞく)感と、一抹(いちまつ)の後悔(こうかい)が交錯(こうさく)する。

「明日も来たら、断(ことわ)れるじゃろか。」

 加奈(かな)の柔肌(やわはだ)に触(ふ)れた顔や手や胸に、快(こころよ)い感触(かんしょく)が残り、不思議(ふしぎ)に惹(ひ)かれる加奈の笑顔と声と、衝撃(しょうげき)的な裸体(らたい)が浮かび、興奮(こうふん)が収(おさ)まらない。

 物音(ものおと)のない広い空間で悶悶(もんもん)としていると、いつか意識(いしき)が薄らいで、深い眠りに入った。


「お目覚(めざ)めになられましたか。」

 枕元(まくらもと)で一太夫の声がして目を開けた。薄暗(うすぐら)くしていた部屋は明るくなって、部屋の花々が咲き乱れている。まるで美しい花園(はなぞの)の中で目覚(めざ)めた感覚だ。

 昨夜(さくや)恐(おそ)れた、二度と朝が来ないかもしれないという心配は、一太夫の声で解消(かいしょう)した。とてもよく寝た満足(まんぞく)感で眠さはないが、空腹(くうふく)がすごい。

 一太夫は紺(こん)色の裃(かみしも)と、茶の羽織(はおり)姿の正装(せいそう)をしていた。

「よく眠られましたか。」

「ああ、夢も見ずによう寝た。どのくらい寝たんじゃろうか。」

「一晩(ひとばん)です。」

 普通は目覚(めざ)めたら、いくらか眠(ねむ)気が残っているものだ。だが、それが全(まった)くない。

「五(ご)刻も六(ろっ)刻も、それ以上に寝た気がするが。海底(かいてい)の一晩(ひとばん)は何刻(なんこく)じゃ。」


「お召(め)し物でございます。これにお着替(きが)えくだされ。」

 問いに答える素振(そぶ)りもなく、一太夫は新しい着物(きもの)を置いて扉から出ていった。

 誰(だれ)一人(ひとり)いない部屋だが、着替えを寝床(ねどこ)でするのは気が引ける。風呂場(ふろば)で着替(きが)えようと、衣裳を抱(かか)えて立った途端(とたん)、足腰(あしこし)がふらついて膝(ひざ)から崩(くず)れた。

「よう寝たためか、歩く感覚まで鈍(にぶ)っちょる。」

 足を覗(のぞ)き込んで驚愕(きょうがく)した。著(いちじる)しく痩(や)せて、手も骨(ふね)ばっている。夕(ゆう)べはあれだけ飲み食いして寝たのに、翌朝(よくあさ)に手足が骨(ほね)ばっているなんて……。

「料理に毒(どく)を混(ま)ぜられていたんか。この痩(や)せようは尋常(じんじょう)とは思えん。」

 無気味(ぶきみ)な不安を抱(だ)きつつ、風呂場で着替えを終えた。


 ふと浴槽(よくそう)の水面(すいめん)に映った顔を見て、また腰が砕(くだ)けた。まるで頭骨(ずこつ)に皮が貼(は)り付いた顔になっている。目も異常(いじょう)に飛び出しているし、髪(かみ)の毛は寝る前の何倍(なんばい)にも伸びている。

 念(ねん)のため、もう一度(いちど)顔を映(うつ)して見たが同じだ。見間(みま)違(ちが)いではない。

「おーい、誰かおらんか。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。