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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
第一章
3/86

一-三

 当初とうしょおりんは何も言わなかったが、このままではべていけないと愚痴ぐちをこぼすようになった。もう鬼神(きしん)は出ないから、亡き父のりょうげと言う。

「父っちゃんは太郎が鯛漁の腕を上げ、おもてじまや北島の商人にたよられる男になってもらいたいと言うとった。ブラブラしとったら、ろくな大人(おとな)になれんで。」


 小言こごとを聞くたびに恐ろしい形相ぎょうそうの怪物が、頭上からおそいかかって来るのだ。

 半年ほどして、勘次かんじまで鯛漁に出ようとすすめるようになったが、そのたびに泣いてことわった。

「なあ太郎、もうあの怪物はおらんぞ。どっか遠い海へ行ってしもうたじゃ。ずっと姿見せんでな。もうこの漁場りょうばは安全ぞ。吾作ごさくは表島から帰って来たし、じきに藤造(とうぞう)も帰ってくるそうじゃ。」

 勘次(かんじ)の父は舟造りで、勘次も舟を造っている。おりんと勘次の母は、弥助やすけ組でコンブ干しをしている。勘次は舟の操櫓そうだが得意で、出来たての舟に乗せてもらい、海に出たことが何度かある。

 鯛漁を再開さいかいするべきかどうか、まだ迷う。怪物が出た海は恐ろしいが、母っちゃんが言うとおりはたらかないと生活が苦しい。勘次が言うように、もう怪物は遠くに行って、この漁場りょうばにはいないようだ。


 幼いころから臆病おくびょうですぐ泣き、年下の子にまで「泣虫なきむし太郎」とバカにされ、ずっと一人ぼっちだった。思い出といえば、父と漁にはげんだことしかない。

「オラから鯛漁を取ったら、何もない。海はオラの唯一ゆいいつの友達じゃ。どこかへ去った怪物を、いつまでも怖がっとったらいかん。」

 意を決し、勘次に鯛漁の再開さいかいを告げた。

「ええぞ。明日にでも沖に出て、ぐるっとまわろうじゃ。何もないって太郎にも分かるけえの。そうそう、これから組の名は太郎組じゃ。」


「そりゃ困る、勘次組にしようや。」

「何言うとる。太郎の父っつぁんの名が表島にも、北島にも通っとるけ太郎組じゃ。」

「そんじゃ、太作組のままで。」

 それからは、父に教わったつりじゅつを思い返しながら、一尾でも多く鯛を釣る工夫を続ける。

 相棒あいぼうになった隣家りんけの勘次と、出漁しゅつりょうするたびに必要ひつよう数の鯛を釣り上げ、表島や北島へ出向でむいて売りさばいた。


 怪物におそわれることも忘れていないので、父が残してくれた釣り舟には、りょうばら転覆てんぷくを防ぐはねのような板を取り付けた。

 さらに自分でたたいて作った長いやりを二本、足許あしもとに積み込んで漁に出た。

 槍の一本は何度でもくことができる真っ直ぐな穂先ほさき、もう一本は一度突き刺すと抜けないよう、先を折ってかえしを付けた穂先ほさきだ。


 来る日も来る日も鯛漁にせいを出したが、怪物が再び姿を現わすことなく五年が過ぎた。

 いつしか各地の商人(しょうにん)の間で〝(たい)()り名人〟と呼ばれるようになって、あの恐ろしい記憶きおくも薄れていた。


 丸い湾の対岸に、差江さえの町がのぞめる。

 差江は高い山に恵まれて大きな川があり、稲作、養蚕ようさん、林業が発達してにぎわう大きな町だ。山のふもとには、領主りょうしゅ差江さえしょうこうの城がそびえ、その下にさむらい屋敷やしきが並び、立派なみなともある。


 村の衆は差江(さえ)表島おもてじま、自分たちの集落を裏島うらしまと称している。

 差江とはりく続きであるが、古くから集落や町を島と呼ぶ習慣があり、自分達の小さな集落には地名がないので、こう区別しているのだ。

 この裏島は、円弧えんこを描く五丁(約五百m)ばかりのせまい浜に沿って、十六世帯・五十七人が身を寄せ合って、漁業で生計せいけいを立てている村だ。


 浜の後方こうほうは低いおかで、頂部ちょうぶに森はあるが川がないため土地はやせ、漁業以外の産業はない。

 暮らしはそれぞれの(くみ)った魚を表島や、北島と称している多賀(たが)へ出向いて売り歩き、その賃金ちんぎんで食品や着物きものくすりなどを買い込み、皆で分け合うまずしい集落しゅうらくだ。

 飲み水は、丘の中腹ちゅうふく井戸いどを掘ってまかなっている。


 浜の西方にしがたにはタコ漁の万作まんさく組、コンブ採りの弥助やすけ組、投網なげあみ漁の甚三じんぞう組と吾平ごへい組、イカ釣漁の周吉しゅうきち組が朝な夕なしゅつりょうし、五年前の怪物の事件をわすれたかのように漁に励む。

 東方ひがしがたは大きな岩が海から入り込んでいるため浜はせまく、勘次の家と我が家、丘の上り口にあって、漁をしていない音根(おとね)の家の三件しかない。


 ひる過ぎから海がれ始めた。東につらなる岩場には高波がくだけ、激しい音をたてて白いしぶきがい上がっている。

 浜にも繰り返し大きな波が押し寄せ、防風松ぼうふうまつに襲いかかる。北風はさほど強くなく、雲も走っていないのに、なぜか海だけが異様いように荒れているのだ。


 朝早く、表島から能勢のせ右門うもん名乗(なの)る侍の一行が万作の家に来た。用件ようけんは城の婚礼こんれいに供するあかつきだい百尾ひゃくび、明日の午のこくまでに納めるよう注文というか、命令が下った。

 万作が大慌おおあわてで我が家にけ込み、事情じじょうを聞いた。万作は顔が引きつっていた。


「表島の殿様とのさまに鯛をとどけんと、こまったことになるじゃ。」

 鯛は自分と勘次が専門なので命令を受けた以上、引き受けざるを得ないと言うのだ。

「えーっ、明日が城の婚礼こんれいじゃろ、今から鯛の百尾ひゃくびも釣って、持ってこいとは……。」

 勘次が(あき)れた顔で、万作をにらむ。

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