いい気になって、詩人ヅラして
朝からけたたましい音が響く。家屋が解体されてゆく。重機が超強力な一本の手を振りまわす。こそげ取る。建物と思っていた場所は、実は壁に覆われた空間でしかなかったということが暴かれてゆく。地面が揺れる。縦に避けた木片、モルタル、セメント、塩ビ樹脂の雨樋、白い陶器の欠片は元々は便器だったものだった。
現場は寝室の目の前だ。音が止み、窓を開けてみれば、筋骨隆々の解体業者たちが瓦礫の山に囲まれながら、煙草を吸って談笑していた。凄い仕事だ。破壊して、片付けちまう。粒子の粗い埃が舞い散る中、じめじめと鬱陶しい暑さの中、手際よくやっちまう。そして休憩しながら、楽しそうに笑っていた。
解体。おれもやったことがある。おれの場合は室内の解体だったが。
天井をバールで思い切りぶち破る。で、バールに体重を乗せるようにして天井板を引っぺがす。天井の破れ目から、黒い雨が降ってきて、おれは顔面にもろにそいつを浴びた。黒い雨の正体は、大量のネズミの糞と、複数のネズミのミイラだった。
その場所はかつてネズミのねぐらだったのだ。商業施設の中にだって幾層ものレイヤーがある。消費者。労働者。経営者。ネズミ。ゴキブリ。ユスリカ。ノミバエ。チョウバエ。それぞれが、それぞれの役目を全うしている。それぞれが、それぞれで生きている。その痕跡を、端々に感じながら、おれたちは夜間ぶっ通しでぶっ壊した続けた。真冬だってのに汗だくになりながら。鼻の穴の中まで真っ黒になりながら。
帰るのは始発だった。びしょびしょになったコンプレッションとニッカーボッカーをビニール袋に雑に突っ込む。ヘルメット、軍手、安全靴をボストンバッグに放り込む。わざわざ私服に着替えているのはおれだけだった。そのことでからかわれたこともあった。おれはただ、汚れたままで帰りたくなかっただけだ。
「あのデブ、超体力ねえんだよ。すっとろくせえくせに、ポカリばっかりガブガブ飲みやがって、仕事が進まねえ進まねえ。やっぱオタクは駄目だな。おれ、やっぱり阿部ちゃんと組むのが一番いいわ。明日は阿部ちゃん指名するからよろしくね」
「うす」
マジかよ。そう思った。機械で崩したコンクリートのガラをシャベルでひたすら一輪車に乗せる。一番キツい作業だ。音はうるさいし、ゴーグルが蒸発した汗で曇って、目の前が満足に見えなくなる。ひたすら身体を動かす。考え事なんてする余裕もない。眼も耳も脳も封じられて、延々とシャベルを振るうだけの最悪の作業だ。もうキッツいキッツい。正直言って、やってられない。
現場から外に出て、刺すような寒風に鼻っ面を殴られた。人影もまばらな大都会。泥酔した連中と一緒に列車に揺られて帰る。車内も窓の外も、ほとんどのやつが眠っていた。かろうじて起きているやつだって、ぼんやりとした顔をしていた。完全に目を覚ましているのは、いまこの世でおれだけなんじゃないか。そんな錯覚すら。このままでおれはいいのだろうか。そんなことを考えていた。黒いなにかが満遍なく詰まっている爪の隙間を見ていた。おれはまだ文章を書くことを知らなかった。その日を最後に、おれは二度と現場には行かなかった。
今日はなんだか頭が重く、普段よりも長い眠りの中にいたのだった。活動を開始した後も、油断をしているとすぐに眠たくなってくる。すべて気圧のせいだ。そういうことにしてしまうのだ。気圧のせいだと言うと、皆が納得してくれる。便利だ、気圧は。
おれは夢の欠片の来襲を避けようとしている。一日に何度か起こる、夢の欠片の大量発生。巻き込まれたくはない。埋もれたくはない。もちろんそれを避けたからと言って、そこに大きな差が生まれるとは思わないけれど、やっぱりなんか嫌だよ。これがリバーシだったら、簡単にひっくり返されてしまうよ。おれまで夢の欠片になっちまうのか? それはやっぱり何だか嫌なんだよ。とっても嫌なんだ。
「わしはその時思ったんじゃ。わしら人間の色彩は、誕生した時に吹いていた風の色なんじゃと」
物語の中の老人。なぜ自分をわしと言うのか。なぜ語尾は「じゃ」なのか。おれは鼻白む。
御老体、あなたの言葉は、本当にあなたの言葉なのでしょうか。あなたは子どもの頃からそのような口調でお話をされていたのでしょうか。あなたが積み重ねてきた個人史は本当にあるのでしょうか。あなたは老人を演じているだけなのでは? もしくはあなたは誕生した瞬間から老人だったのでは?
それは悲劇です。若さを経験したことがない人生、そんな悲しいことがあるでしょうか。若さとは、失われた後に始めて実感できるような類いのものであるにせよ、そしてその事実が、えも言われぬ鈍い痛みを想起させるものであるにせよ、失うべきものを最初から持っていないなどということが、許されていいのでしょうか。この問題は、重大な人権侵害にあたると思われますが、委員長、見解をお答えください。
お答えいたします。ええと、ただいまご質問いただきました諸問題につきましては、当委員会にて調査検討中でありますゆえ、人権侵害にあたるのではないかというご指摘に関しましては、当委員会では、現状においての明確なお答えを差し控えさせていただきます。
委員長、それは質問に答えていることにならないではありませんか。現実問題として、一人称を「わし」、語尾を「じゃ」に固定されてしまっている、いわばステレオタイプの高齢者が、特にファンタジー作品において、大量に生まれてしまっているのがわが国の現状です。これは既に多様性の尊重がスタンダードとなっている国際的な流れにも明確に反していると言わざるを得ません。この状況をいつまでも放置しておいてよろしいのでしょうか。早急な創作者の意識のアップデート、並びに高齢者ひとりひとりの明確なキャラクター性の確保、これこそが超高齢化社会を迎えようとしているわが国においての重要課題であると言えませんか。委員長、これははっきりと人権問題ですよ。どうお考えですか。お答えください。
お答えいたします。繰り返しで恐縮ですが、ご質問いただきました諸問題につきましては、当委員会にて調査検討中ですので、現状においての明確なお答えを差し控えさせていただきます。
ですが! ……すみません、答弁中はお静かにお願いします。ですが、ですよ。年代を問わずではありますが、多様性、すなわち個人の持ちうる個人性と申しましょうか、そういったものは当然のように尊重されるべきであり、そのようなものが侵害されるべきではない、というのは大前提としてありまして、わしじゃ問題におきましても、当然そうした大前提に則って調査検討されるべきと考えております。
さて、梅雨はいつ明けるのだろうか。今年の梅雨はなんだか久しぶりに梅雨っぽい。そんな気がする。おれの気のせいかもしれない。もう冬のことだって忘れてしまっている。去年のことなどおれが覚えているわけがない。
勘の良い人はお気づきだろうが、いまおれが書いているこの部分ははっきりと字数稼ぎである。なぜかはわからないが、おれはどうにかして一回3000字に達しようとするのだった。今日は半端に余ってしまった。もう書くべきことなどない。と言うか最初から存在しなかった。それでも書いてしまうのだ、おれは。そんなおれを馬鹿にするやつだって当たり前のようにいるだろう。だからなんだってんだ。勝手にやるぜ。やりまくるぜ。




