第一章:灰と星の少女 第3話 寂れた砦、最初の命令
武技は身を護る。
だが、戦場で兵を動かすのは――冷たく燃える意志だ。
東の丘に煙があがる。
砦の空気が凍ったように静まり、兵たちはざわめきながら武具を掴んだ。
「索敵班、前へ! 五騎、偵察!」
ロウガの声が飛ぶ。
兵たちは慌てて動くが、足並みは揃わない。剣に埃がついたままの者もいる。
(だらしない……いや、弱さに慣れた軍)
アリアの胸に冷たい理解が落ちる。
やがて、偵察の一騎が戻った。
馬は泡を吹き、兵の顔は蒼白。
「……盗賊団です。二十余り。弓持ちも」
騒めきが広がる。
丘の向こう――帝国の田畑を狙う野盗だ。だが今は、孤児の少女でも見逃さぬほど、血気に飢えている。
ロウガは短く考えたのち言う。
「全軍、北門展開! 歩兵十五、弓隊六! アリア、後衛に残れ」
アリアは首を振った。
「――前に出ます」
ロウガの目が細くなる。「命令だ」
「戦えぬ者が、兵に命じられません」
静かな声だった。反抗ではない。事実の確認。
砦の兵たちが息を呑む。
ロウガの視線も鋭さを増す。上官として、かつ戦場の獣として。
(ここが境目だ。従うだけでは、成り上がれない)
ロウガは舌打ちして言った。
「なら三番槍列。死ぬな」
「ありがとうございます」
北門。
冬の野草が霜をまとい、足元でぱきりと鳴る。
兵たちが半弧を描き、盾を並べる。だが列は歪み、矢の雨に耐えるには心も体も薄い。
アリアは深く息を吸う。
掌の、封じた紋章が熱を帯びる。まだ使わない。
ここで魔を晒せば、命は長くない。
(まずは兵を動かす。剣より、言葉で)
「槍、左へ半歩。前列、膝を落として」
誰も動かない。
新参の少女の声など、聞く理由がない。
だがアリアは続ける。怯まず、静かに。
「盗賊は散開して突っ込みます。列が歪んだままでは中央が割られます。
盾は重ね、槍は喉を狙って。脚を止めさせれば勝てます」
声に奇妙な重さがあった。
焚かれた家の娘の声。
炎で染まった幼心の決意が滲む。
一人、二人と兵が動き始める。
やがて列が整い、盾の金具が固く打ち合わされた。
「……なんだ、あの目。子供じゃねえ」
短く誰かが呟く。
アリアの喉が震えた。だが表情は崩さない。
丘の上に黒い影が揺れる。
野盗が怒号を上げながら雪崩れくる。
弓隊が矢を放つが、乱れ、半分は土に刺さる。
ロウガが前に出て叫ぶ。
「耐えろ! 踏みとどまれ!」
盾と盾がぶつかり、土が跳ね、喉が裂ける叫び。
アリアの足元にも泥が飛ぶ。
視界の端で、兵の槍がへし折られ、敵が割って入ろうとする。
(ここだ)
アリアは前に踏み込む。
木剣ではない。貸与された鉄剣。重い。
敵の脇腹――皮鎧の隙間に刃が沈む。
手が震え、骨を伝う感触が腕を痺れさせる。
だが、眼差しは凍っていた。
「下がれ。列を守る!」
彼女の声に、隣の兵の心が繋がった。
「……ああ、任せろ!」
乱戦は短かった。
野盗たちは、整えられた盾列とロウガの槍さばきに押し返され、丘へ逃げ散っていく。
血の匂いが、朝露の甘さを飲み込み、砦前に残る。
静寂。
蒼い空に吐く息が白く揺れる。
ロウガがアリアを見た。その目は評価でも敬意でもない。測る眼だ。
「命令、だったな」
「戦場では、です」
ロウガは鼻で笑った。
「……厄介な奴を拾った。いや――軍には必要か」
アリアは返さない。
胸に残るのは勝利の余韻ではない。手のひらの震えでもない。
(血の、匂い)
喉の奥に、忘れられぬ夜が蘇る。
燃える屋敷。倒れる忠臣。母の手の温度。
そのとき、背後で声がした。
「新入り!」
振り向くと、煤の髪で片目を布で覆った青年兵が立っていた。
薄い笑み。だが瞳は深い影を持っている。
「名前は聞いた。アリア、だろ。俺はルーク。投石隊だ」
彼は静かに頭を下げる。
「今日、あんたがいなきゃ、俺は死んでた。……礼を言う」
アリアは短く頷いた。
戦場で礼は軽い。生き残りが、今は全て。
ミラが駆け寄ってきて、そっと手を握る。
「……大丈夫ですか、アリア?」
「まだ震えています。でも、止まりません」
風が吹き、血の匂いとともに灰色の雲を運んだ。
遠くで、鐘が低く鳴る。
帝国北境。
戦火はまだ小さい。だが、これは序章だ。
アリアは拳を握る。
(休む暇はない。弱者のままでは、また奪われる)
灰の中に、確かな星の光がひとつ。
道はまだ細い。だが、確かだ。
アリアの初陣、初指揮。そして砦に芽生えた“火種”。
次話では、
砦内の派閥と腐敗
ロウガとアリアの相互理解の始まり
帝都から届く不穏な文書
そして「血誓」の代償がアリアの身体に浮かぶ
を描きます。




