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灰冠(はいかん)の大陸アルメリア  作者: たむ


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第六章 選択編 第11話 違う答え

 夏の入り口は、いつも同じ顔では来ない。


 南から乾いた熱を連れてくる年もあれば、北の冷たい風を長く居座らせる年もある。そのわずかな違いが、畑の色を変え、家畜の痩せ方を変え、市場で人が怒鳴る理由を変える。帝都の政務院ではそうした揺らぎを数字で読むのだろうが、地方ではもっと直接に、朝の空気や土の匂いとしてそれを知る。


 ミレスでは、この夏はまだ“どちらにも転びうる夏”として始まった。


 南堰の補修は効いていた。水路は持ちこたえ、春先に恐れられた洪水は避けられた。一方で北の冷え込みの影響はじわじわと残り、村ごとの作況にはばらつきが出ている。市場では穀物の値がゆっくり上がり、備蓄放出の暫定策はかろうじて人心をつなぎ止めていた。


 イリサの案から始まった段階的放出は、最初の十日をひとまず無難に終えた。配給量は少なく、誰も満足はしていない。だが少なくとも、“全部出すか全部抱えるか”という乱暴な二択から町を引きはがす役には立った。レオネルはその記録を読みながら、安堵というよりも、綱の上をまだ落ちずに歩けているだけの緊張を覚えていた。


 その頃、近隣の町々でも、それぞれの答えが出始めていた。


 東のセイランでは、市政会議が正式に市場統制策を決定した。北通りの舗装を優先し、物流を守るために商人への通行税を一時軽減する代わり、穀物価格の過度な吊り上げには監査を入れる。表向きは整然とした政策で、有力商人たちも納得しやすい折衷案だった。


 一方、西の農業都市ベルノでは逆の選択がなされた。彼らは市場への介入をなるべく避け、自由取引に任せる方針を取った。価格が上がれば他所から穀物が流れ込み、結果的に供給が均されるという考えだ。ベルノの代官は「統制は短期的に安心を与えるが、長く見れば流れを殺す」と言ったと伝えられた。


 さらに南方の小領では、村ごとの備蓄をそのまま各共同体に委ね、外からはほとんど口を出さないという古い慣習に戻る動きもあった。


 同じ問題に対して、答えが三つ、四つと生まれる。

 それは理念としては豊かさかもしれない。

 だが現場でそれを聞かされる人間にとっては、正しさの形がばらばらに増えていく不安でもあった。


 ミレスの討議所では、その報せがすぐ話題になった。


「セイランは税をいじったらしいぞ」


「ベルノは放っとくんだとさ。商人が勝手に運んでくるのを待つって」


「そんなのでうまくいくのか?」


「うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない」


「便利な言い方だな、おい」


 肉屋が吐き捨てるように言い、何人かが苦く笑った。


 リュシアは記録紙を前に、周囲の顔を見回した。


「大事なのは、同じ答えじゃないことそのものかもしれないわ」


「何が大事なんだ」皮なめし職人が不機嫌に返す。「違う答えが増えたら、余計にどれを信じていいかわからなくなる」


「今までは“上が決めたから”で済んでいたものが、今は理由まで問われるからよ」


「理由で腹は膨れん」


「でも、理由がなければ後でやり直せない」


 言い争いは以前より少しだけ質が変わっていた。

 正しいか、間違いか。

 その二つではなく、なぜそう決めたのか、どこで差が出たのか。

 答えの多様さは、比較という新しい習慣を生み始めていた。


 ネヴィルは記録集の新しい項目に、各都市の対策を並べて書き出した。


 ――ミレス:備蓄一部放出、記録による再判断。

 ――セイラン:物流優先、価格監査付き緩和策。

 ――ベルノ:市場自由化、介入最小。

 ――南方諸村:共同体ごとの自律配分。


 並べてみると、それだけで一枚の地図のようだった。

 同じ大陸の上にありながら、人々は違う形で恐れに向かっている。


 その地図を見たレオネルは、ある種の目眩を覚えた。

 これまで行政とは、統一された基準を一つずつ降ろしていくものだと思っていた。

 ところが今、帝国は同時に複数の考えを試しているように見える。

 それは柔軟さであり、危うさでもある。


「帝都はこれをどう見ると思う」


 彼がマイナに尋ねると、彼女は帳簿から目を離さず答えた。


「便利でしょうね」


「便利?」


「成功したら“地方の創意”と言えるし、失敗したら“地方の判断ミス”とも言える」


「嫌な言い方ですね」


「嫌だけど、政治ってそういう顔をすることがあるわ」


 レオネルは反論できなかった。

 だが、それだけではないとも思った。

 アリア――もちろん彼はまだその名を知らないが――帝都の中心にいる者は、本当にただ責任逃れのためだけにこの形を選んだのだろうか。

 もしそうなら、もっと簡単に地方へ責を押しつける文面も作れたはずだ。

 そうしないのは、少なくともまだ、何か別の意図があるからではないか。


 その夜、宿の一室ではアリア自身が各地の報告を読み比べていた。机の上には都市名と対応策を書き分けた紙が幾枚も散らばり、窓から入る風が端をめくっている。エリオンはその向かいで腕を組み、黙っていたが、やがて口を開いた。


「出揃ってきたな。違う答えが」


「ええ」


「見たいものが見えて嬉しいか」


「嬉しい、というほど無邪気ではいられないわ」


 アリアはセイランの報告紙を指先で押さえた。整った文面、整った仕組み、整った理屈。だがその行間には、有力者の息づかいが濃く残っている。


「同じ問題に違う答えが出るのは当然よ。でも、それを人が受け入れられるかは別の話」


「受け入れないだろうな。特に、どこか一つがうまくいき始めたら」


「ええ。比較は、すぐに優劣へ変わる」


 彼女の声には、予感というより既知のものへの警戒があった。


「それでも、まだ見ているだけか」


「まだ」


「壊れ方も見届けるつもりか」


 アリアは少しだけ沈黙し、それから答えた。


「壊れ方を知らないまま、守り方だけ覚えることはできないもの」


 エリオンはそれ以上何も言わなかった。

 だがその横顔には、“それで壊される側はたまらない”という無言の批判がありありと浮かんでいた。


 数日後、ベルノから新しい報せが届く。


 自由取引策のもと、確かに他所から穀物は流れ込んでいた。

 だが価格は高く、買える者と買えない者の差が露骨に開き始めているという。

 反対にセイランでは物流が安定し、市場は一見落ち着いていた。だが小商人からは「有力商人ばかりが得をしている」という不満が出始めた。


 どの町も、うまくいっているようでいて、別の場所が軋んでいる。


 討議所でその報告を聞いたイリサは、隅の方で静かに息を吐いた。

 自分の出した案が今のところ役に立っているとしても、それが唯一の正解ではない。

 けれど別の町のやり方を聞けば、自然と比べてしまう。

 自分たちはましなのか。

 遅れているのか。

 間違っていないのか。


 人が選び始めると、次に欲しくなるのは、他者の答えを測る物差しだった。

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