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電波を食べる官能主義者

 よく動き、よく喋り、よく電話する女だった。構わず電話を掛けたり掛かってきたり。あまりにもせわしない。おれはまったく落ち着かない。いま大丈夫? の一言もない。アタシだよ。うん、アタシー。元気だよ、うん、ダイジョブー。え、ウソ、マジ、ヤバ。

 その間もそわそわ動き続けている。前髪をいじくり、指先を蠢かせ、首を回したり、手で仰いだり、天井を仰いだり、かと思うと、おれの方をじっと見つめてきやがる。電話をしていたって、あんたのことは忘れちゃいないよって、一応は気を遣っているんだよって、そういうことを伝えたいのだろうか。

 おれの知らないヤツの名前、おれの知らない場所の名前、おれはこいつの何も知らないんだ。知らなくて当然のことが、当たり前のように女の口から次々と出てくる。断片を聞いていても、さっぱりなんの話をしているのかわからない。聞き耳を立てているわけじゃない。目の前でデカい声で話しているんだ。聞く気がなくたって聞こえてくる。


 テキーラ、コデインシロップ、トニックウォーターを1:1:3。たまらないね。夏はさっぱりしたいときはカンパリソーダ、がっつりレロレロになりたい時はこいつで決まりだ。45回転のレコードを33回転にしてくれ。現実がスローダウン。心地よい痺れを脳の先っぽで味わうんだ。舌のもつれを楽しもう。なんだか虫声が聴きたくなった。ジョー・ミークの、あのピンクの、月のジャケ、あのレコードを掛けてくれよ。おれはあれが好きなんだ。サマータイム。いや、ホント、サマータイムって感じだよね。歌っていいかい? サマターイム……サマターイム……


 女に負けず劣らず、おれだってよく動く男だった。電話をしない分、女が電話をしている間はお喋りをできない分、その分がすべて身体の動きに反映され、なんだか大忙しのようだった。知らない人が見たら、誰かにブロックサインでも送っているのではないか、そう勘違いされたっておかしくないくらいだが、周りの皆さん、努めておれたちを見ないようにしているから大丈夫だろう。うん、ダイジョブー。そう、そう、そう。

 とろけるような音。とろけるような前髪。こぼれるような唇。溶けた氷がグラスの中で、カラン、落ちた。このカラン、に雰囲気を感じた最初のやつは、演出として使った最初のやつは、いま世に溢れるカラン、になにを思う。実際よく鳴るのだ。カラン。

 あまりにも動き続けるものだから汗ばんできた。脇の下が大変なことに。いま気づいたが、おれは緊張しているのかもしれない。薄まったグラスの中身をグイッと飲み干す。不味い。ほぼ水。これなら水を飲んだ方が良い。次、なに頼む? いつの間にか電話を終えていた女。前髪で左目を隠している。絶対に左目は他人に見せたくないそうだ。

 おれもまだ他人なの? 身を乗り出して訊いてみた。当たり前じゃん。アタシ以外はみんな他人。それって当たり前のことじゃん。

 わかっている。おれは残酷で、覚悟もなしに興味本位で他人の痛みに汚い手で触れようとする、そこまでわかっていてなお、どんなことが待っているのか何となくわかっていてなお、手を伸ばして女の左目を見てやろうとする男だった。もちろん、おれの手は女に思い切りはね除けられた。その勢いで、グラスが倒れ、割れた。

 ばつの悪い思いだ。予想通りの行動、予想通りの感情、グラスが割れるまでの考えには至らなかったけれど、概ね予想通り。だからと言って、なにも偉くない。予想しておきながら、優先したのはあくまでもおれの興味。それも、そこまで深くもない興味。きっとあの中に隠れているのは、ごく普通の左目だ。痣くらいはあるかもしれないが、だからなんだってんだ。おれからすればそうだ。女からしたらそうじゃない。おれのとった行動は嫌がらせそのものだ。残酷な嫌がらせ。おれにはこういうところがある。


 なんでって言われても長い話になるし、別に聞いて欲しい話でもないし、話したからってわかってもらえるとも思わないし、見せたくないものは見せたくないし、言葉にした時点で勝手な解釈をされても嫌だし、そっちの常識の範囲の中で拘束されるのはゴメンだし、会話だけで進んでも小説として不格好だって言われちゃうし、かといって細かい場面描写なんて書く方も読む方も退屈すぎるし、クソ小説よ、クソ小説。アタシの書いているものなんて。ただ根暗を喜ばせるためにあるようなものだけは書きたくないけど、結果的にはそうなってることの方が多いかもしれないけどね、構造ありきの物語の画一性だよね、どうしても避けていたいのは。日常を描いたところで、それがなに? なんなの? 生きながら、言葉にして、言葉の拘束力に縛られて、別にアタシはモノローグの中で生きているわけじゃないのに、あたかもそうであるかのように振る舞うのは、それってなんかすっごくマヌケじゃない? そう女が言った。とか。生気のない顔で、とか。むしろ、顔を上気させながら、とか。熱っぽい視線で、とか。なじるように言った、とかさ。それたぶん、ように、じゃなくて、なじってるよね、普通に。軽蔑しているの。単純に。でもそんなこといちいち描いてられないじゃない。なぞっていられないじゃない。いちいち言葉を探してさ、眉間に皺を寄せて、とか。心ここにあらずのようだった、とか。いちいちそれっぽいコメントを探さなくたっていいじゃん、もう。この期に及んで上手いことを言おうとしなくていいから、そんなのもう出尽くしてるからって思うわけ。そういうのをできるだけ拝していきたいわけよ。ただハイになっていたいだけ。ごく個人的なものを大切にしたいだけ。それがアタシが左目を見せたくない理由かな。


 いや、驚いた。女の言っていることがよくわかる。なにを言いたいのかはよくわからないが、わかりすぎるくらいにわかってしまった。こんなことってあるだろうか。おれが普段考えていることにものすごく近い。近いというか、そのままだ。もうこのままこの女に語り手を譲ってしまいたいくらいだ。なんか女が語り手の方が説得力がある気がする。その辺についてはどう思う? 知らないよ、そんなこと。ゴメンね、電話。もし~。うん、ダイジョブだよ。

 女は電話しながらどこかに行ってしまった。契約の時間がとっくに過ぎていたことに気づいた。おれの初めてのパパ活は、無事これにて終了というわけだ。きっと一生を通じてパパと呼ばれることのないおれだが、パパ活くらいはできるんだ。だがもうやらないだろう。なんというか、ギブとテイクがお互いにズレている。しかし、語り手の才能にあふれた女だった。いつか立派な語り手になると思う。


 どうせ今日は大して読まれやしない。最近、そういうことがわかるようになってきた。本来、書かれていることと読まれることはリンクしないはずなんだ。それでも、ああこりゃ読まれないな、と思うときっちり読まれない。

 これはもしかしたら読まれるかもしれない、そう思う時だってあるにはあるが、それでもなんだかんだで読まれない。そういうもんなんだ。リンクしていないはずなんだ。おれの思いと数字は。本来は。

 だが、リンクすることがある。どう考えてもリンクしているだろう、と思わざるを得ない数字の動きを目にすると、おれはなんだか得意な気分になってしまう。

 いったいなにが見えているんだ。きみの目にはいったいなにが。いったいなにを期待して、摩天楼の少年を開くんだ。今日だって塔の上から少年が見下ろしているよ。なにも変わりやしない。それでも進行していくんだぜ。きみの綺麗な肌に、意地悪な細い指で、皺を刻んでいるんだぜ。目にも止まらないスピードでな。そういう約束だからな。

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