第六章 選択編 第13話 責任者を探す声
自由に決めたはずのことでも、都合が悪くなれば、人はすぐに責任者の顔を欲しがる。
それは卑怯だからというだけではない。恐れには輪郭が必要だからだ。輪郭のない不安は際限なく広がるが、誰か一人に形を与えれば、とりあえず怒りの置き場ができる。だから国でも村でも、責任はしばしば理解される前に“探される”。
ベルノで最初に吊るし上げられたのは、自由取引を支持した代官ではなく、地元の市場監督官だった。
彼は市場の秩序維持を任されていただけで、政策決定の中心ではない。だが毎日市場に顔を出し、貧しい者たちの怒鳴り声を最も近くで受けていたから、真っ先に憎まれやすかった。商人と癒着している。見て見ぬふりをした。買い占めを止めなかった。そんな噂が一気に広がり、ついには監督官の家の窓ガラスが割られたという報告が届く。
ミレスの討議所でそれが読み上げられると、場はしばらく重い沈黙に沈んだ。
「そいつ一人が悪いわけじゃないだろうに」粉屋の妻が呟く。
「でも現場で見えるのは、そいつなんだろ」皮なめし職人が低く言う。
「だからって石を投げるのか」
「石を投げたくなる気持ちはわかる」
その言葉に、何人かが顔を曇らせた。
“わかる”という感情は危うい。
正当化ではなくても、暴力に寄り添う入り口になる。
ネヴィルは記録を取りながら、誰が責任を持つべきなのかという問いが、この数週間でまるで別の重さを帯びたのを感じていた。以前は役所と民衆の境目でその問いが立っていた。今は、討議所の中にも、村の中にも、職人の輪の中にも落ちてくる。
イリサの提案で始まった段階的放出も、十日を過ぎると不満が出始めた。
選ばれた家。
選ばれなかった家。
記録を公開すればするほど、“なぜうちは外れたのか”という声が具体的になる。
記録は公平のためにあるはずなのに、同時に不満の焦点もはっきりさせる。
ある夜、倉庫の二階で年老いた男が声を荒げた。
「結局、誰が決めたんだ。うちの娘のところは外れたぞ」
「基準は前に皆で話したでしょう」リュシアが答える。
「皆で、って何だ。ここにいた連中だけじゃないか」
「だから公開して――」
「公開したから納得しろってのか!」
レオネルは階段の下でその怒鳴り声を聞き、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
誰かの不満は、制度の不備だけから生まれるわけではない。
制度が丁寧であればあるほど、自分がそこから零れたことも丁寧に可視化される。
それは残酷さでもあった。
翌日、役所に匿名の投書が届いた。
備蓄放出の判断は不公平である。
討議所に出入りする者たちが口を利いている。
役所は責任を曖昧にするな。
最後の一行には、強い筆圧でこう書かれていた。
誰が決めたのか、名を出せ。
その紙を見たネヴィルは、喉の奥に苦いものを感じた。
名前を記録することの意味は、つい先日まで誇らしくもあった。
だが名が残るということは、矢が飛んでくる先も定まるということだ。
「記録を残すのが怖くなるでしょうね」
マイナが横から言った。
「ええ」
「でも消したら、もっと都合よく書き換えられる」
「わかっています」
「わかってるなら、震えながらでも続けなさい」
その言い方に慰めはない。だがネヴィルは少し救われた。
優しい励ましより、仕事として続けるしかないという冷たさの方が、今は頼りになる。
夜、宿の一室でアリアは各地の投書や請願の抜粋を読んでいた。
責任者を明示せよ。
地方判断の失敗に中央はどう関わるのか。
討議の代表は正式に任命された者ではないのに、なぜ町を左右するのか。
紙の上の声はまだ整っているが、その底にある苛立ちははっきりわかる。
「責任の分散は、人には不快だ」
エリオンが言った。
「ええ」
「誰もが少しずつ関わった失敗より、一人の明確な失敗の方が扱いやすい」
「だから王が好まれるのよ」
「好まれるというより、必要とされる」
アリアは紙を置き、指先を額に当てた。
「わかってるわ」
「なら、お前は人の性質に逆らっていることになる」
「そうかもしれない」
「“そうかもしれない”では済まない段階に入ってる」
その口調は厳しかったが、責めるためだけではなかった。
エリオンはいつも、彼女が理念を言葉にする時、その代価を具体的に指し示す役を引き受けている。
「責任を分ける仕組みを作るなら、責任を引き受ける手順も同時に必要だ。今は皆、選ばされて、失敗したら互いに指をさしているだけだ」
アリアはその言葉を聞き、長く黙った。
彼が正しい、とすぐには言いたくなかった。
だが正しさを認めないことで現実が軽くなるわけでもない。
「まだ、手順までは届いていない」
ようやく彼女がそう言うと、エリオンは低く返す。
「届くまでに、何人が石を投げられる」
答えはなかった。
責任者を探す声は、すでに町の路地にも、市場にも、役所の机の上にも満ち始めている。
そしてその最後に、最も大きな名が呼ばれる日も遠くないと、アリアは知っていた。




