十二
三-十二
着物がずぶ濡れになって、身動きがままならないのに、それもない。本当に海の中だろうか。
見回すと頭上に暗い海面の波紋が漂い、下方は真っ暗で確かに海の中だ。
「もう太郎様は、私と同じ体質になっています。海を出ると体質は元に戻りますが、海の中にいる間はずっと続きますので、ご心配なく。」
ショウは暗い海中を、滑るように潜行している。その間、これから行く海底の国を説明するなど、声を掛け続けてきた。
「ショウさんの住む国は、何という名じゃ。」
国にも名前があるのだった。それは決めていないので、ショウは慌てた。するとリュウビから「交流している国がないため、国名はないのです。」と伝えてきた。
海底で仲間が会話を傍受し、援護してくれる。ショウは意を強くし、これから行く名前のない国のことを太郎に話した。それは同時に仲間にも聞かせ、つじつまを合わせるためでもある。
「私達の国は以前、乙我様という王が治めておりましたが、龍の襲撃で殺されました。当時八百人いた国民が、度重なる襲撃によって、六百人ほどに減りました。その後、一人娘の乙様が後を継ぎ、龍の襲撃から国民を守る砦を建てたのです。」
ショウの話は続いた。
少し前に龍が東の海で死んでいるのが発見され、姫は砦を屋敷に建て直し、その名を龍宮と名付けた。また別に獰猛な深海ザメによって国民が多数犠牲になっていたが、天上の星から来たゼクスという生き物が撃退するので襲って来なくなり、平和であるなど。
ショウの話に耳を傾けているうちに不安は消え、その素晴らしい国を早く見たいと、楽しみが増幅していく。
海に入って、どのくらい経っただろう、あまりにも長い道のりだ。甲羅に跨ったまま寝るが、何度目覚めても真っ暗闇。
目を閉じているのか開いているのかさえ分からず、目の前に手をかざしても全く見えない。まるで意識だけが、フワフワと空間を様酔っているようだ。
このままずっと甲羅に乗せられ、いつか襲われるか振り落されるのではないか……。もう何十日も甲羅の上にいる気がして心細くて、全身が張り裂けそうだ。
「ショウさん、長いな。もう豊作祭とやらは終わっとるじゃろな。」
「いえ、皆が太郎様を心待ちにしていますから、到着するまで始まりません。」
今はショウの言葉を信じるしかない。だが不安が大きくなるばかりで、もう耐えられなくなった。
「ショウさん。ひ、引き返してくれんか。お願いじゃ。」
ショウが気分を害すれば、危険とは分かっているが、つい口走ってしまった。しまった、ここで殺される。だがショウは変わらず、優しく答える。
「もう少しのご辛抱です。真下に潜っていませんので、少々の時はかかります。」
「いや、もう十分じゃ。ここまで連れて来てもらい、オラは満足したじゃ。」
「ずっと暗いので不安でしょうが、馴れない深い海の中ですから。私はいつも、こんな海を泳いでいるのですよ。」
「ショウさんは周りが見えるじゃろうが、オラは何も見えん。引き返してくれ。オラが帰ると言えば、すぐ帰すと約束しとるで。」
ショウを怒らせたくないので、泣き声で懇願する。
「そうですね、引き返してもいいですけど。あと百も数えれば、海底の国が見えてきますよ。」
ショウはもうすぐ着くと言う。だが進む時に感じる潮の圧力がない。やっぱりダマされていると観念しかけた時、遠くの前方に小さな光の点が見えた。
長い暗闇が続いたので、光恋しさの幻かと目をこすってみるが、やっぱり見える。それは漆黒の闇に、ポツリと穴を開けたような小さな点で、ユラユラ揺れている。
「前方に、光るものが見えるでしょう。」
ショウの声で光は錯角でも、幻でもないことが分かった。でも深い海の中の光は、クラゲの発光ではないのか。
「あの光が、私たちの国です。もう少しです。」
「こんな深い海の中に、何で光があるんじゃ。」
「大昔のことです。空から火の玉が落ちて来まして、それ以来あの一帯は、ずっと光っています。そこに私達の国があるのです。」
米粒のような小さな点が、黄味がかった円形になり、大きくなるにつれ、輪郭がぼやけながら横に広がってゆく。光の固まりは速度を早めながら、どんどん横に長くなり、ショウの甲羅が見えるまで、辺りが明るくなった。
---海の中が明るいなんて。
不可解な光でも、やはり光に包まれるのは嬉しい。ホッとした気持ちで周囲を見回すと、茶色や緑の海藻をすり抜けて進んでいる。
海藻の周りには大小無数の魚が、淡い光を反射しながら行き来している。
「でっかい海藻に、すごい数の魚じゃ。」
「大きな海藻は、ずっと上まで伸びています。幅の広い葉を広げたものから、針のような細い葉の海藻、太い幹を持つ海木も見えるでしょう。私たちに養分を与えてくれる、大切な森です。」
種類は何千とあるらしい。光があるので、元来浅瀬に生えるワカメやコンブも群生していると言う。
珊瑚の礁が見えてきた。赤や紅、紫、黄が入り乱れた、鮮やかな礁を形成している。珊瑚は小魚の快適な棲み処であり、隠れ家と聞いている。




