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待ち合わせは、駅前の小さな広場だった。


冬の名残はあるのに、空気の奥が少し柔らかい。


コートと迷って、結局薄手のジャケットにした。

柄にもなく何度も確認している。


二十分前。


早すぎる。


分かってるのに、足が勝手にここに来ていた。


改札の方に目を向ける。


人の流れの中に、見慣れた黒髪が混ざる。


気づいた瞬間、呼吸が一拍遅れた。


私服。


図書館のカウンター越しじゃない。


淡い色のブラウスに、薄手のカーディガン。

肩にかかる髪が、風で少し揺れている。


小さい。


知っていたはずなのに、並ぶ前からもう実感する。


「神谷さん」


近づいてきて、少しだけ首を傾げる。


いつもより声が柔らかい気がするのは、外だからか。


「お待たせしました」


「いえ、今来たところです」


嘘だ。


でも、言わない。


並んで歩き出す。


横にいるだけなのに、距離感が分からない。


図書館ではカウンターがあった。

今日は、何もない。


肩が触れそうで触れない。


一歩分、ほんの少しだけ離れている。


それが逆に、意識を強くする。


展示会場へ向かう途中

街路樹の枝先に小さなつぼみが見えた。


「あ、桜」


篠原が足を止める。


見上げる仕草で、少し背伸びする。


自分の目線が自然に落ちる。


「もうすぐ咲きますね」


「そうですね」


会話は穏やかだ。


でも、沈黙が気まずくない。


それが逆に落ち着かない。


展示会場に入ると

人は多すぎず、少なすぎず。


並んでパネルを読む。


同じ方向を向いて、同じ文字を追う。


ときどき、顔が近づく。


篠原さんが少し身を乗り出すと、肩が触れる。


一瞬。


触れただけ。


それだけで、思考が途切れる。


「すみません」


小さく謝る声。


「いえ」


触れたのは自分の方かもしれないのに。


気づけば、展示よりも隣の体温を意識している。


自分の専門分野のはずなのに


篠原が真剣な顔で解説を読んでいると

視線がそっちに持っていかれる。


図書館では見えなかった横顔。


睫毛の影。


集中すると少しだけ口元が緩む癖。


知らなかったことが、今日一日で増えていく。


出口に向かう頃、外の光が少し傾いていた。


日が長くなっている。


三月の終わり。


春の入り口。


「面白かったです」


篠原さんが言う。


「神谷さんのおかげで」


その一言に、胸の奥が静かに熱を持つ。


「こういうのあったら」


言いかけて、止まる。


誘っているみたいだ。


「また、来たいですか」


展示のことなのか。


今日のことなのか。


曖昧なまま、言葉を落とす。


篠原は少しだけ考えて、それから笑った。


「はい。今日みたいに、なら」


春の風が、間をすり抜ける。


触れていない。


何も始まっていない。


でも確実に、昨日とは違う。


帰り道、並んで歩く距離が

ほんの少しだけ近くなっていた。


悠はまだ、それを恋と呼ばない。


けれどもう、


前みたいに、ただの利用者ではいられなかった。




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