62 物理法則を無視とは、今さら、なあ……
(1)
パク・ソユンとドン・ヨンファ、それからケ・ジウォンの三人は、逃げた倉沢くららとス・イジュンのあとを追いに向かった。
この場に残るのは、カン・ロウンとキム・テヤン、そして妖狐の神楽坂文だった。
浮遊する水のキューブ群を頭上にして、
「……」
と、妖狐は、無言で立っていた。
凛として佇んでいるようだが、どこか、身体がふらつこうとするのを抑えようとしているように見える。
やはり、ほとんど妖力が回復していないのかもしれない。
頭上では、水のキューブが、まるでデジタル的にも詰碁のように、人間たちを匣に閉じ込めようと、予測不能な動きをしている。
なお、水の匣に閉じ込められた人間たちだが、もう、すでに1分以上は経っていた。
大した時間ではないかもしれないが、水中で長いこと息を止めることができる人間だったり、そのような訓練を受けていない限り、数分とはいえ危ない時間だ。
すると、
――グル、ン――
と、水のキューブ群は、妖狐に標的を定めた。
「お、おい!! アンタ!!」
「に、逃げてー!!」
「捕まる!! 水の匣に、捕まっちまうぞォッ!!」
人々の叫ぶ声がする。
だが、妖狐は動くようすはなく、ただただ水のキューブたちに囲まれんとする。
「かっ、神楽坂さんッ!!」
「おっま、何を――!?」
カン・ロウンとキム・テヤンも、慌てる。
そんな中、
――スッ――
と、妖狐は、虚空に手を伸ばした。
「……」
と、動じることなく構える妖狐の手には、なんと――、西遊記や昔話の水筒でおなじみのアイテム、瓢箪があった。
これには、
「ひ、瓢箪――?」
と、カン・ロウンが拍子抜けし、
「ああ? 瓢箪だとぉ?」
と、キム・テヤンも、怪訝な顔をした。
「ふむ。怪異譚的には、ポピュラーなアイテムではないか?」
妖狐が答えると、
「いや、こんなもんで、どうするんだよ!」
と、キム・テヤンが、つっこみたくなる。
その間には、
――ドド、ドドド――!!
と、水のキューブ群が、妖狐にいっせいに襲いかからんとする!!
「まあ、見るのだ――」
妖狐は言うなり、瓢箪の口の栓を抜く。
すると、
――ズ、ウォォォンッ――!!
と、まるでブラックホールのように!! 瓢箪の口が、水のキューブ、および水の匣の水を、強力な力で吸い込みはじめる!!
頭上に会った数十体の水のキューブは、皆、みるみるうちに瓢箪に吸い込まれていき、また、水の匣も吸引されるにつれ、小さくなり、中に閉じ込められていた人たちの姿が露わになる。
終いには、水溜まりすら残さず、吸い取られたしまうと、
――ドサッ……
と、中に閉じ込められていた人が、崩れ落ちたり、膝をついたりする。
「ゲホゲホ!!」
苦しそうに、水を吐く者から、
「うごごッ!! へ……?」
「あ、あれ……?」
「たす、かった?」
と、思わぬ救出に、信じられないようすの者までおり、皆おのおの助かったことに安堵するものの、状況の理解が追いつかなかった。
先ほどまであった水のキューブや水の匣の、それなりに大量の水が物理法則を無視して瓢箪の中に吸い込まれるという、イリュージョンのようなことが起きたのだから、無理もない。
それは、カン・ロウンにとっても同様で、
「お、お、おお……!」
と、思わず、驚きの声を漏らした。
「お、おいおい、おい? この、吸い込んだ水ってのは、いったい?」
キム・テヤンが聞く。
「ふむ。当然、この瓢箪の中に、すべてある」
「この中に、ですか?」
と、カン・ロウンが聞き返すと、
「ああ、この中の中に」
「物理法則を、無視してねぇか、おい?」
「物理法則を無視とは、今さら、なあ……」
と、つっこみたいキム・テヤンに、妖狐が言いながら
「まあいい……。この瓢箪の水は、あとで、どこかに捨てておこう。とり、あ――」
と、そこまで言いかけたところで、
――ド、サッ……
と、妖狐は、ふたたび倒れてしまった。
「お、おお!?」
「だい、大丈夫か!? 君!?」
周囲にいた数人が駆け寄り、
「だ、大丈夫ですか!? 神楽坂さん!」
「おい! まだ、回復してねぇんじゃねぇか!」
と、カン・ロウンとキム・テヤンも、そばへ寄った。
「き、君、」
「き、救急車を!」
と、妖狐のことを妖狐と知らない通行人は、心配して救急を呼ぼうとするも、
「い、や、大丈夫だ……」
と、妖狐は立ち上がる。
「か、神楽坂さん、」
カン・ロウンも、心配するも、
「ソユンのやつらに続いて、連中を……、犯人たちを追う」
「お前? まだ、妖力残ってんのかよ?」
「そ、そうですよ、それなら、私とテヤンが、」
と、ふたりは止めようとするも、
「いや……、とりあえず、貴様たちは、この場を何とかしておくのだ」




