手っ取り早く終わらせちまえ
おれが怒るのはわかる。理由がある。だが、やつは何に怒っていたんだ? さっぱりわからない。もし怒っていないと言うのなら、なにをそんなにムキになっていたんだ? 殴ったら殴り返される。度の過ぎたおふざけは叱られる。当たり前のことだ。自分に限ってそんなことにはならないとでも? そんな都合のいい話があるわけがない。あるわけがないのに、何故かそんなふうに思い込んでいるやつが一定数存在するのだった。そういうやつを、おれは弱虫と呼び、軽蔑する。心の底から軽蔑する。
弱虫どもの末路はほぼ一緒だ。鼻で笑われ、軽くあしらわれる。まともに相手にされない。弱虫どもはそれが悔しくてたまらないけど、その根本的な原因が自分にあることを考えようとしないので、自己愛をこじらせ、揶揄と嘲笑を繰り返し、さらに弱く情けなく小さくなってゆく。その様は哀れを催すほどだ。
かといって同情するには値しない。連中に情けを掛けてしまうのは、真夜中のモグワイに食事を与えるようなものだ。そら見たまえ。あっという間に増長し、凶暴化してしまった。
まあ、それでも弱虫はどこまでいっても弱虫なので、撃退するのは簡単なのだが、遠回しの拒絶などは弱虫どもの眼中には入らないので、ある程度は連中のレベルにまで自分を落としてやらないとまったく話が通じないのだった。
そこが難しいところだ。他人の目がどうしても気になってしまう人は躊躇してしまうかもしれない。確かに弱虫と対峙している自分の姿はみっともないことこの上ない。それはよくわかる。それでもおれは、弱虫に絡まれてしまった場合、無視するよりも積極的な撃退を推奨する。それが世のため人のためってやつだ。
ああ、ようやく静かになった。まったくやかましい夜だった。それにも増してやかましい朝だった。そしてそれ以上にやかましい連中を近所から追い払い、遅めの昼メシとなった。望むにせよ、望まないにせよ、最近の日曜日はなんだかこうなってしまうのだった。
チキンケバブサンドをぱくつきながら、既に頭は晩メシの方へと飛んでいた。景気の悪い空。厚い雲が覆っている。身体がベタベタする。なんというか、あまりよくない一日だった。それでも、チキンケバブはいつも通りにウマい。
本当は、こんな日には、なにも書かないでいた方がいいに決まっている。連続で醜悪な瘴気にあてられ、いささかおれは疲れている。本来なら昼過ぎには書き終わっているはずだった。それから家を出るはずだった。だが、そうはいかなかった。当たり前のようにこんな日もある。
打ち負かそうとしてくるやつ。酷い目に合わせてやろうと近寄ってくるやつ。自分の手が汚れるのも構わず汚物を投げつけてくるやつ。クソッタレども。
そしてたっぷりと嫌がらせをして、頃合いを見て逃げ出してゆく。もちろん後始末などはするわけがない。いつだって、関係ない誰かが後始末をすることになるんだ。連中は、やってやったぜ、ざまあみろ、そんな風に心からの充実を味わっていたりするのだろうか。そんなはずがないだろう、もちろんそう思いたいが、想像を絶する思考回路のやつが実際に少なくない数でいるのだから、連中の頭の中がどれだけグロテスクな様相を呈していたって、おれはなにも驚きやしない。まともなやつなら、そもそもしないようなことを嬉々としてやらかす連中だ。どこかしらのネジが緩んでいるんだ。最初からずっと。
くそっ、それでもおれは文章を書くんだ。まったく盛り上がらない気分と薄暗い空と湿気の中で。なんの閃きも訪れてくれなさそうなこんな日にだって。
さてと。どうしてやろうか。まったく間の抜けた気分だ。人の一日を台無しにしようとしてくるやつがいる。下手すると一生を台無しにしてやろうと手ぐすね引いてるやつだって。なんでもありだ。そりゃなしだろう、そう思ってしまうことは多い。あまりにも多いものだから、それが普通だって勘違いしてしまう。感覚が麻痺している。混乱してくる。それでも、流されてたまるか。必死でしがみつく。自分を見失うわけにはいかない。自分を見失ってしまったら、本当のおしまいだ。この手を離してしまったら、二度と戻ってはこれないだろう。それだけはごめんだ。本当に、それだけはごめんなんだ。
道を歩けば狂人とまともな人間の区別はつかない。手放しちまったやつと、必死にしがみついているやつの区別は。
話をしてみりゃなんとなくわかる。それでもなんとなくだ。はっきりとはわからない。そいつが本当のことを話しているとも限らない。そいつが何を本当のことだと思っているのかもわからない。本人は本当のことだと思い込んで、出鱈目ばかり並べるやつだっているのだから、やっぱりなにもわからない。
ありきたりの狂気。その程度のものはそこら中に掃いて捨てるほど転がっている。その辺をほっつき歩いている。メシを食ったり、立ち小便をしたり、ベンチに座っていたりしている。別に誰も、なにもおかしいことなどはない、そう言った風だ。
いけませんか? いや、いい、大丈夫。いけなくない、いけなくない。それでいいと思う。それでいいのなら。
びっくりした。そりゃそうだ。おれが口出しするような問題ではない。おれだってメチャクチャな人間で、あまりにも多くのものが欠落している。できること、できないこと、はっきりと分かれている。できないことの方がちょっと多いかもしれない。そこにやる気がおきないことだって加わるのだから、そんな風に考えていくと、はっきりと人間界のお荷物的存在であるという事実がくっきりと浮かび上がる。
まあ、そんな風に考えるとしたらの話だ。もちろんおれはそんな風に考えたりはしない。それにいざとなったら、力仕事でも汚れ仕事でもなんでもやってやるさ。長続きするかどうかは微妙なところだが。
それでもなんだかんだで生き続けるのだろう。一時的な生、かりそめの生。運に頼る以外にできることなんてない。何の前触れもなく一瞬のうちに終わってしまうかもしれない。おれ自身が干渉できる部分はあまりにも少なく、だからこそ気楽でいられるし、だからこそ絶望に追い立てられるというわけだ。
なるようになるさ。半ば諦め気味に開き直るしか術はない。そんな中で足掻いてみたり、逆らってみたり。こうして四苦八苦しながら冴えない文章を書く日があったり。憤ったり、しょげ返ったり。そんなことを繰り返して、うんざりするくらい繰り返して、そしていつか、ぷつっと途切れるのだった。
その日はやがてくる。待ち望む者にも、どうにかして避けたい者にも、平等に。それまでになにを成し遂げるか? そんなことはどうだっていい。もちろん、拘りたいやつはとことん拘ればいい。おれにとっては興味の外だというだけだ。おれが気に掛かるのは、次の文字、次の一行、つまりはなにが書かれるのかということ。それ以外に大事なことってなにかあるだろうか。
その日はやがてくる。それまで時間がどのくらいあるのかはわからない。ある日唐突に、すべてが変わってしまう。おれの予想はこんな感じだ。予想などするだけ無駄だが、おれも少しくらいの準備をしてもいい時期に差し掛かってきたというわけだ。
おっさん、おっさんと連呼されたものだから、なんだか一気に年を食ってしまったように感じる。こういう素直さがおれの長所であると言える。少なくともおれは自分自身のことをそう思っているのだった。




