七
二-七
すると勝手に右手が鉄砲を腰縄に差し、足許の槍を手にした。この方が確実と考えた訳ではないのに……何かが槍の方を選ばせた。
頭の中で「鉄砲はもっと近くで使え。」と、声が聞こえた気がしたのだ。
シャーと耳を突き刺す吠声とともに、半開きの龍の赤い口が一直線に降下して来た。
「えぇー、おわぁー。」
突き損ねたら終わりだ。渾身の力を振り絞って槍を龍に突き出すと、ゴツンという衝撃があり、どこかに刺さった手応えがあった。
だが降下してきた龍の勢いで、槍を掴んだまま舟から弾かれ、そのまま海中に押し込まれた。
舟には何度も突き刺せる槍と、一度刺したら抜けない槍を備えていたが、手に取った槍がどちらかわからない。
龍も、突然刺さった槍に驚いたのだろう。大きく後方へ反り、槍を振り払おうと激しく体をくねらせる。
恐怖で硬直した手が、槍から離れない。
どうやら一度刺したら抜けないよう、尖先に返しを付けた槍を選んでいたようだ。
槍を摑んだまま空中高く引き上げられ、右に左に、また上へ下へと振り回される。槍先を見ると龍のアゴの下、動物で言うなら首に刺さっている。
ここなら龍の口と自分の位置とは一定の距離が保てる。槍を離さない限りは、食われないと気付いた。
しかも、龍には前足がないので槍を掴んだり、払ったりできない。それなら槍にしがみついておこうと、両足も槍に絡める。
「離してたまるか。ここにおる限り、オラは食えんぞ。」
だが振り回されるほど槍が回転して、アゴの下の傷口を大きくしている。そこから黒い血が吹き出し、血のりが槍を伝って来る。
このまま堪えていても、血のりで手が滑って、いつか海に投げ込まれるだろう。
もう駄目かと諦めかけていると、龍がザブーンとしぶきを散らして海の中に突っ込んだ。
首と背中が海面に叩き付けられた。
「ぎゃ、痛てぇ。」
激しい痛みが全身を走ったが、槍の血のりは洗い流された。
ゴボゴボと海中深くに潜って行くが、龍のウロコから絶えず顔より大きな気泡が出ているので、それを口に入れて、少しは持たせることができる。
意識あるうちは絶対に槍を離すまいと、しがみついたまま堪える。
「く、苦しい、早う浮かび上がれ。」
祈る気持ちが通じたのか、龍が海上へ突き上がる。糊のような粘りのある海水にまとわり付かれながら、猛烈な勢いで海上に飛び出した。
「グァー。」
水の圧力は凄まじい。海面に叩きつけられた時とは違い、手足を引き千切られるような痛みを伴う。もう一度繰り返されると、おそらく身体が砕け散るだろう。
龍が槍を振り払おうと、さらに激しく身をくねらせる。目まいがし、手足の筋肉が引き攣ってきた。
この程度の傷で大きな龍が弱るとは思えないが、槍にしがみ付いているだけで、他に手立てがない。
もう手を離して、楽になりたい気持ちが頭をよぎった。だが、ここで食われたら音根も食われると、歯を食いしばって我慢する。
いよいよ体力が尽き、握力もなくなってきた。あと、どのくらい堪えられるか……。
「誰でもええ、早う助けに来てくれぇ。」
五年前は夜明け前だったが、今日は明るい。北島や表島からも、この大きな龍の姿は見えているはず。誰かが助けに来てくれると、無理にでも思いたい。
北島で畑仕事をしていた農夫が龍を見付け、大声を上げながら里へ駆け降りた。
「大変じゃー、大変じゃー。海に龍が出とるぞぉ。」
その叫びを聞いた人々が、仕事の手を止めて海岸へ走った。この海岸からは一里(約四km)足らずの距離なので、龍の動きも姿・形もはっきり見える。
アゴの下に人がいるところまでは見えないが、海岸では抱き合って立ちすくむ人、物陰に隠れて見る人と様々(さまざま)で、どの顔も一様に青ざめている。
「あれが龍か、ここから見てもでっけえ。」
「えらい暴れようじゃ。こっちへ来ると厄介じゃぞ。」
同じ時に、表島でも龍を目撃していた。こちらも海岸に人が集まっているが、四里ほど離れているため遠眼鏡でもよく分からない。
軍船五隻が港を出た。野次馬の小舟も十隻ほど追いかける。
シャー、シャーと龍の吠声が頭上で響く。ついに意識はかすんできたが、まだ途絶えてはいない。
突き刺さった槍の根元なら、ここより振れは小さいだろうと、残っている力で槍をよじ登り根元まで辿り着いた。噴出している血のりは、龍のウロコから飛び散るしぶきに洗われ、心配したほど槍に絡まっていなかった。
アゴの下には、一抱えもあるゴツゴツした岩のようなウロコが並び、硬い音を軋ませている。こんなウロコに挟まれたら間違いなく潰されるだろう。
だが槍にしがみ付くだけでは体力が持たず、遅かれ早かれ振り切られる。もう結果を考える余裕はない、一か八かで足をウロコに引っ掛けてみた。




