共感性シューターはおれの敵
数多くのものを拒否してきた。同化も拒むし共感も拒む。強制も拒む。要請も拒むだろう。おれが受け入れるのは雰囲気と質感。他にもいろいろあるが、いまは何も思いつかない。
ただ酒にありつく、それ自体は素敵なことだが、そういう場では大抵ろくでもないやつがデカい顔をしていたりどうしようもないことが起こっていたりするので注意が必要だ。なるべくなら自分でなんとかした方がいい。
他人の懐を当てにしていると、トータルで見て結局は悪いことの方が良いことを上回る。負い目を作らないことが大事だ。心の底から施してくれるやつなんてそうはいない。裏で打算が働いている。その計算の中に組み込まれるのはごめんだ。自分よりよっぽど稼いでいる友だちと飲む時だって、自分の分はちゃんと支払うべきだ。そもそも飲みになど行かないのが一番いいんだ。こんなふうにひとりで文章を書いていた方が絶対にいい。いいに決まっている。
凡庸がエクストリームを軽蔑する。よくわからないけどやっちまえ、が通用しなくなってきた。一歩目を踏み出すにも周到な準備が必要なんだと。様式に従わないと勉強不足とか言われちまう。パンクが廃れるわけだ。人間の感情なんていつだってエクストリームだろう。一番ヤバいのは自分を普通、もしくは優秀だと思い込んでいるサイコ野郎なんだ。本来ならそういうやつは見つけ次第にぶっ飛ばしてやらなければならないのだが、なぜか凡庸な連中はサイコ野郎の味方をしやがるんだ。どいつもこいつも狂っている。マスが狂えばすべてが狂う。見ろよリアルを。狂っているだろう? 頭のおかしいやつだらけだろう? これを不愉快に思わないってんなら、マジで終わってる。このヤバさに気づかないやつは二重思考にどっぷり浸かりすぎている。
やりすぎくらいがちょうどいい。毎日毎日、しつこく誰にも依頼も要請もされていない文章を書くような、それくらいの方が生きてゆくにはちょうどいい温度だってことだ。馬鹿にされようが鼻で嗤われようが知ったことかよ。おれの遊びを邪魔できるものならしてみやがれ。そんな度胸がおまえにあるのなら。
おれは書きたいように書き、やりたいようにやる。仮におれの書いた内容にネガティヴな心当たりがあるやつがいるのなら、それはそうだ、おまえのことを書いているんだ。おまえが誰かは知らんが、おまえらすべてにおれは喧嘩を売っているんだ。ムカつくものはムカつく。我慢ならんものは我慢ならん。おまえら臆病者どもなんてちっとも怖くねえよ。やれるもんならやってみろ。覚悟はとうに決まっているぜ。
まったく、ワ~オって感じだ。ギャオ! って感じの方が近いかもしれない。とにかくまあ、添加物と油がたっぷり入っていて、それでいて太らないどころか健康になっちまうようなジャンクフードがあれば、この世も少しは落ち着きを見せてくれると思うのだが、一向にそういうものが出てくる気配がないのは問題だと言えるのではないかね。
それを言ったら、ビデオゲームのように刺激たっぷりでおもしろく、失敗したって好きなところから何度でもやり直せるような仕事がなぜ生まれないのだろう。そういう疑問がある。こういった方向性で行けたら最高だよねっていう機運が高まりもしないのは、やはり問題だと言わざるを得ない。
そういった問題は世の中にごろごろしている。だが、大半の連中は見て見ぬふりを決め込むだけだ。天は人の上に人を作らず、とかなんとか言ったのは誰だか忘れてしまったが、実際の人は人の上に人を喜んで作るし、人の下に人を作ることはもっと喜んでやるフシがある。いったいどこでなにが狂ってしまったのだろう。
それとも、こういうものなのだろうか。元々がこういうもので、そのあたりが覆ることなどは決してなくて、おれたちが目指すのは人の上に立つ人であることを願ったり目指したり祈ったり、それがもし駄目なら、無理やりにでも自分の下に人を作ろうとすることが推奨されていて、そこに異を唱えたり、従わなかったりする者こそが狂っていると、そういうことなのだろうか。
それってマジな地獄だぜ。どこからどう眺めたって地獄じゃないか。終わることのない足のすくい合い引っ張り合い。喚き合い罵り合い。腹の読み合い探り合い。それでも愛なんだ。最後は愛が世界を包み込むんだ。
おれにはおれたちの表情が死にかけていることに何の不思議もないし、これと言った理由もなく人を排斥しようとしたり殺してしまえと声を上げたりすることにも何の不思議もないし、弱り切ったやつを散々痛めつけた後、家に帰って愛し合ったりすることにだって何も不思議はないよ。
おれが不思議なのは、なぜ連中は勝ち誇っているのか? そういうことだ。
どんなやつだって惨めだし、自分のことを惨めだと思えないやつは芯までイカれていると考えて間違いはない。
なんたって食わなければならないんだ。そのうえ小便をして、糞をして、屁をこいたり歯を磨いたり、鼻をかんだり、躓いたり転んだり、笑ったり怒ったり、疲れたり眠ったり、働いたりサボったり、文章を書いたり書かなかったり。惨めでないやつがいったいどこにいると言うのか。
いい気になっているやつは、一度自分の一日の行動をすべて思い返してみればいい。細かいことまですべてだ。何度ケツを掻いたか、何度鏡を覗いたか、逆に目を逸らしたか、そういうことまですべてだ。途端に自分ってものが嫌になっちまうだろうよ。どこまで惨めったらしく卑小な存在であるかわかろうというものだ。
今までどれだけの食い物を食ってきて、それは何処に行ってしまったのか。それでもまだ自分は惨めではないと、あくまでそう言い張るつもりかい? まったく処置なしだ。しょうもない。
おれたちはどこまでいっても、振り落とされないようにしがみついて縋りつくしか能のない猿だ。群れからはぐれないようにゴマすり行為に精を出す猿だ。毛色の違う猿は群れから追い出そうとする猿だ。尻尾をどこかになくして平衡感覚を失ってしまった猿だ。猿ども。共食い行為にいそしむ悪魔のような猿ども。汚らわしく惨めな猿ども。
稲光が走るたび、期待する。メチャクチャに切り裂いてくれやしないかと。もちろんそんなことは起こりやしないのだが、そう考えるだけですこし爽快な気分になる。
すこし空模様が怪しくなってきてからの、あの圧倒的なスピードが好きだね。みるみるうちに強くなる風が好きだね。暗く煙った空が発光して、数拍おいてから轟く音が好きだね。極大の雨粒が鼻を打つその最初の一滴が好きだね。
傘なんてもう問題じゃない。足下は無事ではいられない。腰から上だって保証はできない。バックパックの文庫本はさっさとビニールで厳重に包むべきだ。さもないと、ところどころが滲んでシワシワのパリパリになるぜ。決して読めなくはないけれど、なんだか読む気をなくしてしまう。結構悲しいんだ、あれって。
それでもおれは、居心地の良いこの部屋を後にして、外へと出て行かなければならない。一歩、また一歩と足を進めなければならない。そりゃもう惨めな気分だ。傘なんてもう問題じゃない。ただ邪魔くさいだけだ。無事なところなんてもうとっくにないよ。一瞬で全部持っていかれてしまった。
ドライバーが哀れそうな目をこっちに向けてくる。それならいっそ、おれを乗せて連れて行ってくれ。
ふかふかのバスタオルがあるところまで頼むよ。バックミラーの中でドライバーと目が合った。そんなに嫌そうな顔をするなって。大丈夫だ。おれもあんたも同じだ。同じくらい惨めで情けない猿だ。ずぶ濡れだけど少しくらいの持ち合わせはあるんだ。濡れてしわくちゃになってはいるがね。だから、頼むよ。ふかふかのバスタオルが待っているところまでやってくれ。




