1 お尻の、見える――
この立場から水を眺めると、水(液体)の構造はけっして不変なものではなく、たえず生成消滅を繰り返している。その平均寿命はわずか10^-12秒程度の想像もつかないくらい短い時間である。このことを強調するために、特にダイナミック(動的)構造と呼ぶ。
水という物質の個性は水分子の構造にある。水分子は四本の腕をもっていて、その端を結ぶとちょうど正四面体ができる。水分子はこの形に似せた結晶をつくる。すなわち、氷は正四面体の格子からできている。水でもごく狭い範囲をみると、分子の並びは氷と似た配列を持っている。
**『ブルーバックス 水とは何か ――ミクロに見たそのふるまい』(上平恒)より
(1)
夏の、夕暮れ――
韓国は、ソウル市内のこと。
まあ、ソウル市内とはいっても、山がちというか、山の多い街であり、近代都市の喧噪からすこし外れるようにして、そのような山すそには別荘地があった。
その中の、とある別荘でのことである。
近代的なデザインの屋敷と連なる形で、水の、清らかに流れ落ちる、庭園とでもいうべき空間。
まるで、建築の教科書に出てくる、フランク・ロイド・ライトの建築、『落水荘』にも通ずるところのある、幾重から長方形コンクリート床を組み合わせた、水の、流れ落ちる空間が設けられていた。
そんな落水と流水のそばで、この別荘を訪れた2・30代前後の7人の男女のグループが、夕暮れのひとときを、涼みながら愉しんでいた。
男のほうも、女のほうも、モデルやアイドルというか、美容整形顔のように整った顔立ち。
なお、夏の軽やかなファッションながらも、それらはハイブランドであったり、また、同じくブランドものバッグだったりサンダルだったりと、少々お金を持ってそうな雰囲気のある若者たちだった。
まあ、こんな別荘に来ていることから、お金持ちか、あるいは“お金を持っている風のビジネス”をしている人間かと思われる。
とりあえず、いったん、彼らの素性や生業についてはさておいて、
「ほんと、いつも思うけど、なかなかに、いい場所だよな」
男のひとりが、そう言って、
「何か、この雰囲気、どこかで見たことあるような?」
と、女が言った。
それを聞いて、キザなお坊ちゃま風の、別荘の持ち主の男が、
「ああ、フランク・ロイド・ライトの、『落水荘』を参考に、デザインさせたんだ」
と、ドヤ顔で答えながら、スマホの画面を見せる。
そこに映るのは、その、『落水荘』の画像の数々。
山間の緑の中、薄べったい直方体をずらしながら重ねたような建築物のすそを、ゆるやかな渓流のように水が流れる。
近代建築ながら、自然と調和するのを計算されつくした傑作であろう。
「有名な、アメリカの建築家さ。建築の勉強をしている人間なら、誰もが、知ってるんじないかな」
持ち主の男が、そう捕捉する。
そのように、フランク・ロイド・ライト建築に倣ってデザインされた、コンクリートの、長方形の薄い板というか箱というかを、少しづつズラしながら重ねたような空中床。
そんな中を、まるで布のように流れ落ちる、流水の美。
中心には緑があり、なおかつ、ワンポイントのように、まだ大きくはないものの松が植えられているという。
さながら、現代アート作品のような庭園とでもいうべきか――
なおかつ、プールのように緩やかな流水の流れるそばには、手すりのない、単純な階段が設けられていた。
「おっ? ちょこんと、階段があるね」
すこしスケベそうな男のひとりが、気がついて言った。
「ああ♪ そこは、エロく、足の見えるのがポイントだな♪」
持ち主のキザ男が答える。
「お尻の、見える――」
と、添えながら。
すると、
「おい! ヨナ! ちょっと、その階段、歩いて見てくれよ!」
と、スケベ男が、ドボン――! と、プールに入りながら指さした。
「は――?」
ヨナと呼ばれた女が、大きな声で、「は?」の顔で反応する。
確かに、ミニスカートをはいたセクシーな女であり、スケベ男としては納得なところだろう。
すると、
「おっ? いいぜ♪ 俺が、歩いてってやんよ!」
とここで、すこしぽっちゃりとしたサングラス男が、グイッと短パンをハイレグのように上げながら、階段を、ブルブル――! と、足と尻を揺らしながら歩いて見せる。
「うっげッ!? 誰も、お前のなんか見たくないっての!!」
「ハハハ!」
「やだぁ!」
「ああ、もう! きったねぇ!」
と、つっこむ声と、面白がって笑う声が飛び交いながらも、
「おいおい! 何で、そんな、リオのカーニバルばりに揺れてんだよ!」
と、皆の言葉に、男は余計に激しく足と知りをゆらしてみせる。
そうしているうちに、テンションがあがると水辺に入りたくなるのは、道頓堀も、朝のラスベガス警察24時も共通なのだろう。
ましてや、涼しくなってきたとはいえ、まだ暑さの残る夏の夕暮れである。
その水辺が、清涼な流水と来れば、誰しもが入りたくなるのも無理はない。
ひとりが、
――ザッ、パンッ――!!
と、流水の滝に入りて、
「おいッ!!」
と、女性陣に向かって、
――バ、シャッ――!! バ、シャッ――!!
と、水しぶきを飛ばし、イタズラしてみせる。
「きゃっ!!」
思わず腕で防ぐ女と、
「ちょっと!!」
と、また別の女が、男の水しぶき攻撃に応戦するように水辺のほうへ接近し、
――バシャッ!!
と、やり返しにかかる。
水辺を前に、はしゃぐ彼らの姿を見て、
「ハハッ!」
「おっ、いいねぇ♪ 俺も、入ろっかな?」
と、他の者たちも、水辺にちかづく。
そんな、彼らの姿を眺めながら、
「ハハッ、あいつら、」
「フフ……♪」
と、別荘の持ち主の男と、相方の女が、プールサイドによるあるラグジュアリーな寝椅子にもたれていた。
また、男の手元のロー・テーブルには、ノートパソコンがあった。
片手で操作する、パソコンの画面――
そこには仮想通過だったり、何かの株取引だったりと思しきウインドウが開いていた。
まあ、この男も、“そうしたこと”を生業にしているのか、あるいは、そもそもお金があって、片手間にしているのだろう。
それは定かでないが、さておいて、
「ねぇ? いつ、ディナーにする?」
と、寝椅子に腰かけた女が、見おろす形で聞いてきた。
「そう、だなぁ……?」
男は、顔を上げながら、
「これから、もうすこし、日が落ちたらかなぁ?」
「そしたら、そろそろ、何頼むか決めたほうがいいんじゃない?」
「ああ、そっかぁ」
と、相づちした。
ディナーは、BBQをしたり、自分たちでつくったりするわけではなく、デリバリーを呼ぶつもりでいた。
「まあ、とりあえず、酒だけは、いろいろ用意してるからなぁ」
「お酒は、何があるの? チャミスルはシャーベット酒、飲みたい」
「ああ、キンキンに冷やしているぜ♪」
と、ふたりは、まずお酒を思い浮かべた。
なお、シャーベット酒とは、焼酎だったりビールだったり、酒を過冷却することによって、グラスに注いだ際に、シャリシャリとシャーベット状になる酒である。
暑い夏には、とくに人気である。
「この、スイカのシャーベット酒、飲んでみたい」
「おおっ、いいねぇ」
ふたりは、スマホを見る。
確かに、赤と緑の、スイカを思わせるシャーベット状のカクテル。
なお、種は、チョコの欠片を用いているのだろう。
その、お洒落な見た目と、すこし甘酸っぱいスイカのフレーバーの冷たいシャーベットを想像するに、“飲みたい欲”が、かきたてられる。
まあ、飲み物については、心配する必要がないので、
「ねぇ? それで、何頼む?」
「そう、だなぁ?」
と、ふたりは本題の、料理をどうするかについて考える。
「まあ、つまみながら食べれるものが、いいかなぁ?」
「ピ、ザ? とか?」
女が、ピザを思いつく。
「おっ? ピザ、いいかなぁ?」
「あとは、まあピザだけじゃ物足りないし、オードブルとか」
と、その埋め合わせは、適当にパーティとかのオードブルを考える。
それであれば、韓国風、洋風にと、いろどりを持たせることもできるだろう。
まあ、どちらにしろ、屋外で酒を片手につまめて、なおかつ、傷みにくいものがいいだろう。
そんな中、女が、
「肉寿司――、何か、これとか、映えそうなんだけど」
と、スマホを見せた。
いわゆる、“高級そうで、何か見た目の映える料理”を扱っている店のようであったが、
「やめとき、やめとき」
と、男が、制止した。
「え――? なん、で?」
「映えそうなヤツって、たいてい、実物を見ると、がっかりするってこと、あるじゃん?」
「ああ、あるわねぇ。届いて見たら、ショボかった、って」
ふたりは、SNSとかで、『デリバリー頼んだら、画像と違ってガッカリした』との投稿が、たまに流れてくるのを思い出した。
「まあ、店に食べにいくならまだしも、デリバリーだと、特にね」
男が、そう捕捉する。
そうして、ふたりは、とりあえずピザと、各種オードブルを適当に注文することにした。
日が、さらに沈む。
落水の庭園に、射しこむ茜色と、そのシルエットの黒。
その、陰と陽の対比が、何とも美しかった。
「わ、ぁぁ……」
「綺麗……」
「おおっ……! こいつは、いいなぁ……」
と、水辺のほうで戯れていたメンツたちも、その手を止めた。
そこへ、
「――だろ?」
寝椅子から起きあがった持ち主の男が、すこしドヤ顔して、
「この庭園は、朝夕が、一番美しいんだ」
と、言った。
そうして、思い浮かべる。
朝に飲む、コーヒーや、茶――
夕暮れには、軽く、アルコールを一杯やりながら愉しむ、流水と落水の美と、その調べ――
何とも、豪華なひとときだろう。
持ち主の男は、
「ふぅ……」
と、夕暮れの闇に沈む落水庭園と、そこにいる仲間たちを眺める。
眺めつつ、ディナーに、そのあとの“夜の愉しみ”に――、と思いをめぐらせる。
まあ、こうして男女が集まっているわけであるし、充分に部屋はあることから、“何を”か――? は、想像できるかもしれないが。
そうして、
「……」
男が、ぼーっ……と、眺めているときだった。
先ほど水辺に入った男が、何を思ったのか、バケツか何かを持ってきており、“やる気”満々で、それを肩慣らししてみせる。
彼は、それで、“大暴れ”するつもりのようで、
「ちょっ、ちょっと!!」
「おいおい!!」
「濡れちゃうじゃない!!」
などと、水辺の近くにいたメンツたちはあわてる。
だが、すでに男は水を滴りながら、
「それっ!!」
と、おおきく振りかぶって!! 水を、バッシャー!! とやろうとした――否、実際に“やった”。
しかし、その時――、
――ピ
――タッ……
「「「――えっ?」」」
「「お――?」」
「「――い?」」
と、“制止したように”、一瞬――
それはまるで、皆が、“時間停止・魔法”にでもかかったようだった。
すなわち――
あろうことか――? 水が空中で、
――ピタ、リ……
と、崩れたの形のままで、完全に“制止”したのだ。




