主文は後回しにさせてもらうぜ
想像以上に乱されているおれなのだった。クソッタレの毒は後から効いてくる。気味の悪い感触が、後味が、手の中に口の中に残り続ける。それはおれが振りかざした暴力の代償であり、おれの中の残酷な部分を見てしまった反動でもある。認めたくはないが、認めるしかない。おれだってクソッタレだ。
だがこうやって省みることができるだけ、おれはまだマシなんだ。そう自分に言い聞かせる。情けないことだが、そんな風に自分を肯定してやらないと、身動きがとれなくなってしまう。こんな戯けたことでイップスになるわけにはいかない。
まずは一歩。もう一歩。大丈夫だ。恐れることなどなにもない。なにもないはずなのだ。どうっちゅうことはない。ないに決まっている。
おれは切り抜けてきた。いまだって切り抜けようとしている最中だ。素晴らしい瞬間だって、常軌を逸した瞬間だって、突っ切って、追い抜いてきた。でも、なんにもならなかった! そりゃそうだ。期待なんてしたって無駄だ。時間は潰すためにあるのだから。
ほとんどの時間を無駄に潰してきた。ただひたすら切り抜けるためにだ。それでもすべての時間を食い潰したわけじゃない。こうして書く時間がある。おれのために用意されている。この瞬間を迎えるためには、無駄な時間を潰すことが必要だったというわけだ。
まるっきり馬鹿らしく、呆れかえってしまうほど無為な行為に耽る時間が、おれをすり潰し、劣化させてゆく。書かれた瞬間から高速で陳腐化してゆく文章が、おれを滅多刺しにする。それでも、こうしておれは書いている。それだけだ。それだけのためだ。
同化したくも、されたくもない。感情移入なんてお断りだ。あなた自身を奪いたくはないし、おれ自身を奪われるわけにもいかない。もし奪われてしまったのなら、一刻も早く取り戻さなければならない。どんな手を使ってでもだ。自分自身という存在における恐怖、存在にのしかかる受難、存在であるがゆえに課される苦役、あらゆるすべてを奪い返す。おれには、自身の生きた証を残すことなんかよりも、そっちの方がよっぽど重要だってことだ。
いよいよおれの寝言や寝相がとんでもないことになってきていて、喋りながら身振り手振りをするその様はパントマイムのようだと教えられた。昨夜のおれは、明らかに自転車を漕いでいたそうだ。見えないハンドルを掴んで、宙で足を上下させていたらしい。なにも覚えていない。そのうちスタスタ歩き出して、そのままどこかに消えてしまうのかもしれない。
眠りの内にあるおれの見ている情景が、身体性を帯びてきていた。いよいよ現実との境目がなくなり、おれはいま、どちらの夢の中にいるのか、どちらの眠りの中にいるのか、おれはどちらを生きればいいのか、どちらで死ねばいいのか。
どちらにせよ、だ。おれができることなどたかが知れている。両方合わせたって、おれが満足に呼吸ができる場所はあまりにも限られているのだった。その場所を死守するのみだ。でないと、嘲笑うだけが生きがいの臆病者になってしまう。おれはそれがなによりも恐ろしいよ。
途切れることはなく、いまだってすべては繋がっている。だが、境界線という共通認識が広域に影響力を持ち続け、それによって人が殺されたり、閉じ込められたり、呪われたりしていた。まさしく魔術だ。目には見えない魔力によって、本来は信じなくてもいいことを信じさせられ、疑わなければいけないことすらも疑いの余地のないこととなった。目には見えない巨人に圧倒され支配され、個人の魔力は目に見えないほど弱まる一方だ。
救世主などは現れない。おれたちは戸惑い、まごつくだけだ。魅入られ、騙され、踏み外すだけだ。
巨大なガスタンクが、打ち上げ花火に照らされていた。その背後から薄暗がりがあふれ出していた。風に乗って、腹に響く炸裂音がおれを貫通していった。すぐそばで、薄暗がりの奥で、ささやいているもの、蠢いているもの。目を凝らしたって、もちろんなにも見えやしなかった。ただ、おれの息づかいと、ぱっと閃く赤や金色、遅れてやってくる炸裂音、上空を旋回するコウモリ、そして闇に蠢くもの。
おれは、おれの中での魔力が強まっているのを感じていた。気のせいかもしれない。そんなことを言ったら、なんだって気のせいだ。警告かもしれない。重要なメッセージかもしれない。罠かもしれないが、考えつくあらゆることを恐れていては、なにも始まりやしないんだ。おれはもう、待つのにうんざりしているんだよ。あれこれ考えるのにも、うんざりだ。意味ありげな仄めかしに踊らされるのだって、滴が落ちるのを見守って、空っぽの器が満たされることを期待し続けるのだって、もうなにもかもがうんざりでしょうがない。
なるほど、わかった。おれは入ろう。あの薄暗がりの中へと入って行こう。なにか素敵なことが待っているなんて期待しちゃいない。そんなわけがないってこと、そんなことはわかっている。でも、できることはなんだってやってみたい。いまのおれを衝き動かす推進力は、たったそれだけだ。ゼロの可能性に賭けるくらいしか、もう残された手は。
新聞配達のバイクの音で目が覚め、見慣れているはずなのに見慣れない風景に戸惑い、ありえない方向を向いているおれに気づき、それでいつもの場所へと戻った。そしてまたすぐ、おれは眠った。
合わせ鏡の中で、遊んでいた。無数の人間がおどけた顔をしながら、おどけた仕草を同時に繰り出していた。そのすべてがおれだった。おれは綻びを見つけようとした。この中に、光速に追いつけないやつがもしかしたらいるかもしれない。そいつの正体を探ろうとしていた。尻を揺らしながらのモンキーダンス。モンキーダンス。モンキーダンス……。がきデカの死刑!死刑!死刑! おびただしい数の……。まるでフラクタル図形のようだ。
遠くの遠く、米粒大くらいのあいつ、あいつなんだか動きがヘンだ。上手くは言えないが、あいつだけ独立した意志を持っている、そんな気がする。そんな気がしてみると、あら不思議。その前のやつも、その前のやつも、前の前の前の前のやつも、思い思いに自由に振る舞い始めたではありませんか。
その前のやつ、おれの後ろのやつ、え? いや、これはおれだった。そして、鏡が割れた。ばしゃん、と。一瞬で。粉々に。映画だったらスローモーション確実、でも現実はそうはいかない。現実はいつだって夢の中。破片に気をつけて。
動かないで! コップを割ってしまった時の母親は、なぜあんなにも血走った目をしていたのだろうか。おれ、足を少しくらい切ったって別にいいのだが。そう思っていたのだが、のちに鋭利なガラスの破片で手をザックリやってしまったことがあって、ああ、そういうことだったのね、おれは納得したのだった。なにしろ簡単に深くいっちゃうね、アレは。傷を逆の手で押さえたってその隙間から、もう、大量の血が、こらえきれずに溢れ出して、おれは噴火した火山を思い出したのだった。
裁判長にでもなった夢を見ていたの? いきなりそう聞かれた。え、なんで? おれは聞き返した。
だって寝言で、死刑! って言ってたよ。あ~、なるほど。いやその死刑ではなくてね、こっちの、死刑! なんだよ。そう言いながら、おれはケツを突き出し、上体を捻り、両手の人差し指できみを指し示した。
きみはゲラゲラ笑いながら、なにそれおもしろい、もう一回やっておねがい。おれはもう一度、死刑!
それから何度もせがまれ、その度におれは、死刑! 真顔でちゃんとやってあげるのだった。




