二羽の鳥が泳ぐ池のほとりで
ぼんやりと想定していたルートからは遠く外れ、指針も方向感覚もデタラメなまま、切り離した爪のような月をただ見上げる砂漠の夜。おもしろいほどに喉が渇いている。指でカサカサになった喉の奥を引っかきまわせば、どこまでも剥がれていきそうだ。口につっこんだ人差し指を耳の後ろあたりから出して、ぴこぴこ動かして、きみをびっくりさせてみたい。だけど、おれはたったひとりなのだった。おれがこの場所でどれだけおもしろいことをしでかしたり言ってみたりしたって、だれも笑ってくれないし驚いてもくれない。だっておれはこの場所にひとりだから。ここでひとり、神経症の子どもが噛みちぎった爪のような月をただ見上げているだけなのだから。だから、しょうがないから、おれひとりで笑ってる。おもしろいことなどはなにもないのだけれど。
アーユーオーケイ? ノー。もしくは否。ぜんぜん大丈夫ではない。おれは大丈夫じゃないんだ。肩は外れているし鼻は見事に折れている。絶え間なく鼻血が降り注ぐものだから、見るに見かねた親切なプリマドンナが声を掛けてくれたけど、肩が外れていない方の手で彼女を制す。それ以上おれに近づかない方がいい。真っ白なチュチュをおれの鼻血で汚したくはない。これからオン・ステージなんだろう? さっさと行けよ、おれなんかに構わず。行けったら。きみの晴れ舞台、上手くゆくことを願ってる。すべてが上手く転がることを祈ってる。さっきの質問だけど、答えはイエスだ。おれはなにも問題ない。こういうのがおれは好きなんだ。だから大丈夫。きっとなにもかも上手くゆくさ。自分を信じることだ。何度裏切られようとも、自分を信じ続けることだ。疑いの目を向けながらも、結局最後はそこに戻ってきちまうこと、そういうことってよくあるよね? 必死に自分に言い聞かせているんだ。自分を信じろって。芯から自分を信じていたら、わざわざそんなことを言い聞かせたりしないだろう。でもそうするしかない時って、あるよね? しょっちゅうあるよね?
それにしたって、この鼻の折れ方。まったく見事だ。映画や漫画なんかで、自分の手でベキッて鼻の向きを直す人いるけど、あれ本当にできるのかな。平然な顔でやるのがコツだよ。そのあと手鼻で鼻血をフンッって吹き捨てたらベストだね。現実で一連の行動をやりきれたら絶対に只者ではないという印象を与えることができるだろう。ただ普通の人はなかなか鼻を折らないからね。そこがミソだ。自分のドジで鼻を折るのはただの間抜け野郎だから、やっぱり人に殴られて鼻を折るのが望ましいけど、普通の人が人を殴るときって大抵横っ面を殴るでしょう。鼻めがけてストレートを真っ直ぐ打てるやつって、それもう素人じゃないよ。それくらいのパンチじゃないと鼻って折れないからね。
ベキッ、で鼻を治すのは前提条件からして色々と複雑なんだよ。ベキッができるシチュエーションからして、一生に一回あればいい方っていうレアな舞台だってことを知っておいても損はない。鼻を折られるほどエキサイトした場面を経て、お互いがちょっと距離をとって相対しているような状況。第三者の介入も拒否しなければならないし、考えなければならないことはまだまだたくさんあるよ。それでもきみはまだ、ベキッをしたいのか? 止めはしないが、茨の道だということは理解しておいた方がいいと思う。
駆けてゆくプリマドンナの背中を見送りながら、もう二度と彼女と会えやしないだろうことをおれは悟った。今夜の公演は大成功を納めるだろう。一夜にして彼女は評判になり、早晩彼女はショウビズの階段を駆け上がってゆくだろう。彼女の泥臭い夢は結実し、おれは道端のネズミのまま星を見上げるように、街頭ビジョンに映る彼女に目を細めるんだ。
安っぽいドラマ映画なら、そこで暗転からのクレジットロールでなんの問題はないのだろうが、現実に場面転換は存在しないのさ。おれはおれでこれから病院に行かないといけないし、彼女は彼女で爪先立ちでタイトロープを渡るような世界で生き抜かなければならない。皆が皆、それぞれの道をそれぞれの足で歩いて、老いて、いつかくたばってしまう。なんとも泣かせるじゃないか。
というわけで、おれは酒を飲み終えて店を出た。外をぶらぶら歩いた。夜にすれ違う阿呆どもの数が最近めっきり少なくなってきたと感じる。これほどの街の規模でも――と言っても特別大した街じゃないが――夜の人口減少がはっきりと見てとれる。この国はいったいどうなっちまったんだ。人生で夜遊び以外にやることがいつの間にかできたっていうのだろうか。そんな話をおれは一度も聞いたことがないのだが。ゴミみたいな遊び人たちはいったいどこに消えたんだ? おれはどこに消えればいいってんだ?
部屋に戻って、一日が終わって、夜が過ぎた。
昼前に目が覚めて、出すもの出して、朝食を摂って、歯を磨いて、それでまた性懲りもなくこの椅子に座った。特別に悪い気分じゃない。というかなにも感じない。じゃっかん身体が重く感じなくもないけど、そんなのは気のせいだと言われれば、それもそうだなと納得できるくらいのものだ。ずっとこんな気分でいることができたなら、なんて思う。でも結局午後にはぷんぷん怒りだしちまう。おれが怒らなくなったらそれは壊れた時だ。怒る気力があるだけまだまともだ。まともなやつらは怒るか壊れるか。そういう風になっている。怒っても壊れてもいないのは、悪党かアホだけだ。
どいつもこいつも老いぼれに見える。年齢とかは関係なくだ。枯れて、諦めて、線からはみ出さないことだけを気をつけて生きているように思える。もちろんおれだってそうだ。でもおれの線と、連中の線は引いてある位置がだいぶ違うように感じるのは気のせいだろうか。他人の目から見れば、おれも老いぼれに見えちまっているってことなのか? 恐ろしい考えだそれは。だが、まあ、恐ろしいことってのは大体が現実なんだ。こうなっちまったら最悪だってことだけは、きっちりと起こりやがるものだから、なにも求めなくなるし、なにも拒まなくなる。おれはポリポリと頭を掻いた。でも、そんなんでいいのか? 良いも悪いもない、そういうものなんだ。連中ならそう言うだろう。おれは? わからん。頭をポリポリと掻くくらいのことしかできん。
そんなこんなだ。そんな感じで日々は過ぎてゆくんだ。見るべきもの、書くべきこと、そんなものはとっくに何もない。誰々が死んだ、殺された、こんなに惨く、こんなにもあっさりと。そういう話題くらいでしか、もう誰も興奮しないんだから。あとは誰々と誰々がヤッたとか。殴ったとか、罵倒したとか。あいつはバカで、こいつはアホで、あそこのそいつはまだマシな方……。そういう話題でないと、もう誰も見向きもしない。この国で唯一良いところは、銃が規制されているところだな。どいつもこいつも撃ちまくるだろう。もし銃があったら。おれは? わからん。たぶん撃たないと思う。でもわからん。実際にこの手に銃があったら……撃ってみたくなるかもしれない。まあ、撃たないに越したことはない。なるべくなら撃たない方がいい。撃つのも撃たれるのも、なるべくなら。
屑籠の中の爪のような細い月。街灯に群がるデカい蛾や小さい羽虫。そいつらが引っ掛かるのを待ち構える女郎蜘蛛。巨大な分譲マンションと老人ホーム。おれは想定していたルートを遠く外れて、途方に暮れていた。今夜も星は隠れたまま、表に出てきやしないのだった。まったくじめじめと湿気た夜。まるで沼地のようだ。いや、実際に昔は沼地だったんだ、おそらくきっと。たぶん。




