精霊のうた、春の夜にふと現れる影。
夜風が、畑を通り抜けていく。
草が擦れ合い、虫が小さく鳴き、遠くでフクロウがひと声、啼いた。
ぼくは、今日もここに立っていた。
昼間のあたたかさは消え、春の夜は、ほんの少し肌寒い。
けれど、その静けさは、心地よかった。
「……にゃあ、今日は“来る日”かもしれないにゃ」
ノラが肩の上で起き上がり、耳をぴくぴくと動かしていた。
「春の夜は、“わすれられたもの”たちが舞いに来るんだにゃ。
それを“精霊の抜けがら”って言うにゃ」
ノラがそう言ったときだった。
畑の先、麦の穂の間に、ぽつ……ぽつ……と、小さな光が灯った。
蛍のように見えた。
けれど、蛍の季節にはまだ早い。
しかも、光たちはふわふわと人の背丈ほどの高さで漂い、歌うように、ゆらゆらと舞っている。
「にゃ……今年も来たにゃ。おまえにも見えるかにゃ?」
ぼくは答えられない。
けれど、“見えている”という気配だけが、風のなかに溶けていた。
光たちは、やがてひとつ、またひとつと増え、
まるで音のない音楽に合わせて踊っているようだった。
それは美しくて、どこか哀しかった。
「昔はね、もっと色があったにゃ。赤、青、金、緑……。
いろんな精霊が、田んぼや山や川にいたにゃ。にんげんと話す子もいたにゃ」
ノラが小さく目を伏せる。
「でも今は、もう“ぬけがら”だけ。残り香みたいなものにゃ。
あいつらは、ここにいた記憶だけで、踊ってるんだにゃ」
風が、ゆるやかに吹いた。
光たちがひときわ強く輝いたあと、少しずつ、またひとつ、またひとつと消えていく。
最後に残ったひとつの光だけが、ぼくの足元でふわりと揺れた。
そして、ふっと、ぼくの体を通り抜けて、空にのぼっていった。
「……おまえの中にも、精霊のなにか、残ってるのかもしれないにゃ」
ノラが、ぽつりと呟いた。
「おまえが案山子じゃなかったころの“抜けがら”、
まだここにあるのかもしれないにゃ」
静寂が戻ってきた畑で、虫の音がふたたび響きはじめた。
どこか遠くで、少女の寝息のような風が、通りすぎた気がした。
「いなくなった存在」が、最後に舞う。
それはただの残響かもしれないし、忘れられた命の記憶かもしれない。
案山子と猫のいる畑に、静かに降る幻想回。
ノラの語りに込められた“古き異界の名残”が、物語の核心へとつながっていきます。




