第332話 教国からの親書
レオンがノルディアを出発してから、一か月が過ぎた。
ノルディア邸の応接室では、ゼムが一人で書類へ目を通していた。
レオンの不在中、領内で起きた問題については、返事を待たずにゼムの判断で対処するよう任されている。
領兵の再編成。
雪解けによって傷んだ街道の修繕。
新たに雇い入れた者達の配属。
一つずつ内容を確認し、必要な指示を書き加えていく。
最後の書類を机の端へ置いた時、扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
扉が開き、エミルが応接室へ入ってくる。
普段と変わらない聖騎士の服装だったが、その手には白い封筒が握られていた。
封を閉じる蝋には、聖教国の教皇だけが使用を許されている印が刻まれている。
「ゼム様。少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。お座りください」
「失礼いたします」
エミルは向かいの椅子へ腰を下ろした。
それから白い封筒を、両手でゼムへ差し出す。
「教皇猊下から、ノルディア辺境伯家へ宛てた親書です」
ゼムは封筒を受け取った。
「拝見しても?」
「はい」
封を切り、中に収められていた書状を取り出す。
そこに書かれていた内容を読み進めるにつれ、ゼムの眉が僅かに動いた。
最初に記されていたのは、エミルの身分についてだった。
教皇は先日、長年にわたって聖教国へ仕えてきたエミルを、正式に自らの養女として迎えた。
さらに、その功績を認めて爵位を授けたという。
これまでのエミルは、聖騎士団副団長という地位こそ持っていたが、貴族としての爵位は持っていなかった。
王国の辺境伯であるレオンとの婚姻を結ぶには、身分の差が大きすぎる。
その問題を解消するため、教皇はエミルを養女とし、爵位を授けた。
そして親書の最後には、そのエミルとレオンの婚約を望むと記されていた。
ゼムは最後まで目を通してから、静かに書状を机へ置いた。
「エミル殿と、ぼっちゃまの婚約ですか」
「はい」
エミルはゼムから目を逸らさずに答えた。
教皇の養女となり、爵位まで授けられた理由。
その全てが、レオンとの婚約を成立させるための準備だった。
「教皇猊下は、この婚約のためにエミル殿を養女へ迎えられたのですか?」
「それだけが理由ではありません。これまでの働きを認めてくださったことも事実です」
エミルは一度言葉を止める。
「ですが、爵位を授けてくださった最大の理由が、レオン君との婚約にあることは間違いありません」
ゼムは親書へ目を落とした。
教皇自ら養女へ迎え、爵位まで授けている。
聖教国がこの婚約を強く望んでいることは明らかだった。
しかし、ゼムが確かめるべきことは、教国の意向だけではない。
「これは、教皇猊下がお決めになったことでしょうか」
エミルは質問の意味を理解したようだった。
「教皇猊下から勧められたことは事実です」
「では、エミル殿ご自身は?」
僅かな沈黙が落ちる。
エミルの頬が薄く赤くなった。
それでも、視線を伏せることはなかった。
「私自身も、望んでおります」
迷いのない言葉だった。
「レオン君が私を受け入れてくださるのでしたら、私は生涯、あの方を支えたいと考えております」
ゼムはエミルの表情を見つめた。
聖教国の命令に従い、望まない婚姻を受け入れようとしているわけではない。
そのことを確かめると、ゼムは静かに頷いた。
「承知いたしました」
ゼムの頭に、レオンがノルディアを出発する前に告げた言葉が浮かぶ。
『教国には、ノルディアの領民を避難民として受け入れてもらえる様に要望している』
帝国との共同討伐によってノルディアで魔物が溢れた場合、領民の一部を聖教国へ避難させる。
教国はレオンからの要請を受け、その避難民を受け入れることに了承していた。
大勢の領民を国外へ避難させるという、決して小さくない頼みだった。
『こちらから大きな頼みを聞いてもらてる限り、教国から何か要望があった時は、俺に出来ることなら引き受けてくれ』
『ぼっちゃまへ確認しなくても、よろしいのですか?』
『ああ。俺がいない間は、ゼムが判断してくれていい』
ゼムは、そう言われていた。
教国からどのような要望が届くのかまでは聞いていない。
まさかレオン本人との婚約を求められるとは、ゼムも予想していなかった。
だが、この婚約は聖教国との関係を強めるだけではない。
エミル自身も望んでいる。
何より、レオンは教国からの要望が自分に出来ることであれば、引き受けるようゼムへ任せていた。
「ぼっちゃまからは、教国から要望があった際、自分に出来ることであれば引き受けるよう申しつけられております」
エミルが僅かに目を見開く。
レオン自身は、その要望が婚約であることを知らない。
しかし、不在中の判断を任されたゼムには、教国から届いた申し入れを受ける権限がある。
「ノルディア辺境伯家は、この婚約の申し入れをお受けいたします」
エミルの表情が僅かに和らいだ。
「ありがとうございます」
「正式な誓約書への署名は、ぼっちゃまが帰られてからとなります。それまでは、婚約の準備を進めるという形になりますが、よろしいですかな?」
「はい。異存はありません」
エミルは深く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ゼムは親書を丁寧に封筒へ戻した。
「教皇猊下には、婚約の申し入れを受諾する旨の返書をお送りいたします」
「お願いいたします」
エミルとの話が終わった時、再び扉を叩く音が響いた。
「ゼムさん、少しいい?」
クロエの声だった。
「どうぞ」
扉が開き、数枚の書類を抱えたクロエが入ってくる。
椅子に座るエミルの姿を見つけ、一度足を止めた。
「エミルさんもいたんだ」
「はい。ですが、私の用件は終わりました」
エミルが立ち上がろうとすると、クロエが首を横へ振った。
「急ぎじゃなければ、少し残ってもらってもいい? エミルさんの意見も聞きたいから」
「私でお役に立てることでしたら」
エミルは再び椅子へ腰を下ろした。
クロエも空いている椅子へ座り、持ってきた書類を机の上へ広げる。
「夏に使う氷が足りなくなりそうなんだ」
「氷ですか?」
ゼムが書類を手に取る。
そこには、ノルディアで保管されている氷の量と、夏までに必要となる量が記されていた。
ノルディアでは冬の間に湖や川から氷を切り出し、各地の氷室へ保管している。
寒冷な土地ではあるが、夏になれば気温は上がる。
冬に集めた氷だけで、次の冬まで持たせることは出来ない。
これまでは不足する分を、レオンが氷魔法によって作り出していた。
「食料庫を冷やす分だけなら、まだ足りると思う」
クロエが書類の一枚を指で示す。
「でも、討伐した魔物の肉を冷やすためにも必要だし、ほかの街へ肉や魚、野菜、薬草を運ぶ時にも使う。取引が増えた分、去年より必要な量が多くなってるんだ」
ノルディアの商業は、以前とは比べものにならないほど活発になっている。
領内で生産された物を遠方へ届けるためには、輸送中の温度を低く保たなければならない。
特に魔物の肉は、討伐後すぐに冷やさなければ傷みやすい。
氷が足りなくなれば、販売出来る量も、運べる距離も大きく減ってしまう。
「新しく雇った氷属性の魔法使いは、どの程度作れるのですか?」
ゼムの問いに、クロエは別の書類を差し出した。
「一日に作れる量を調べてもらったけど、必要な量の半分にも届かない」
「もう一人、雇う必要がありそうですね」
「それが簡単なら、僕もそうしたいんだけどね」
クロエが困ったように息を吐く。
「氷属性を持っている人は少ないんだ。見つかったとしても、ノルディアへ来てくれるとは限らない。それに、レオンと同じくらい氷を作れる人を基準に考えたら駄目みたい」
「ぼっちゃまの魔力量は、一般的な魔法使いとは比較になりませんからな」
レオンは広い範囲を一瞬で凍らせることが出来る。
これまで彼が当たり前のように作っていた氷の量は、普通の魔法使いが何日もかけて作る量を遥かに超えていた。
「氷が足りない分だけ、夏の販売量を減らすことは出来ませんか?」
「出来るけど、出来れば避けたい」
クロエは首を横へ振る。
「今はノルディアの商品を買いたいって言ってくれる商人が増えてる。一度断ったら、次から別の土地の商品を買うようになるかもしれない。利益が減るだけじゃなく、せっかく増えた取引先まで失うことになるよ」
ゼムは書類へ目を落とした。
必要となる氷の量は、現在保管されている量を大幅に上回っている。
かといって、今から新しい氷室を作ったところで、中へ入れる氷がなければ意味はない。
「近隣の領地から買い集める方法は?」
「それも調べたけど、運んでいる間にかなり溶ける。遠くから運ぶほど値段も高くなるから、ずっと続けられる方法じゃないよ」
「では、やはり氷属性を持つ者を探すしかありませんな」
ゼムがそう呟くと、それまで黙って書類を読んでいたエミルが顔を上げた。
「必要なのは、氷を作ることだけなのですね?」
「うん。食べ物を冷やすための氷だから、複雑な魔法は必要ないよ」
「求められるのは、一度に作り出せる量と、それを毎日続けられることですか」
「そうなるね」
エミルは再び書類へ目を落とした。
必要量と、現在作り出せる量を見比べる。
やがて何かを確かめるように、小さく頷いた。
「それでしたら、氷属性を持つ者を集める必要はないかもしれません」
クロエが目を瞬かせた。
「どういうこと?」
エミルは机の上へ置かれた書類から顔を上げる。
「無属性の魔力を、氷属性へ変換すればよいのです」
ゼムは普段の落ち着いた表情を崩し、珍しく目を見開いた。
一方、クロエは新たな可能性を見つけたように瞳を輝かせる。
レオンのいない夏を乗り切るための方法が、思いもよらない形で見つかろうとしていた。




