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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
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32/86

十一

三-十一

 夜明(よあ)けまで音根と激(はげ)しく愛(あい)を交(かわ)し、我(わ)が子を託(たく)した。

 そのあと家へ戻(もど)り、おりんの手で頭(あたま)にマゲを結(ゆ)い、茶色に銀糸(ぎんし)の小紋(こもん)をあしらった着物を纏(まと)い、濃(こ)い灰色の袴(はかま)姿(すがた)になった。

「よう似合(にお)うとる。なかなか凛凛(りり)しいぞ。」

 支度(したく)が整ったので、丘の鳥達(とりたち)の目覚(めざ)めには早い時分(じぶん)に家を出(で)た。一睡(いっすい)もしていないが、眠気(ねむけ)はない。


 まず丘(おか)に上(あ)がって、父(ちち)と音根の母(はは)の墓前(ぼぜん)に手を合わせた。丘の上り口で緑(みどり)の葉(は)を増(ふ)やし、少し背丈(せたけ)が伸びた栗の苗木(なえき)にも、祈(いの)る気持(きも)ちで声を掛(か)ける。

「必(かなら)ず帰(かえ)るでな、無事(ぶじ)を見守ってくれ。音根を頼(たの)むぞ。」

 浜に出た。まだ黒(くろ)い海面を眺(なが)めると、不安(ふあん)が得(え)もしれない恐怖(きょうふ)に変わってゆく。覚悟(かくご)はできているつもりでも、震(ふる)えが止まらない。

少し後方(こうほう)で、おりんと梓(あずさ)が手を繋(つな)いで立っている。音根(おとね)が筍(たけのこ)の包(つつ)みを手に、丘(おか)を駆(か)け下りてきた。

「海の中は分からんけど、お腹(なか)が空(す)いたら食(た)べて。」

「おぅ、握(にぎ)り飯(めし)じゃ。かたじけない。」


 梅の実を包(つつ)んだ風呂敷(ふろしき)に握(にぎ)り飯(めし)を加えて、首に結(ゆわ)えた。まだ暗(くら)い浜は、打(う)ち寄(よ)せる高波(たかなみ)の音がやけに騒(さわ)がしい。後方(こうほう)に人の気配(けはい)がして振り返(かえ)ると、いつの間(ま)にか多くの村の衆(しゅう)が、集(あつ)まっているではないか。

「太郎、やっぱり行(い)くんか。亀の嘘(うそ)っぽい口車(くちぐるま)に乗(の)って、行(い)かんでもええぞ。」

「亀は来とらん。やめとけ、やめとけ。」

 村の衆(しゅう)の心配(しんぱい)そうな声に、ぎこちない笑顔(えがお)で応(こた)える。空は明るくなったが朝日(あさひ)が顔(かお)を出すまでは、少し時がある。大(おお)海亀(うみがめ)はまだ姿を現(あら)わさない。

「亀は来(こ)んのと違(ちが)うか。」

「亀が約束(やくそく)なぞ、守(まも)るもんか。」

 あちこちでヒソヒソ話が始(はじ)まり、中には亀(かめ)にしてやられたと、笑(わら)い出す者(もの)もいた。

---いや来る。ショウは迎(むか)えに来る。


 海を睨(にら)み、腕(うで)を組(く)んで待(ま)つ。ザワザワと葉を摺(す)り合(あ)わせる木々の間(あいだ)から、小鳥(ことり)達の囀(さえず)りが聞こえ始めた時(とき)、二丁(にちょう)ほど沖(おき)の、波の間(あいだ)に黒(くろ)い固(かた)まりが浮(う)かんで見えた。

 その固(かた)まりは真直(まっすぐ)ぐ近付(ちかづ)く。あれは確かにショウだ。

「ありゃりゃ、亀(かめ)じゃ。亀(かめ)が来たぞぉ。」

 浜の皆(みな)が口々に叫(さけ)んで指(ゆび)さし、両手(りょうて)を上げて逃(に)げ出(だ)す者(もの)もいる。自分も一緒(いっしょ)に逃(に)げたい衝動(しょうどう)が湧(わ)き上(あ)がった。弱虫(よわむし)と笑われても構(かま)わない、逃(に)げよう。


 だが足が硬直(こうちょく)して、思(おも)うように動(うご)かない。もがいていると直径が六尺(ろくしゃく)、高さが三尺(さんしゃく)の大(おお)海亀(うみがめ)が、目の前に到着(とうちゃく)した。

---あぁ、もうダメじゃ。逃(に)げられん。

「太郎様、出(で)てくださると信じておりました。さあ、丸薬(がんやく)を一粒(ひとつぶ)お飲みになって、私にお乗(の)りください。」

 大海亀(おおうみがめ)がクルリと横向(よこむ)きになった。すると見えない何かに誘導(ゆうどう)されるように、甲羅(こうら)の丸い粒(つぶ)を手に取り、飲(の)み込(こ)んで甲羅(こうら)の頂(ちょう)上(じょう)へ上がり、馬乗(うまの)りに座(すわ)ってしまった。


「皆様、早朝(そうちょう)からのお見送りご苦労(くろう)さまです。これから五日(いつか)間(かん)だけ太郎様を海にお誘(さそ)いしますが、途中(とちゅう)で太郎様が引(ひ)き返(かえ)すとおっしゃれば、私が責任(せきにん)をもって浜へお返(かえ)しいたしますので、どうぞご安心(あんしん)ください。」

 ショウがゆっくり海へ、方向(ほうこう)を変(か)え沖(おき)に向(む)かう。ショウの挨拶(あいさつ)を聞(き)少し安堵(あんど)はしたものの、海中で豹変(ひょうへん)して襲(おそ)いかかって来るのではないか。不安(ふあん)と恐怖(きょふ)が渦巻(うずまい)いて、浜の方を振(ふ)り返る余裕(よゆう)などない。

 浜でも手を振(ふ)る者(もの)はおらず、見送(みおく)りというのに皆が胸(むね)の前(まえ)で手を組(く)み、神仏(しんぶつ)に祈(いの)っている姿だ。太郎を乗せた大海亀(おおうみがめ)が、うねる波の間に消(き)えた。


 海面を見つめる村の衆(しゅう)の後方(こうほう)で、おりんと梓(あずさ)が砂(すな)に崩(くず)れ落(お)ちているのを万作(まんさく)が見つけ、黙(だま)って隣(となり)に座(すわ)った。

「万作はん、あの子亀を質(しち)に取っとるじゃろな。縄(なわ)でしっかり繋(つな)いどるか。」

 万作は目を伏(ふ)せたまま、顔を横(よこ)に振(ふ)った。

「いいや。その話を親亀(おやがめ)にしたら、繋(つな)いで待(ま)っているように言うた。じゃが子亀(こがめ)を繋(つな)いでおいて、死(し)んだり病(やま)いになったりしたら、太郎の身が危(あぶ)ないでの。毎日(まいにち)、陽(ひ)が沈む頃に顔(かお)を見せるよう言い聞(き)かして、海へ放(はな)した。帰ってくるのが五日(いつか)後(ご)とは思えんが、心配(しんぱい)いらん。太郎(たろう)は必ず帰(かえ)るで。」

「何で、五日(いつか)で帰(かえ)らんと思うんか。」

「ワシが思うに……。短(みじこ)うてひと月、長いと一年先(いちねんさき)かもしれん。」


「そ、そんなに長(なが)いんか。なぜじゃ。」

 おりんの苦(くる)しそうな顔を見て万作は、音根と勘次も手招(てまね)きして呼(よ)び寄せ、横に座(すわ)らせた。

「弥助と勘次が、試しに海に潜(もぐ)った時(とき)じゃ。二人ともすぐ上がったと言うたが、浜では半刻(はんこく)も経(た)っておった。あの丸薬(がんやく)は、時(とき)の早(はや)さを変(か)えるのかもしれん。」

 四人の顔色(かおいろ)が変(か)わり、声が出(で)ない。

「ええか、五日(いつか)で帰って来んでも心配(しんぱい)いらんぞ。太郎は五日(いつか)後(ご)じゃと思うて帰るで、あきらめんと待(ま)とう。」

 朝日(あさひ)が差江(さえ)の山並(やまなみ)みから顔を出(だ)し、海面に長(なが)い光(ひかり)の筋(すじ)を引いた。


「おお息(いき)ができるじゃ、海の中とは思えん。」

 弥助と勘次が試(ため)しに海に入り、戻(もど)ってきたときの大袈裟(おおげさ)な興奮(こうふん)が信じられなかった。

 だが今は、二人(ふたり)と同じように興奮(こうふん)している。顔が水に浸(つ)かった瞬間(しゅんかん)、思(おも)わず息を止(と)めたが、そっと息を吸(す)い込(こ)んでみると、普通(ふつう)に呼吸ができたのだ。

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