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思ったより静かな待合室。
診察室に呼ばれて、椅子に並んで座る。
医師はカルテをめくりながら言う。
「内服で高温期は少し伸びていますね」
朱里が頷く。
「ただ、結果には至っていませんので」
そこで一度、目線が上がる。
「もう少し積極的にいきましょうか」
積極的。
その言葉が、やけに具体的に聞こえる。
「排卵誘発剤と、hCG注射を併用します」
注射。
頭の中で、その単語だけが残る。
朱里は「はい」と答える。
迷いがない。
「痛みはありますか」
俺が聞く。
「筋肉注射なので多少は。ただ、皆さん受けられています」
“皆さん”。
特別なことではない、らしい。
処置室に呼ばれたのは朱里だけだった。
「すぐ終わりますので」
看護師に言われ、待合室に戻る。
白い廊下。
注射。
さっきまでただの言葉だったものが、
急に現実味を帯びる。
針が刺さる。
その瞬間を、想像してしまう。
細い腕。
アルコールの匂い。
数分も経っていないはずなのに、長い。
俺は何もしていない。
ただ座っているだけだ。
ドアが開き朱里が出てくる。
何事もなかった顔。
「終わりました」
「どうだった」
「思ったより平気でした」
少しだけ腕をさする仕草。
そこに小さな絆創膏。
そこまでしなくても。
まだ、どこかで思う。
でも、朱里は普通に歩いている。
「段階、ですよね」
前向きでも、無理しているわけでもない。
ただ、淡々と受け入れている。
俺のほうが、追いついていない。
治療は一段上がった。
その実感が、俺のほうにだけ重く残っていた。




