79.頼る人。頼られる人。
声をかけようかと思った。
けれど、なんて声をかける?
元気を出して?そもそも彼女が元気でないというのは思い込みではないか?
何かに失敗したり、何かを無くしたりした直後ならばまだしも、彼女に起きた出来事と言えば俺から「花乃宮高校」の感想を聞いただけだ。
そこに「元気を出して」というワードをぶつけるということはつまり、俺の感想が虎子の気持ちを沈ませるものだったということになる。沈ませた張本人が「元気を出して」なんて言葉をかけるのは最早皮肉以外の何物でもない。
どうしていいと思うの?単刀直入な言葉だ。だけど、それをぶつけたときに何が出てくるかは分からない。
その答えは、虎子が、俺にも見せたくない心の内奥に関係しているとしたら?詮索をすればするほど彼女の機嫌を損ねてしまう可能性がある。
分からない。
時間だけが過ぎてしまう。
虎子のことだ。しばらくしたらいつも通りに戻っている可能性はある。快活で、男勝りで“皆のヒーロー”の、九条虎子に。
それでいいのか。
彼女は今、ずっと見せてこなかった表情を見せている。
その表情は、美咲との関係性を進展させる上での障害になっているものではないのか。
それを取り除くことは、彼女……いや、彼女らの問題を取り除くことに他ならないのではないか。
絶好のチャンス、という捉え方も出来る。なんとも利己的な考え方だと思う。けど、この機会を逃したらもう、彼女は奥底にあるものを見せてくれないかもしれないのだ。
俺は決心して、
「虎子は、さ」
「ん?」
今は考えない。ただ、思いついたことを。
「こういう、その、話ってどう思う?」
「どうって?」
「えっとね……この話って、吹奏楽部の話なんだけど、吹奏楽部って、基本的には体育会系で、さ。だから、この話もそういう感じの話が多いんだけど、そういうのって苦手かなぁと……思って」
虎子は戸惑いながらも、
「え?うーん……それは、物によるかなぁ」
「後は、結構主人公の子とか、その周辺の子が、家族と揉めてて。そういう話ってもちろんあると思うんだけど、私はちょっと気になるんだよね。あくまで親の目線っていうか。うーん……うまく言えないけど」
それを聞いた虎子がぽつりと零すようにして、
「親の……目線」
一度零れたら、とどまるところを知らなくて、
「そっか……うん。そう、だよね」
ぽつりぽつりと語りだす。
「私、さ。一回これ、読んだことあるんだよね」
「そうなの?」
正直に言う。そんな気はしていた。
俺の「面白い」という感想に対しての反応が、明らかに読んだことのない人間のものじゃなかったからだ。
虎子は続ける。
「うん。ホントに流し読みだだけどね。美咲の部屋で待ってるときに、暇だったから。だから『折木さん』と関係があるとは思わなかったんだよな。キャラクターの名前とか、そういうの忘れちゃってたし。それで、さ。なんだろうな……面白い……っていうか、よくは出来てるんだよ?出来てるんだけど、遠い世界に感じるって言うか。そんな感じで。どうしても「面白い」とは思えなかったんだよね」
苦笑い。
俺は思う。
それはきっと逆なのだ。
虎子にとって「花乃宮高校」は“近すぎる”のだ。
そして“近すぎる”からこそ、その解決策に対してどうしても納得が出来ないのだろう。
作中。家族と揉めたキャラクターは、最終的に和解するに至っている。
その過程は良い言い方をすれば「両方が歩み寄った」もので、悪い言い方をすれば「よくあるテンプレートな仲直りに乗っかった話」だ。
家族、というのは難しいものだ。題材として最もポピュラーで、多くの読み手にとって身近なはずなのに、その語り口いかんでは響く相手と響かない相手ではっきりと分かれる。
「花乃宮高校」の話を虎子に当てはめるのであれば、彼女と、その「家族」が和解するのがそのシナリオの終着点だ。
そして、それこそが、彼女にとっての“遠い世界”なのだ。
虎子は、
「嫌いではないんだよ?だけど、うーん……ハマらなかった……ハマらなかったっていうのがいいのかな」
そう締めくくる。
きっと彼女は望むのだろう。今と同じ日常が続くことを。
きっと彼女は拒みたいのだろう。いずれくる日常の終焉を。
それでも彼女は声を上げない。俺はそれを「周りに対する見栄」のようなものだと思っていた。
今になって分かる。
それは違う。
彼女は諦めているんだ。
遠い遠い別世界を、叶うはずの無い未来を。手にしたかった喜びを、諦めているんだ。
それはきっと叶いっこない夢幻だと考えているんだ。そして、せめて最後まで、この期限付きの今を楽しもうと思っている。それが彼女の決心であり、選択なんだ。
甘っちょろいと言われるかもしれない。
現実を見ていないと怒られるかもしれない。
時には、本当の意味で痛い目を見てしまうかもしれない。
それでも、俺は、
「ねえ、虎子」
「な、なに?」
「これがしてみたい!みたいなことってない?」
「な、なんだよ急に」
そうだ。
唐突だ。
だけど、
「いや、なんとなく。ほら、今日の虎子ってずっと俺の意見を聞いてるじゃない?」
「それは……昨日の埋め合わせを」
「うん。だけどそれはもう、彼方へのプレゼントを選んでもらうので、十分埋め合わせてもらったから。だから、こんどは虎子のやりたいことを私がかなえてあげたいなって」
それを聞いた虎子は露骨に戸惑い、
「け、けど、そんなことをしてもらう理由は」
「あるよ」
「っ」
「だって、私は友達だから。もちろん、私に出来ることなら、だけど、なんだってするから。ね?」
と語りかける。
きっと、虎子は「誰かに頼る」ということが苦手なのだ。
理由は分からない。そんなことをしなくても切り抜けてこられてしまったから、頼るという行為自体に慣れていないという可能性もあると思う。
だけど、彼女が抱えている問題は明らか一人でどうにかなる問題じゃない。家庭内で起きた問題も、時に外部の人間の仲裁なしには解決しないのは、民事裁判がなくならないことを見れば明らかだ。
内奥に踏み込むことは、今はまだ出来ないかもしれない。
でも、「頼られる相手」になることくらいは出来る。小さな一歩だ。でも、確実に流れを変える一歩になるはずだ。
俺じゃ頼りないかもしれない。だけど、少しでも、力になれたら。今は素直にそう思う。
悩みを分かってあげられる人に、なりたいと思うんだ。
虎子はかなり考え込んだあげく、
「じゃ、じゃあ…………行きたいところがある、んだけど」
と切り出した。
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