七
三-七
「太郎、大丈夫か。」
「だいぶ背中を打たれた。痛ってえ。」
「喧嘩か。」
「いや藤造が、この子亀を叩いたんで、護ろうとして。もうちょっとで死なせるところじゃった。」
おりんが海亀の子供に海水を掛け、甲羅が割れていないか確かめた。幸い傷もなく無事だった。
背中は痛むが、手足も首も引っ込めた子亀を抱き上げ、波打ち際まで運んだ。子供といっても直径二尺ほどあり、かなり重い。
「もう大丈夫じゃ。早よう、母ちゃんのところへ帰りな。」
そっと波打ち際に置いて、波が寄せて引く間合いを測り、尻をやさしく押して海へ滑り込ませた。
子亀は海に入ると、すぐ手足と首を出し、バタバタと動かしながら泳いで消えた。
「亀は元気そうじゃったな。よかった、よかった。」
五人が目を細めて海を眺めていると、半丁ほど先の海面に再び姿を現わし、プカプカ浮かんでこちらを向いている。
「あの子亀がこっちを向いとるぞ。礼を言うとるんかいの。」
ワハハと皆で笑いながら、手を振って応えると波間に消えた。亀がいなくなった海をしばらく眺め、万作は「これから藤造に尋問する」と言い残して帰った。
赤く膨らんだ夕日が水平線に近付き、あと少しでこの浜が闇に包まれる。藤造と殴り合った傷が痛むと言って、勘次が足早に帰った。その後ろを、おりんと並んでゆっくり歩く。
「もし、太郎様。」
背後から、いや確か海の方から、聞きなれない女の声がした。
二人が海の方を振り向くと、先ほど海亀の子供を放した波打ち際に、甲羅の幅が五~六尺、いやもっとあろう大海亀がいる。
いつの間に来たのか、太く長い首を上げてこちらを見ている。
「え、あの海亀が呼び止めたんか。まさか。」
動きを忘れて、大海亀を見つめる。背中がゾクッとするほど大きい。
「太郎様、我が子の命を助けてくださって、ありがとうございました。」
「ぎゃあ、亀が喋ったぁー。化け物じゃー。」
二人は一目散に浜を走り、我が家に駆け込む。すぐ戸にカンヌキをし、内側に板を立てて桶で動かないようにした。
おりんが梓に、海亀の化け物が出たと告げ、じっとしているように言った。行灯を消した暗い部屋で、外の様子に耳を澄ます。
「心配いらん、ここまでは来んよ。」
震える梓を抱き、おりんは戸の方を凝視している。命に変えても我が子を守り抜く、決死の面持ちだ。
「龍が死んだら、今度は海亀の化け物か。まったく……。」
半刻ばかり過ぎ、外はシンと静まって浜に打ち寄せる波の音だけが小さく聞こえる。
おりんが、そっと戸を開けて辺りを見回したが、何の気配も感じないと言う。
「もう化け物はおらんぞ。海に帰ったようじゃ。」
だが、波打ち際で喋った大海亀の「我が子の危機を救ってくださって……。」の言葉が、やけに心に引っ掛かって仕方がない。
---あれは藤造から救った子亀の親だろう。
命を助けてくれた子亀の礼に、親亀が何らかの方法で人間の言葉を身に付けて来たのだろうか。その親亀が礼を言いかけたのに、逃げ帰ったのだ。
物陰から浜辺を覗いた。すでに半刻も経っているというのに、夕日が沈んだばかりの明るい水平線を背に、首を長く伸ばした大海亀の姿影が見える。ずっと自分を待っているのか、逃げ帰ったままでは悔いが残る。
「母っちゃん、あの海亀はまだおるぞ。オラを待っとるみたいじゃけ。ちょっと行ってくる。」
「やめとけ、触らぬ神に祟りなしじゃ。そのうち海へ帰るけえ、放っとけ。」
「考えたら亀が、人間の言葉を話すとは思えんし、オラの名前まで知っとるのは変じゃ。誰かの悪さと思うで、調べてくる。」
亀は危険な化け物かもしれないが、このまま放っておけない何かが背を押す。もう浜はほんのり暗い。まだ足許は確かだが、提灯を手に亀の方へ向かう。おりんと梓も、後ろから提灯を照らして付いてくる。
「お前だけ、一人で行かせる訳にはいかんで。何ぞあったら一緒じゃ。」
三人は用心深く近付き、三丈(約十m)ほど手前で立ち止まった。ここなら襲われても、逃げることができる安全圏だ。
「来てくださいましたね。亀が人間の言葉を喋ったので、逃げるのは無理もありません。でも信じて待っておりました。私はショウと申します。」
浜に提灯を置き、腕を組んで腰を下ろす。その後ろにおりんと梓が立つ。強気を装ってみるが、恐ろしくて声が出ない。
「実は、亀は人間と話せるのです。私は一万年も生きていますから、魚や鳥、森の動物、そこに生えている木や草花とも、話ができます。」
「でたらめ言うな。誰ぞが亀の後ろに隠れて喋っとるんじゃろ。出て来い。」
おりんが恐怖を払うように、悪さをしているらしい誰かに向けて、大声で叫んだ。
亀が人間と話せるなんて、信じないのは当然と思ったショウは、傍らにいる息子のチャコに話す。
「あのお方が、お前を助けてくれたのですね。」
「うん、あの人だよ。ボクを抱えて波打際に戻してくれた。どうもありがとう。」




