頭の中に直接アシッド
脳なんぞはあてにならん。限界手前で、致命的なことにならないよう、勝手にストップをかけてしまう。致命的な瞬間の手前で打ち切られた思考は行き所をなくして、もちゃもちゃし続けている。下層に溜まったヘドロのようなものだ。きっとそのせいだろう。今朝からおれの頭はいやに重い。立ち上がろうとすると、頭の重さでふらついてしまう。それで首まで痛めてしまった。後頭部と首の間あたりに太めの管をぶすっと刺して、溜まったものを出し切ってしまおう。管からびちゃびちゃと放出される暗い緑色と茶色のヘドロ状のものは嫌な臭いがするに違いないから、風呂場でやった方がいいと思う。そういう治療法を夢想してみるし、過去にはきっと実行に踏み切ったやつもいるに違いない。数々のトライ&エラーを繰り返した末に、現在の医学があるのだし、いまだってトライ&エラーの途上にある。おびただしい数の人間が死に続け、日々膨れ上がる死のデータベースを参照しながら、おれたちは生き続けている。生きろ。そう命じられたからだ。
これは別に暗い話ではない。かといって明るい話でもない。どんな話かと訊かれてもよくわからない。あんまり深く突っ込まれると崩壊する。崩壊とは人生そのものでもある。破れ目はどこにだって表れるし、補強しても補強してもきりがない。うんざりする。結局のところ、もういいやって気分になって、崩れるに任せることになる。確かに上り詰めようとするのは悦楽の極みだが、堕ち続けるのもまた違った快感がある。
日に日に追い詰められてゆく。精神的にも肉体的にもだ。おれはどれだけ駄目になれるのだろう? そんなところに興味が移っていって、鍵を回し、扉を開けて、蝶番を外し、扉自体を撤去してしまえば、あとはもう出入り自由だ。拒むことも引き留めることも既に頭の中からは消え去っていた。おれはこの場所を、おれの場所だと主張することすら忘れてしまったのだった。どうぞご自由に。なにも無い場所だけど。
よくわからない天気だ。日は差しているのに雷がゴロゴロと鳴って雨も降ってやがる。まあ昨日の夕方の話だが。最近は一日に一回は雷の音を聞かないと心が落ち着いてくれないんだ。今日はどんなもんだろうか。なにしろ今日はあっちこっち歩き回らなければいけない。おれだって毎日暇しているわけじゃないんだ。
息苦しさや倦怠から逃れることができるのなら、忙しくしてやったって別にいい。望むところだっての。ところがそうそうウマい話があるわけではなく、息苦しく退屈で、その上に暇もないってケースばかりだから、おれはもうとことん嫌になってしまった。アホらしいことが多すぎる。
組織ってやつが中学生の時にはもう嫌になっていた。学校の廊下で飴玉の包み紙が見つかった。緊急集会。廊下に全員集合。この中に、飴を舐めていたやつがいる! ちっちゃな包み紙を両手で掲げて喚いていた。おれはそんなアホなことで大声張り上げて怒り狂う大人がいるなんて信じられなかった。狂ってやがる。こんなところにいちゃダメだ。頭がおかしくなってしまう。
このイカれた籠の中から外に出れば、そんなことはなくなると信じていた。そうでもなかった。結構いろんなやつが、どこかしらをおかしくしていた。しばらくして気づいたことがある。組織に従順であることと、イカれ具合は比例している。人畜無害で真面目な顔をしながら、とんでもないことを言ったりやったり、やりたい放題だ。
まったく、冗談にもなりゃしない。さっさと終わらせて切り上げようぜ。こんなところの空気を吸っていたら、人間がダメになっちまう。おれの提案はいつでも却下だ。提案の体もなしていないんだと。
打ち込むことが目的のデータ。書かれることが目的の書類。アホらしい。まるで摩天楼の少年だ。つまりはそういうことだ。それこそが仕事とあくまでも言い張るのなら、おれだってこいつを仕事だと言い張ってやるぜ。書くために書かれた文章だ。おさおさひけはとるまいて。
価値の逆転、意図不明の転換点、そして、いま思うことは、このまま終わってしまえばいいってことだ。
ただ、イージーリスニングの葬送曲が流れるような場所で見送って欲しいとは思わんな。それじゃまるで病院の待合室だ。辛気くさくてかなわん。
生命力に火をつけることだ。このまましょぼくれて生きるつもりか。しかしこの繋がらなさには閉口してしまうね。書くために書いているとは言え、もう少し書きようがあるのではないかと思わずにはいられないが、これがいまのおれのリアルだ。格好つけてもしょうがないし、ウンウンと深刻な顔をして悩んでいるのも飽きてしまった。すべては通り過ぎ、消失してゆく。最近のおれのお気に入りの言葉。消失。
ひとつの言葉に囚われて、その意味を、拡張性を、探ろうとする。あらゆる場面において、見え隠れしていた消失という現象を、自分なりに捉え直そうとする。そしてまた、壁にぶち当たり途方に暮れている。迂回したり立ち返ることだってできるはずだが、ここで立ち止まったまま吸い殻だけが増えていった。燃えて煙り肺の中を旋回して、希薄になったそれは一本の線となり空間に溶けてゆく。匂いだけを残して。これもまた消失だった。
名前を呼ばれて立ち上がった。一瞬で終わる面談、そしてお薬のために炎天下の中を歩いてきたのだった。まるで意味のない活動だ。医者は多くを語らない。おそらく何もわかっていないのだろう。わかっていたら大したもんだ。おれだってなにもわからないのだから。ただ流されるまま、ここに辿り着いた。自分では不便など感じたこともないし、薬だって好奇心で飲んでみただけだ。だって脳に作用する薬だ。どうなってしまうのか興味が湧くに決まっているじゃないか。結果としてはどうということもなかった。
最初こそ素直に渡された分を全部飲んでいたので、自分が四角形のフラットマンになってしまったような気がして戸惑ったが、いまじゃ脳に電撃が走らない薬以外は飲みゃしないのだった。おかげで錠剤が溜まってゆく一方だ。どうにかしたいが、どうすることもできない。売ったりあげたりするわけにはいかない。かといって捨てるのもなんだか忍びない。邪魔くさい。やっぱり捨てちまおう。
病院の待合室にはおれを含めて調子の悪そうなやつは見当たらなかった。いつだってそうだ。外ではサングラスをかけているが、なんとなく病院の中ではサングラスをするのが憚れるのだった。なんだか冒涜しているような気がするし、それにマスクとサングラスの組み合わせは、やっぱりちょっと滑稽だ。これで鳥打ち帽でも被ってみろ。コントの中の強盗だ。いまの強盗は目出し帽がトレンドじゃないか。よく知らないけど、そんな気がする。
小説というものはどこから来るのだろう。よく聞くのは散歩中とか。おれは散歩なんかしたって、なにも思いつかない。ここに来ないとさっぱりだ。つまりはコンピューターの前に座らないと、文章なんて出てきやしない。真っ白な画面がないと、この目で字を追っていないと、なにも書けやしないのだった。構造ってものが苦手なんだ。図面とか、展開図とか、組み立て指示書とか。スコアブックすらつけられない。最近じゃマンガすらキツくなってきた。文章でないとなにも理解ができない。目の前に文章がないと。文章は無駄が多くて助かる。無駄しかなくたっていい。ストーリーですら構造に思えてしまうおれは、こういう文章を書き続けている。これだって物語と言えなくもない、少しだけそう思っている。




