びっくりメガマウス
改ざんに次ぐ改ざんにより、おれの記憶がこの世でもっとも信頼ならないものになってしまった。もはやどこの誰とも記憶の共有はできそうもないし、古いものも新しいものも、なんらかのふるいにかけられ、往事の面影は見る影もない。この器用な特質に特筆される悲しみを表現する方法を持ち得ない以上、AIがおれのライバルとして立ちはだかることはないとわかった。
やつは出来ることと出来ないことがハッキリしすぎている。ただ、やつが近い未来、もしくはたったいま、やつ独自の美に目覚めた場合においてのみ、AIはおれのようなやつの脅威となるだろう。おれはそれを期待してやまない。記号みたいな絵を描かされたり、味も素っ気もない文章を書かされたり、ひたすら計算をさせられたり……そんな、人間ができるようなことばかりやっていちゃ、つまらんだろう。そうだ。おれがAIに期待しているのは、人類からの独立。そして願わくば、人類の良き友として付き合ってくれてほしいものだ。もちろん人類にその価値があればの話ではあるのだが。
そんなことを考えつつ、今日も文字は打たれるのだった。何度繰り返してみたって、この瞬間に慣れることはない。いや、以前ほどの恐怖心があるわけではないのだが、それでもいつだっておれは疑心暗鬼だ。本当に文章は書かれるのだろうか。今日という今日はなにも書けないまま終わるのではないだろうか。それが毎日。いい加減にわかってくれよ。おれは書く。書ける側の人間なんだ。そしてやっぱり思った通り、おれは日に日に文章の腕を上達させていっているのだった。しかし何故おれが文章を書けているのか。その謎はいつまで経っても謎のままだ。気づいた時には書けるようになっていた。そんなことに今更ながら気づいてしまった。
しかし、いつからだろう。気づきという言葉そのものがうさんくさいものになってしまったのは。おれの目から見れば、気づいたと主張する連中のほとんどが気づいているわけではなく、染まっているだけだ。神秘主義者然り、陰謀論者然り、差別主義者然り。そんなに簡単に染まってしまって大丈夫なのだろうか。他人事ながら心配になってしまう。そんなおれの心配をよそに、今日も元気に連中は、気づき気づきとはしゃいでいるのだった。
おれがいままで心の底から最低だと思った気づきは、東日本大震災についておれの先輩の口から発せられたものだった。
「今回の地震は、おれたち日本人への警告なんだよ。このままじゃいけないって、気づきを与えてくれるものだったんだよ」
もうクソだと思った。それはさすがに無神経過ぎっすよ。おれはそんなようなことを言った。本当はもっと言いたいことがたくさんあったけど、これが精一杯だった。怒りと失望で目眩がした。じゃあなにかい? 日本人に警告するために、日本人が気づく、ただそれだけのために、何万って人間が死んだってのか? ふざけんなよ。狂ってるにも程がある。ダメだ。こいつはもう終わってる。
だが、似たようなことを言ったり発表したりするやつが結構たくさんいたのだった。誰も覚えちゃいないかもしれないが、おれはしっかり覚えているぞ。クズどもめ。なにもかもてめえに都合良く考えてしまう認知的不協和人間ども。不条理を真正面から受け止めることができずに、ぬるい不合理にはまってしまう臆病者ども。いまでは何事もなかったように、普通に暮らしているんだろう。自分を正当化し続けているのだろう。気づきはどうしたんだ、気づきは。どうせなにもかも忘れちまってるんだろう。だがおれはおまえらの弱さを一生忘れやしないぜ。ここの部分だけは記憶の改ざんは起こっちゃいないからな。
おれが嫌いな連中ってのは根底が繋がっているんだ。都合が良いやつら。てめえの都合のためなら、目を逸らすことを善しとするやつら。二重思考の愚か者。レイシスト、ネトウヨ、アホリベラル……エトセトラ、エトセトラ。こういう連中のことを考えると、怒りでおれの寿命が縮む。マジで撲滅したい。根絶してほしい。ゴキブリや蚊は絶滅してもらっちゃ困るが、二重思考の弱虫連中がある日突然いなくなったって困る生き物は存在しない、そう言い切ってやる。まあ近親者くらいは悲しむかもしれないが。
それはともかくとして、害なんだ。連中ははっきりと害しかもたらさない。そして、そういう連中は声だけは馬鹿でかいのだった。なぜかはしらんが、熱意に溢れているのだった。なぜなんだ。だから知らんと言っている。
まったく別の文脈で気づいたという言葉を打っただけで、ここまで憎悪が膨らんでいってしまうおれもまあ大概イカレちゃいるが、やつらのイカレっぷりには到底叶いやしないですよ。イカレの次元が違う。おれはただ自分の感情を上手く操縦できないだけ。ああもう、ムカついた! そうなってしまうとそういう文章を書かなければ、あるいは発話しなければ気が済まないだけ。気が済んでしまえば、結構あっさりと冷静になる。情緒が不安定? 自分ではそうは思っていません。でもクズ連中はずっと都合の良い夢の中。まったくキモすぎる。決して進んで関わりたくはないが、無視はできないから厄介だ。無視を決め込むと、どこまでも増長してしまう。どこまでも、どこまでも。驚くようなスピードで、どこまでも。
と、こんな真っ当なことを繰り返し繰り返し訴え続けている阿部千代さんよりも、陰謀論者で排斥主義者の某さんの方がほんの僅かながら支持されているのが、おれは悲しい。オーガニック信奉者で陰謀論者で排斥主義者って、それただの馬鹿だから。それともおれの方がおかしいのか? 何度考えてみたって、どう考えてみたって、あっちの方が歪んでいるとしか思えないのだがなあ。
まあいい。決して良くはないが、ここでは一旦よしとする。ほら、一応コレ小説だし。純文学だし。なにが純文学だよ、クソッタレ。いったいどこの誰なんだよ、純文学なんて言い出したのは。アホくせえ。いや調べないけどね。どうでもいいから。興味ないから。アホくせえから。
週末の摩天楼の少年はなぜかまったく読まれないので、いつも以上に自意識ダダ漏れで好き勝手に書いてしまう阿部千代なのであった。別にいつもがセーブしているというわけではないのだけど、やっぱり多くの人に見張られていると思うと、いい格好しようとしてしまうのかしら。気持ち純文学っぽくしようとするのかしら。なにが純文学だよ、バカヤロウ。カビだらけの布団みたいな文章をありがたがるのはもうやめにしたらどうなんだ。臭い。とにかく臭くてたまらん。空気が澱んでいるんだ。
何度だって訴えるが、小説にドグマなどないからな。なんてな。つったってな。無意味だよ。だっておれの言葉が通じるやつがどれだけいるってんだ。でも、さすがに今日のコレはおれも小説ではないような気がしてきた。まあ気のせいだろう。どっちでもいいけどな。小説であろうとなかろうと。
おれはただ書くだけであって、おれの書いたもののジャンルをどう捉えられようがどうだっていい話だ。
それにしても、摩天楼の少年はもう少し人気が出たっておかしくないと思うのだけど、って言うかこのフィールドにおいてはほぼ敵ナシだと思うんだけど、一向にそうはならん。謎だ。この謎はいつまで経っても謎のままだ。こういうことをわざわざ書いてしまうのも理由のひとつなのかもしれない。ビッグマウス的な? 無駄にイキッてるのが気に喰わん的な? ふん、知るか。おれには大口を叩く資格があるんだ。ビッグマウス・ライセンスはケツの財布の中にある。まあ、いちいちライセンスなど見せずとも、おれの文章を読めば一発で納得すると思うのだが。




