42.生まれ変わったのならば。
「なん…………ですか、それ。どういうことですか?」
漸くという感じで育巳が言葉を絞り出す。両手は爪が皮膚に食い込むのではないかというくらいに握りしめられている。
「どうって……っていうか一色、なんでそんなとこに、」
「質問に答えて!!」
あまりにも悲痛な叫びだった。
育巳は惑いながらも言葉を紡ぐ。
「だって……それ、どう考えても草の色じゃない!なんで?なんでそんな色になるんですか?おかしいじゃないですか!どうして……折角後輩が、笹木さんが見てるのに……!」
その訴えを聞いた碧は未だに自体が飲み込めないといった風に、
「そんな色って……私はちゃんと、緑色を……」
そこまで言って漸く自体を飲み込んで、俺に向かって、
「ねえ、華ちゃん。もしかして、さっきまで私が使ってたのって、」
そこで言葉を切って、ごくりと唾を飲み込んで、
「緑、じゃないってこと?」
俺は、縦に頷くしかなかった。そして、
「馬部先輩」
「な、なんだい」
「違ったらすみません……けど、あなたはもしかして…………色が、認識できないんですか?」
「…………っ!」
碧が、初めて平生を崩す。その表情は動揺と言うよりも……恐れ?
育巳が、
「色が認識できないって……ホントなんですか?先輩」
馬部は長い沈黙の後、
「……………………そう、だね」
育巳は再び激高し、
「なんで……なんでなんですか?なんでそんな大事なこと……だって、絵描きですよね?それが色を認識できないって……そんな大事なこと、なんで今まで」
「言えるわけないでしょ!!」
今までに聞いたことのないような、大声。
碧の瞳には、涙が溜まっていた。
「言ってどうにか出来る?出来ないでしょ?一色じゃどうにもならない!だから、ずっと伏せてた!だって、それを言ったってどうにもならないでしょ?だから、しょうがないじゃない!!」
支離滅裂だった。
恐らく、碧の頭の中でも整理できていないのだろう。
それでも育巳は責め立てる。
「そ、そりゃ、私の力だけじゃどうにもできないかもしれないですけど……でも!力にはなれます。なのになんで……あんなに……」
耳に聞こえる言葉が、遠ざかっていく。
まただ。
また、しっぱいしちゃったんだね。
おせっかい
どうしてそんなこと言うの?
無駄な言葉
意味のない努力
人の気持なんか知らないで!
何も分かってない!
もうほっといて!
────なんか、大っ嫌い!
遠くで、声が聞こえる。
華、しっかりしろ!大丈夫か。
華って誰だろう。
まあ、いいや。
そんなこと、どうでもいいよね。
だって、俺は……俺?俺って誰だ?
分からない。でも、もういいんだ。だって、俺の人生は終わったんだから。実際はどれだけ生きるべきか、なんてどうでもいいこと。事実は単純。不注意なモブが、トラックに轢かれて死んだ。たったそれだけだ。
ああ、痛いなぁ……気が付いたら、体中が痛い。なんだろう。幻肢痛ってやつなのかな。そんなもの、こんなところに持ってこないで欲しいなぁ。
「なんで……小太郎くん……そんな、嘘だよ……」
声が聞こえる。なんだろう。さっきまでは聴こえなかったのに。走馬灯ってやつなのかな。それともここはもう天国かなにかで、下界の声が聞こえてくるのかな。うん、きっとそうだ。ごめんね。結局、謝れなかったね。だから、天国から謝っておくよ。ごめん。本当にごめんね。
“私、正直最初あなたに会った時「ああ、とんでもないのが来たな」って思った”
とんでもないのとは失礼な。いいじゃないか百合恋愛が好きだって。むしろこれからのグローバルスタンダードを先取りしてると言って欲しい。
“でも、ずっと近くで見てて思った。ちょっと……かなり変な性癖は持っているけど、それ以外は極めてまとも……ううん。むしろ凄くいいやつなんだなって”
変な性癖って余計なお世話だ。でも、いいやつって言ってもらえるのは嬉しい。でも、俺はそんなやつじゃ、
“いい?華。もし何かあって、過去を思い出すことがあっても、惑わされないで。それはあくまでこの世界の話じゃない。あなたは生まれ変わった。過去は変えられなくても、未来は変えられる。あなたはそれだけの人間よ。それは、私が保証する”
生まれ変わった。
未来は変えられる。
そうだ。俺は生まれ変わったんだ。
俺は一回死んだ。トラックに轢かれて無残にも生涯を終えた。
けれど、それはあくまで“過去”の話じゃないか。この世界とは関係ない。俺はここではまだ、なにも“失敗”してないじゃないか。それに、
“悩みを、分かってあげられる人になれるといいね”
約束したんだ。悩みを分かってあげられる人になるって。
まだだ。まだ、
やり直せる。
「華ちゃん!?」
「笹木さん!?」
視界が段々とクリアになってくる。目の前には碧と、育巳だ。心配した目で俺のことを見ている。きっと、突然俺が倒れたんだろう。二人して寄り添ってる。俺が目を開けたタイミングの反応までピッタリ一緒。そんなに仲が良いのに、
「なんで……そうなるんだよ……」
ゆっくりと、両手で体を支えて、半身を起こす。二人が近寄ってきてそれを支えようとする。俺はそれをやんわりと拒否して、
「馬部……先輩」
「な、なに?」
動揺している。俺から語り掛けられるなんて思ってなかったんだろう。でも、言わせてほしい。
「あんたはどうして……可愛い後輩の思いを……聞いてあげられないんだ」
「そ、それは」
「一色先輩があんたの絵が好きで、書いてくれるのを望んでいるのなんてとっくに分かってるはずだろ?なのになんで描かない?」
「そ、それは……だって色が」
「それも話したらいいじゃないか。それともなにか?それで一色先輩が離れていってしまうって思ったのか?」
図星だったのだろうか。碧が視線をずらす。俺はなおも続ける。
「そんなことなんかあるわけないだろ……一年間だぞ?そんな間、描かない先輩をずっと待ち続けてるんだ……そんな後輩が……色覚異常を抱えてたくらいで……離れるわけなんかない……」
「笹木さん」
育巳が反応する。そりゃそうだ。彼女にとっては碧の絵はそれだけ衝撃的だったはずなんだ。じゃなければ一年間も待ったりなんかするはずがない。
俺は視線を育巳に向けて、
「一色先輩もです」
「わ、わたし?」
「今までずっと馬部先輩が……絵を描いてくれるところを待ってたんでしょう?それならどうして……もっと優しくできないんですか?」
「う」
一色がたじろぐ。それでも俺は続ける。
「色覚異常っていうのは……先天的でなければ……治る可能性もあるんです……そうしたら……また、馬部先輩の絵が……見られるかもしれないのに……どう……して」
呼吸が荒い。心臓の脈動がすぐそこに聞こえるような気すらする。
「折角……仲良くなれる……はずなのに…………それを…………ふたり、は…………」
「華ちゃん!?」
「さ、笹木さん!?」
俺は確かに生まれ変わった。
だけど、中身なんてそのままだ。臆病で、逃げ回って、立ち向かうこともなく死んでいったしょうもない男だ。
だから、俺にはこんな不器用なやり方しかできない。仲直りしてくれるだろうか。してくれるといいな。その時は、俺のことなんて忘れてくれてもいいから。どうか二人で、仲良くやってほしい。きっと、相性抜群だと思うから。
段々と、意識が薄れていく。
二人の声が、遠ざかっていく。
次回更新は明日(10/2)の0時です。




