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三月の空は、やけに澄んでいた。
講堂から溢れる人の波。
写真を撮る声。
「おめでとう」の笑い声。
その中で、悠は少しだけ静かだった。
スーツ姿の自分が、まだ他人みたいに感じる。
学生証は今日で意味を失う。
でも、失いたくないものはひとつだけだった。
視線で探す。
朱里。
いつもより少し大人びて、
でも目が合うと、いつもの朱里になる。
「おめでとうございます」
そう言って、少しだけ照れて笑う。
悠は一瞬、言葉を失う。
「……ありがとな」
短い返事。
でも、その声はいつもより低い。
写真を撮って、
人混みを抜けて、
少し静かな中庭の端へ。
春の風が、裾を揺らす。
「社会人、ですね」
朱里が言う。
悠は少しだけ空を見上げる。
「実感ねえけどな」
それから、ゆっくりポケットに手を入れる。
朱里が気づく。
「……?」
小さな箱。
「プロポーズじゃない」
最初に言う。
朱里の目が丸くなる。
「え……」
箱を開ける。
中に並ぶ、細いリングが二つ。
派手じゃない。
でも、ちゃんと光ってる。
朱里の息が止まる。
「……悠さん」
悠は視線を逸らさない。
「春から環境変わるだろ」
「会える時間も、きっと今より減る」
朱里が小さく頷く。
「でも」
悠は一歩近づく。
「離れる気ない」
はっきり。
「俺のものって証」
その言葉に、朱里の肩が震える。
「……っ」
涙が、浮かぶ。
悠はリングを一つ取り出す。
「嫌なら言え」
念のため聞く。
朱里はぶんぶん首を振る。
「嫌じゃ、ないです」
声が揺れる。
悠は朱里の左手を取る。
小さい。
自分の手の中に、すっぽり収まる。
指先が少し冷たい。
「……震えてる」
「震えてません」
嘘だ。
でも、それも可愛い。
ゆっくり、指に通す。
ぴたりと収まる。
まるで最初からそこにあるみたいに。
朱里が息を呑む。
自分の指を見る。
光るリング。
それから、悠を見る。
「……ほんとに、いいんですか」
「なにが」
「私で」
悠は小さく笑う。
「今さら」
それから、もう一つのリングを手に取る。
何も言わず、朱里に差し出す。
朱里が一瞬きょとんとする。
「……?」
「俺のは」
「お前がつけろ」
朱里の目が大きくなる。
「……っ」
悠は何も言わず、手を差し出す。
「ん」
その無骨な手。
スーツの袖口から覗く手首。
いつもより、少しだけ大人に見える。
朱里は両手で、悠の手を包む。
大きい。
温かい。
指先が触れ合う。
ゆっくりと、リングを通す。
ほんの少し引っかかって、
でも、ちゃんと収まる。
その瞬間。
朱里の目から涙がこぼれる。
「……おい」
「だって……」
笑いながら、泣く。
「私のほうがもらってばっかです」
悠は首を振る。
「もらってるの、俺だから」
朱里が顔を上げる。
「覚悟もらった」
一歩近づく。
額が触れる距離。
「並ぶって言ったの、お前だろ」
朱里は小さく笑う。
「はい」
リングが、二人の指で同じ光を放つ。
約束じゃない。
婚約でもない。
でも、軽くもない。
「社会人になっても」
悠が言う。
「彼氏やめる気ないから」
朱里がくしゃっと笑う。
「やめさせません」
風が吹く。
桜が一枚、
悠は朱里を抱き寄せる。
「俺のものって言ったけど」
「俺も、お前のだからな」
朱里がぎゅっと背中を掴む。
「知ってます」
卒業。
終わりじゃない。
区切り。
春の始まり。
二人は同じリングをはめたまま、
ゆっくり歩き出す。




