七
四-七
「そ、それはならん。加奈さん、着物を着てくれ。」
美しいとか、可愛い以上の魔力を秘めている加奈が、目の前で裸になったから堪らない。意図せず全身の血がしぶきを上げ、股間がたぎる。
それは、とても抑え切れるものではない。これ以上加奈が接近すれば、手に負えなくなるのが分かる。
大げさに、激しく両手を突き出して加奈を制するが、構わず寝床に入って来たではないか。
「頼むから、やめてくれ。」
両手を突き出し、後ずさりする姿を悪戯っぽい目で追いながら、寝床の真ん中まで上がり込んだ加奈は、首まで布団を被って目を閉じた。
そこには女の奥ゆかしさや、恥じらいは微塵も見られない。加奈は、一太夫の命令を受けた夜伽女だろう。
音根の花嫁姿が浮かぶ。祝言を前にして、こんな夜伽女と一夜を共にするなんて、とんでもない事だ。
「やめてくれ。オラには嫁がおるけ、いくら加奈さんでも駄目じゃ。」
「添い寝だけですから。」
加奈に右手首を掴まれ、強引に布団の中へ引き込まれた。腕っぷしには自信のある漁師が倒れ込む。
加奈の豊かな乳房を押し潰すかのように、互いの胸を重ねた格好になり、掴まれたままの手が、くびれた腰に添えられた。柔肌が顔や首筋に吸い付いてくる。
「だ、駄目じゃ。添い寝だけでも、オラの気持ちが許さんのじゃ。」
言葉では拒否するものの、少し冷たくて滑らかな柔肌の感触に、ひ弱な理性が翻弄され、男の本能がムラムラと首をもたげる。
全身が熱くなり、抑えが利かない。手が無意識に腰から尻に向かって這っている。
「腰巻きを取って……ください。」
耳元で恥じらいを含んだ細い声がした。夜伽女にも、女の恥じらいがあるのか。
腰巻きを外せば加奈は全裸で、添い寝ですむ筈がない。尻に当たっている右手と、加奈の頭の横で伏せた顔が、行き場を失っている。
祝言前の貞操心もあるが、ここで加奈を抱いて交うことになれば、加奈に溺れて地上に帰る決意が消えかねない。
---これ以上踏み込んではいかん、五日経ったら地上に帰る身じゃ。
この決意が色香の誘惑に勝った。加奈が、そっと身体を離す。
「すまん。加奈さんが嫌いではないんじゃが、やっぱりオラは、オラ自身をだますことができん。勘弁してくれ。」
布団の上で正座し、意識して強くはっきり告げた。加奈は悲しそうな目をして聞いていたが、すぐ起き上がって微笑んだ。
「太郎様の強いお気持ちが、よく分かりました。地上の奥様を、うらやましく思います。」
「すまん。本当にすまん。」
米つきバッタのように頭を何度も下げ続ける。加奈は背を向けて寝床を下り、薄紫の着物を着終えると、振り向いて笑顔を見せた。
「今夜はおいとましますが、私は太郎様が好きです。明日もお会いできるのを、楽しみにしております。」
そう言い残し、扉から出てゆく加奈を目で追いかけ、手を頭の後ろに組んで仰向きになった。
天井の絵をぼんやり眺めながら、決意を貫いた満足感と、一抹の後悔が交錯する。
「明日も来たら、断れるじゃろか。」
加奈の柔肌に触れた顔や手や胸に、快い感触が残り、不思議に惹かれる加奈の笑顔と声と、衝撃的な裸体が浮かび、興奮が収まらない。
物音のない広い空間で悶悶としていると、いつか意識が薄らいで、深い眠りに入った。
「お目覚めになられましたか。」
枕元で一太夫の声がして目を開けた。薄暗くしていた部屋は明るくなって、部屋の花々が咲き乱れている。まるで美しい花園の中で目覚めた感覚だ。
昨夜恐れた、二度と朝が来ないかもしれないという心配は、一太夫の声で解消した。とてもよく寝た満足感で眠さはないが、空腹がすごい。
一太夫は紺色の裃と、茶の羽織姿の正装をしていた。
「よく眠られましたか。」
「ああ、夢も見ずによう寝た。どのくらい寝たんじゃろうか。」
「一晩です。」
普通は目覚めたら、いくらか眠気が残っているものだ。だが、それが全くない。
「五刻も六刻も、それ以上に寝た気がするが。海底の一晩は何刻じゃ。」
「お召し物でございます。これにお着替えくだされ。」
問いに答える素振りもなく、一太夫は新しい着物を置いて扉から出ていった。
誰一人いない部屋だが、着替えを寝床でするのは気が引ける。風呂場で着替えようと、衣裳を抱えて立った途端、足腰がふらついて膝から崩れた。
「よう寝たためか、歩く感覚まで鈍っちょる。」
足を覗き込んで驚愕した。著しく痩せて、手も骨ばっている。夕べはあれだけ飲み食いして寝たのに、翌朝に手足が骨ばっているなんて……。
「料理に毒を混ぜられていたんか。この痩せようは尋常とは思えん。」
無気味な不安を抱きつつ、風呂場で着替えを終えた。
ふと浴槽の水面に映った顔を見て、また腰が砕けた。まるで頭骨に皮が貼り付いた顔になっている。目も異常に飛び出しているし、髪の毛は寝る前の何倍にも伸びている。
念のため、もう一度顔を映して見たが同じだ。見間違いではない。
「おーい、誰かおらんか。」




