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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
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16/86

六

二-六

 嵐(あらし)は治(おさ)まりつつあるが、まだ東の岩場(いわば)から波の音が繰(く)り返し響(ひび)き、強い風がヒューヒューと木の枝を鳴(な)らしている。母の賛成(さんせい)を取り付け、ますます夢が膨(ふく)らむ。

 厳(きび)しかった夏が駆(か)け足で遠のき、秋の臭(にお)いが濃(こ)くなってきた。

 いつものように多賀屋へ鯛を納めに行くと「塾舎(じゅくしゃ)は基礎(きそ)工事(こうじ)が終わって、もう柱(はしら)が立っているぞ。」と升克(まさかつ)に案内された。五人の大工が忙(せわ)しそうに働(はたら)いていて、檜(ひのき)の香(かお)りが心地よい。


「太郎、ここがお前の鯛釣りを極(きわ)める場所じゃ。ここに集まる学(まな)び徒(と)を育てることも大事じゃが、お前にも学ぶ姿勢(しせい)がなけりゃ学(まな)び徒(と)は付いて来ん。教えるちゅうことは、学ぶより何倍(なんばい)も難(むつか)しいことぞ。」

「母ちゃんにも、同じことを言われたじゃ。オラに出来るかのう。」

 升克は腕(うで)を組(く)んだまま空を見上げて高笑(たかわら)いし、真顔(まがお)に戻ってニタリと笑った。

「それじゃよ太郎。自信(じしん)がないから何とかしようと考え、工夫(くふう)し、努力(どりょく)する。これが大事(だいじ)じゃ。自信(じしん)がないことに自信を持(も)て。」


 立派(りっぱ)な塾舎(じゅくしゃ)がもうすぐ完成する。楽しみな反面、不安もある複雑(ふくさつ)な心(こころ)で、升克の言葉を噛(か)みしめながら戻った。さらに鯛釣(たいつ)りの腕を磨(みが)くために、開塾(かいじゅく)の日が待ち遠しい。

 音根が料理(りょうり)や賄(まかな)いの修行を承知(しょうち)しているので、近いうちに升克(まさかつ)に会わせねばならない。

「母ちゃんが元気になったら、多賀(たが)屋へ行こう。朝(あさ)早う出たら、昼過(ひるす)ぎには帰れるで。升克さんは早い時期(じき)に来るように、と言っておったし。」


「母ちゃんは、もう元気だっちゃ。」

「そんじゃ、あさって行くとするか。あさってなら、ええ天気(てんき)じゃ。」

 明日は表(おもて)島(じま)に鯛を納(おさ)めて、米を買わなきゃならない。二日(ふつか)後に、初めて音根と二人っきりで舟に乗(の)ると思うと、心が踊(おど)る。


 今日(きょう)は音根と、多賀(たが)屋を訪問(ほうもん)する日だ。漁を終え、すぐ音根を迎(むか)えに行った。穏(おだ)やかな風、空に一面(いちめん)の白い鱗(うろこ)雲(ぐも)が輝(かがや)き、二人の初(はつ)航海(こうかい)を祝っているように思えて清々(すがすが)しい。

 小花(こばな)柄の着物(きもの)姿で舟に乗(の)った音根を、舳先(へさき)に座らせて櫓(ろ)を漕(こ)ぐ。音根の座姿(ざし)が水平(すいへい)線に重なると、岩に佇(たたず)む人魚のように見えて、幸せ感が満(み)ち溢(あふ)れる。

「ええ天気でよかった。北島まで一刻(いっこく)少々じゃから、ゆっくり海でも眺(なが)めて寛(くつろ)いでいたらええ。」


 だが音根は緊張(きんちょう)した様子(ようす)で、前方に霞(かす)んで見える北島(きたじま)をじっと見ている。まだ半(なか)ばも進んでいないのに、時(とき)たま不安(ふあん)そうに振(ふ)り返る、その表情(ひょうじょう)が何か険(けわ)しい。

「どうしたんじゃ。舟酔(ふなよ)いか、具合(ぐあい)でも悪(わる)うなったんか。」

「ううん、妙(みょう)な胸騒(むなさわ)ぎがするっちゃ。何か恐(おそ)ろしいことが……。」

 言葉に詰(つま)った音根は、顔色(かおいろ)がよくない。

「太郎さん、帰ろう。急いで戻(もど)って。」


 泣(な)きそうな声で叫(さけ)びながら、立ち上がろうとする音根。だが北島(きたじま)はもう目の前だ。あと少し辛抱(しんぼう)してくれと言い聞(き)かせながら、漕(こ)ぐ手を急ぐ。

 そのとき半丁(約五十m)ほど離(はな)れた右舷(うげん)に、ザザーと音を立てて大きな渦(うず)が発生した。すぐ波が舟の胴部(どうぶ)に押し寄せ、舟が持ち上がり大きく傾(かたむ)く。

---いかん、龍が出る。

 五年前は何が起こったのか見当(けんとう)が付かず、戸惑(とまど)うだけだった。今はそれが龍(りゅう)の襲来(しゅうらい)だと判(わか)る。


 巨大(きょだい)で恐ろしい形相(ぎょうそう)の怪物が、赤い口を開けて襲(おそ)って来るのだ。

---いやじゃ、こんな大事(だいじ)な時に。頼む、頼む、やめてくれぇ。

 もう逃(にげ)げることはできない。我(わが)が身はともかく、音根が襲(おそ)われる理由はない。何とかして護(まも)らないと……。

「音根、揺(ゆ)れで飛(と)ばされんよう、身を伏(ふ)せて舟の底板(そこいた)に掴(つか)まるんじゃ。」


 とっさに能勢(のせ)右門(うもん)に借りた鉄砲(てっぽう)に手が伸びた。すでに火薬(かやく)と弾(たま)は込めて蓋(ふた)をしている。松明(たいまつ)の灯火(とうか)用でもある火種(ひだね)を箱から取り出し、火縄(ひなわ)に点火(てんか)する。

 だがこの鉄砲(てっぽう)は水軍(すいぐん)用で、水を浴びても消(き)えないように火縄(ひなわ)に蝋(ろう)が塗(ぬ)ってある。ジリジリと音はするが、火が点(つ)かない。

「早く、早く点(つ)いてくれぇ。」


 渦(うず)の中から龍が現(あらわ)れたようだ、音で判(わか)る。激(はげ)しい水音(みずおと)が聞こえ、バシャバシャとしぶきが降(ふ)り掛(か)かった。

---あぁ、間に合わん。いや慌(あわ)てるな、慌(あわ)てても事は同じじゃ。

 点火に集中(しゅうちゅう)しよう。波が舟の胴部(どうぶ)に激突(げきとつ)し、再び三たび大きく傾(かたむ)く。

 胴の両側(りょうがわ)に板を取り付けてあるので、転覆(てんぷく)こそ免(まぬが)れているものの右へ、左へと海中(かいちゅう)に振(ふ)り落されるほど舟が傾(かたむ)き、しぶきが雨のように降ってくる。もう龍は上空(じょうくう)に舞(ま)い上がっているのだろう。


「音根、心配(しんぱい)するな。龍はオラがやっつけちゃるで。」

 どこからそんな勇(いさ)ましい言葉が出たのか、自分でも驚(おどろ)いた。ようやく火縄(ひなわ)に点火(てんか)した。縄(なわ)に息を吹きかけながら上を見ると、すでに上空(じょうくう)に龍の頭があり胴体(どうたい)をくねらせて、こちらを見ている。

---やっぱり龍じゃった。食(く)われる、嫌(いや)じゃあ。

 全身に旋律(せんりつ)が走り、頭の中はドンドンと太鼓(たいこ)の音が絶(た)え間なく響(ひび)く。


 龍が上空からこの舟に狙(ねら)いを付けたようだ。舟の揺(ゆ)れと膝の震(ふる)えで照準(しょうじゅん)が定まらず、命中(めいちゅう)する自信(じしん)がない。

 弾は一発(いっぱつ)限(かぎ)りなので、外したら万事(ばんじ)休(きゅう)すだ。

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