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41.塗りつぶされた風景画。

 正直なところ、これで何かが変わるかは分からない。


 ただ、少なくとも(あおい)が一体何を考えて絵を描かないのか。その理由を探ることは出来るはずだ。


 そして、俺の目的はそこにある。


 そもそも碧と育巳(いくみ)の関係性がこじれているのは、碧が絵を描かないことで育巳が「実力はあるのに描こうとしない天才」に対して焦れていることにある。

だからこそ彼女は“あえて”人に聞こえるかたちで碧を“口撃”するのだ。そうすればプライドが許さずに、絵を描くようになるのではないかと思って。


 ところが、悲しいことにこれは全くの逆効果なのだ。なにせ碧が絵を描かない理由はもっと根本にあるわけで、煽られたから描くということはほぼありえないと言っていいはずだ。


 むしろ、育巳が自分に執着を持っていることが分かってしまえば、余計に絵を描かなくなってしまう可能性すらある。まさに北風と太陽。今育巳は北風のポジションを演じてしまっていんだ。


 では、どうすればいいか。


 答えは簡単だ。


 育巳が“描かない理由”を知ればいいのだ。そうすれば彼女はもしかしたら、色覚異常に気が付くことになるかもしれない。


 だけど、それでいいんだ。彼女の性格からして、それを無視しておくとは思いづらい。なんなら碧の実家に殴り込みをかけてもなんらおかしくはないはずだ。


 そういうのはもっと恋愛的なオーラが出ている状態でやってほしい気持ちはないでもないが、今はそんなことを言っていられるような状況ではない。まずは二人の関係を改善することからだ。


 押して駄目なら引いてみろ。北風ではなく太陽に。その転換さえあれば、きっと事態は上手く転がるはずなんだ。


 なので、


「あ、えっと……絵を描いてるところを見たいなって」


 半分は本当だ。育巳が一年間待ち望んでいたという本気は、俺だって見てみたい。

 が、碧は、


「えー……そんな凄いもんじゃないよ?」


 と渋る。まあそれくらいは想定内だ。なので、


「あの、実は私、絵が得意じゃなくって」


「そうなの?」


「はい。それなので、上手い人が描くところをみたいなって思って……風景画とか。写真も持ってきたんです」


 そう言ってポケットから取り出して手渡し、


「駄目、ですかね?」


 とどめに上目遣い(ただしほとんど髪に隠れて見えない)。これは俺の勝手な予測だけど、碧は割とこういうか弱い系に弱い気がする。勘だけど。


 が、その勘は当たっていたようで、碧は頭の後ろをぽりぽりと描きながら、


「…………育巳には内緒な?」


 と、条件を付けた上で、受けてくれた。



              ◇



 凄い。


 なんとも素人くさい感想だが、第一印象はまさにそれだった。


 渋々ではあるもの絵を描いてくれることとなった碧は、俺があらかじめ(不自然ではない形で)用意しておいたスケッチブックにさらさらと風景画を描いていった。その手には迷いがなく、線の数なんて大したこともないのに、きちんと風景画になっていく。


 残念ながらこの角度だと育巳には余りよく見えないかもしれないが、仕方ない。俺の目的は彼女に碧が絵を描くところを見せることじゃない。許してほしい。きっと後で山ほど見せてもらえると思うからさ。


「凄い……」


 おっと、声に出してしまった。


 が、それを聞いた碧は、ちょっと照れくさそうに、


「そんなもんじゃないよ。ほんと、大したことないって」


 謙遜する。ただ、その表情は心なしか明るかった。少なくともそこにはもう、あの日の碧はいなかった。よかった。これなら案外すぐ仲直りできるかもしれない。そうしたら、きっと色覚異常だって治せるはずだ。良かった良かった。これで全てが、


「─────────」


「え?」


 振り向く。


 今のは、なんだろう。


 部室内には俺と、碧。それから掃除用具入れに隠れている育巳しかいない。だけど、なんだろう。それ以外の声が聞こえた気がした。場所は、そう。ちょうど、俺と碧の間辺り。


「ん?どうした?」


 碧が、俺に尋ねる。どうやら彼女には聞こえなかったようだ。気のせいだろうか。嫌だなぁ……霊感があるとか、そういう設定は要らないんだけどなぁ……百合恋愛レーダーをつけておいて欲しかったよ。


 俺は首を横に振って否定し、


「いえ、なんでもないです」


「そう?」


 碧はまだ少し引っ掛かるような感じではあったものの、取り合えず話題を変え、


「そうだ、色も付けようか。折角だから」 


「え?」


「いいじゃん。折角だし。まあ、とは言っても、写真には色がついてないから、私が勝手に想像でつけるんだけどね」


「えっ!?」


 俺は思わず、碧の手元にある写真を見る。


 そこにあったのは確かにモノクロの写真で、これだけでは実際の風景がどんな色を持っているのかは分からない。だからこそ、碧は色を付けようなんてことを言い出せたのだ。


 もし仮に、写真の方に色がついていれば、それと大きくずれれば、違和感が生じる。だけど、元が白黒ならば「想像だから」と言って誤魔化せる。


 そう。碧の判断は何も間違っていないことになる。


 ただそれは、あくまで「写真が元から白黒だった場合」に限るはずだ。


 間違いない。俺が渡したのはカラーの写真だったはずだ。すり替えた?ありえない。俺が一体どんな写真を持ってくるのかも分からないのに、モノクロのものを用意しておくなんて芸当を碧が出来るとは思えない。


 混乱する俺をよそに、碧は手近にあった色鉛筆の箱を開け、絵に着色をしていく。


 そして、そこで俺は“とんでもない事実”に気が付く。


 なんだこれは。


 色鉛筆の順番が、箱のパッケージとは完全に違っていた。


  碧は最初に、地面に生えている雑草を塗るために、“本来緑色が存在するべきスペース”にある色鉛筆を手に取る。


 しかし、実際にそこにあったのは黒の色鉛筆だった。結果として、色鮮やかな草木になるはずだった盤面は壊死した植物の塊と化していく。


 次に碧は、“本来黄色が存在するはずだったスペース”にある色鉛筆を手に取る。恐らくは草木の微妙な色味も表現しようと思ったのだろう。


 しかし、実際に彼女の手に握られているのは赤の色鉛筆だった。結果として、壊死した植物からは致死量の血液が、


 ガタン!


 音がした。


 そこでようやく俺は、陰で進行していた“もっととんでもない事態”に気が付いた。

 音の正体は、掃除用具入れが開く音で、


「…………いっ、しき?」


 一色育巳が、仁王立ちしていた。


 その瞳は戸惑いと絶望と怒りが入り混じった、黒をしていた。

次回更新は明日(10/1)の0時です。

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