第333話 属性を変える魔法陣
「どうやって属性を変えるの?」
クロエが身を乗り出して尋ねた。
エミルは腰につけていた小さな革袋を開く。
中から一枚の白い紙と細い筆、黒い液体の入った小瓶を取り出した。
「まずは、こちらをご覧ください」
エミルは小瓶を机の上へ置いた。
クロエが小瓶の中を覗き込む。
見た目は普通の黒いインクと変わらない。
「これは何?」
「魔法陣を描くための特殊なインクです。魔獣の血と魔力を通しやすい鉱石を細かな粉末にして、普通のインクへ混ぜています」
「普通のインクじゃ駄目なの?」
「はい。普通のインクには魔力を通す性質がありません。そのため、形だけ魔法陣を描いても術式としては動きません」
エミルは机の上へ紙を置き、筆先をインクへ浸した。
「このインクで描けば、紙の上にも魔力の通り道を作ることが出来ます。ただし、金属へ直接刻んだ物ほど丈夫ではありません。何度も使ったり、大量の魔力を流したりすれば、紙も魔法陣も耐えられません」
クロエは小瓶へ視線を向けた。
「だから、説明するために使う物なんだ」
「その認識で間違いありません」
エミルは筆を持ち、紙の中央へ大きな円を描き始めた。
「そもそも魔法陣とは、魔力へ何をさせるのかを定めた術式です」
「魔力への命令みたいなもの?」
「はい。どの属性の魔力を、どれだけ取り込み、どのような魔法として発動させるのか。それらを一つの円の中へ記したものが魔法陣です」
エミルは描いた円の内側へ、いくつもの細かな線と文字を書き加えていく。
「例えば、火の魔法陣へ火属性の魔力を流せば、火が生まれます。水の魔法陣へ水属性の魔力を流せば、水が生まれます」
「持っていない属性の魔法陣へ魔力を流したら?」
「何も起こりません。魔法陣と流された魔力の属性が一致しなければ、術式は動かないからです」
属性は生まれた時から決まっている。
火属性を持つ者は火属性の魔法陣を使える。
水属性を持つ者は水属性の魔法陣を使える。
属性を持たない者が使えるのは、身体強化や障壁などの無属性魔法陣だけだった。
それが、この世界における魔法の常識だった。
エミルは最初の円を描き終えると、その隣へ一部が重なるように、もう一つの魔法陣を描き始めた。
「そして魔法具とは、こうした魔法陣を武器や装飾品へ刻み、魔石を組み込んだ物です」
「魔石は何のためにあるの?」
「魔石は、使用者から流された魔力を受け取り、魔法陣全体へ行き渡らせる核となります」
エミルは筆を止め、小瓶の横へ置いた。
「魔石そのものが魔力を生み出すわけではありません。使用者が流した魔力を、刻まれた術式に沿って必要な場所へ送るための物です」
「魔法陣へ直接流すのとは違うの?」
「人が直接流す場合、どこへ、どの程度の魔力を送るのか、自分で細かく調整しなければなりません。魔石を組み込めば、その調整を魔石と魔法陣へ任せることが出来ます」
「だから、魔力操作が苦手な人でも使えるんだ」
「はい。使用者は魔法具へ必要な魔力を流すだけです」
ただし、魔法具を使えば、誰でも好きな属性の魔法を使えるわけではない。
自分の魔力を流して動かす以上、使用者の属性と魔法具の属性は一致していなければならない。
火属性を持たない者が火属性の魔法具へ魔力を流しても、何も起こらない。
それでも魔道国家では、自分が使えない属性の魔法具を身につける者がいた。
火属性の魔法具を身につけていれば、周囲から火属性を持っていると思わせることが出来る。
無属性の魔法具であっても、それを身につけていれば、少なくとも魔力は持っていると勘違いさせられる。
実際に使わない限り、本人がその魔法具を動かせないと見抜かれることもない。
魔力や属性を持たない者への扱いが厳しい魔道国家では、自分の力を偽るためだけに魔法具を購入する者も少なくなかった。
「ですが、今からお見せする物は、普通の魔法陣とは異なります」
エミルは二つ目の円を描き終えた。
二つの魔法陣が重なっている部分へ、さらに細かな術式を書き加えていく。
クロエは、その手元を興味深そうに覗き込んだ。
「二つの魔法陣を使うの?」
「はい。こちらが無属性の魔力を受け入れる魔法陣です。そして、こちらが火属性の魔法を発動させるための魔法陣です」
エミルは筆先で、二つの円が重なっている部分を示した。
「この間に、一つ目の魔法陣から魔力を抽出する術式を加えています。抽出した無属性の魔力を火属性へ変換し、二つ目の魔法陣へ流します」
「無属性の魔力が、途中で火属性に変わるの?」
「はい。本来なら、無属性の魔力を火の魔法陣へ流しても何も起こりません。ですが、この術式を間へ加えることで、火属性を持たない者でも火魔法を発動させられます」
ゼムが、紙に描かれた二つの魔法陣を見つめる。
「そのようなことが、本当に可能なのですか?」
「今からお見せいたします」
エミルは描き終えた魔法陣を確認した。
「ただし、これは紙へ描いただけの魔法陣です。魔石も組み込まれていないため、流す魔力の量は私自身で調整しなければなりません」
エミルは最初の魔法陣へ指先を置いた。
そこから無属性の魔力を静かに流す。
黒い線へ淡い光が走った。
一つ目の魔法陣へ流れた光は、二つの円が重なった部分へ集まっていく。
細かな術式を通り抜け、二つ目の魔法陣へ移った。
次の瞬間、紙の上に青い炎が灯る。
青い炎は五枚の花弁を作り、小さな花の形となって燃え続けた。
僅かな熱が広がり、机の上の空気が揺れる。
クロエが目を見開いた。
「綺麗……」
そう言いながら、炎へ指を伸ばそうとする。
「触れないでください。小さくても火傷をします」
「えっ?…」
クロエは伸ばしかけた指を止めた。
その視線は、紙の上で燃え続ける青い花へ向けられている。
「今、流しているのは無属性の魔力なんだよね?」
「はい」
クロエは青い炎と、淡い光を放つ二つの魔法陣を見比べた。
「それなら、僕にも出来るんだよね?」
エミルが驚いたようにクロエを見る。
「クロエさんは、魔力をお持ちなのですか?」
「うん。今まで使う機会がほとんどなかったから、言ってなかったけど」
クロエは左手を持ち上げ、手首にはめている腕輪を見せた。
「この腕輪も、僕の魔力で動かしてるよ」
「クロエさんご自身の魔力で?」
「うん。レオンからもらった無属性の魔法具で、魔力を流すと障壁を作ってくれるんだ」
エミルはクロエの腕輪を見つめた。
それが無属性の魔法具であることには、以前から気づいていた。
しかし、クロエ自身の魔力で動かしているとは思っていなかった。
クロエは、王国の辺境伯に仕える専属商人だった。
今後、魔道国家の商人や貴族と商談する機会もある。
その際に魔力を持たない者だと見下されないよう、レオンが身につけさせているのだと考えていた。
「私はてっきり、魔道国家の者と商談する際、魔力を持たないと思われないために身につけているのだと……」
「そんなこと、考えたこともなかったよ」
クロエは腕輪へ視線を落とした。
「これはレオンが僕を守るためにくれた物だから、いつもつけてるだけだよ」
「そうだったのですね」
エミルは、クロエが魔力を持っていることを初めて知った。
これまでクロエが魔法を使う姿を見たことはない。
腕輪も、魔力を持っているように見せるためだけの物だと思っていた。
「それでしたら、理論上はクロエさんにも可能です」
「理論上?」
「この魔法陣を直接動かすには、決められた量の魔力を寸分違わず流し続けなければなりません」
「多すぎても駄目なの?」
「はい。多すぎれば魔法陣が耐えられません。少なければ、属性の変換が途中で止まります」
エミルは指先から流す魔力を僅かに減らした。
花の形をしていた青い炎が小さくなり、すぐに消える。
魔法陣を流れていた光も途切れた。
「このように、少し量を変えただけでも魔法は維持出来なくなります」
「もう一回、見せてもらってもいい?」
「構いません」
エミルが再び魔力を流す。
青い炎が、先ほどと同じ花の形となって現れた。
炎の大きさは変わらない。
五枚の花弁の形も、揺れ方さえ先ほどと同じだった。
クロエは魔法陣ではなく、エミルの指先を見つめる。
「ずっと同じ量の魔力を流し続けてるんだ」
「はい。人が直接動かすには、かなり繊細な魔力操作が必要です」
「エミルさんだから出来るの?」
「訓練をすれば、ほかの者にも出来る可能性はあります。しかし、氷を大量に作るとなれば、長時間にわたって一定量の魔力を流し続けなければなりません」
エミルは魔力を止めた。
青い炎が消え、机の上へ静けさが戻る。
「私でも、一日中続けることは出来ません」
クロエは紙に描かれた魔法陣を見つめた。
それから、自分の腕輪へ目を落とす。
「だったら、この魔法陣を魔法具にすればいいんじゃない?」
エミルの動きが止まった。
「魔石を組み込めば、流した魔力を魔法陣全体へ送ってくれるんだよね?」
「はい」
「それなら、細かな調整は魔石と魔法陣に任せられる。使う人は、必要な魔力を流すだけでいいんじゃない?」
僅かな沈黙が落ちる。
エミルはクロエを見つめた後、静かに微笑んだ。
「正解です」
「やっぱり!」
クロエの表情が明るくなる。
「二つの魔法陣と、魔力を抽出して属性を変換する術式を金属板へ刻み、魔石を組み込めば、一つの魔法具に出来ます」
「それなら、魔力操作が苦手な人でも使える?」
「はい。魔力さえ持っていれば、誰でも扱えるようになります」
氷属性を持っている必要はない。
繊細な魔力操作を身につけている必要もない。
無属性の魔力を流すことさえ出来れば、魔法具がその魔力を氷属性へ変換してくれる。
「組み込む魔石も、氷属性じゃないと駄目なの?」
「いいえ。無属性の魔石で十分です」
「無属性でいいの?」
「はい。属性を変えるのは魔石ではありません。二つの円が重なる部分へ刻んだ変換の術式です」
エミルは紙の魔法陣を指差す。
「魔石は、使用者から流された魔力を受け取り、術式全体へ行き渡らせるために使います」
氷属性の魔石は数が少なく、価格も高い。
それに対し、無属性の魔石は価値を低く見積もられている。
属性を持つ魔石より大きな物でも、比較的安く手に入れることが出来た。
「大量の氷を作るには、それだけ多くの魔力へ耐えられる大きな魔石が必要です。ですが、無属性の魔石なら、大きな物でも安く用意出来ます」
「それなら、必要な氷を作れるかもしれない」
クロエは紙に描かれた魔法陣を見つめながら、笑みを浮かべた。
「必要な材料は?」
「魔法陣を刻む金属板と、無属性の魔石です。それに、大量の水を供給するための設備も必要になります」
「魔法具を作れる職人は?」
「私一人では、これほど大きな魔法具を作ることは出来ません。ですが、ノルディアに魔法陣を刻める職人がいるのでしたら、私が術式を教えることは出来ます」
クロエはすぐにゼムへ顔を向けた。
「ゼムさん、職人を集めてもいい?」
「構いません。必要な材料も優先して用意させましょう」
「ありがとう。今日中に探してみるよ」
クロエは机の上の書類を集め始めた。
その表情には、先ほどまで浮かんでいた不安がない。
頭の中では既に、必要となる材料や費用、魔法具を設置する場所について考え始めているのだろう。
ゼムは、その様子を静かに見つめていた。
クロエが考えているのは、夏に必要となる氷をどう確保するかということだけだった。
しかし、エミルが見せた技術が意味するものは、それだけではない。
属性を持たない者でも、別の属性の魔法を使える。
火属性を持たない者が火を生み、水属性を持たない者が水を生み出すことが出来る。
それは、属性によって人の価値を決める魔道国家の常識を、根底から覆しかねない技術だった。
ノルディアの夏を乗り切るための魔法具。
その製作が、静かに始まろうとしていた。




