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巨大な雌雄同体のバケモノ

 仮に小説を書く才能というものがあったとして。そしてさらにその才能をおれが得ていたとして。だとしても、おれは結局なにも書けないのだろう。つまりは、それがおれという人間だからだ。おれという人間の一生は、こういった文章を書くことに時間を費やして、そしてすべてを失ってゆく。そのことについて、真面目に考えてみよう。

 まず第一に、おれは小説に屈服している。おれが感銘を受けてきた小説、時代性なんてものは関係ない、そんなものは軽くぶっ飛ばしてしまう、とてつもないパワーをもつ小説が確かにあるということ、そんな代物を涼しい顔で――実際はどうだかは知らないが――やり遂げてしまった巨人たちの仕事を見るにつけ、おれには到底到達不可能な領域があるという事実から目を逸らすこと叶わなかった。それはおれが三十路を過ぎるまで決してなにかを書こうとしなかった理由でもある。無理なんだ。どう考えても。どう転んでも。

 そして第二はない。それがすべてだった。おれは這々の体で逃げ出すしかなかった。恐ろしかった。ただただ恐ろしかった。逃げたとしたって、逃げ切れるはずがないと理解しながら、それでも逃げるしかなかった。どこにいたって連中の目が光っていた。おれは見張られていた。小説なんて書き出してしまったら最後だ。連中と目が合ってしまう。それだけはどうしても避けたかった。もしそんなことになったら、おれは石になっちまう。言葉を奪い取られ、沈黙の中で、固定された視点の中で、どうどう巡りの思考の中で、永遠とも思える耐えがたい苦痛の中で。それはどうしても避けるべきことだった。


 乱立するバベルの塔。混乱と混沌の象徴のような光景だが、眺めていると不思議と気持ちがラクになった。おれとはまったく関係のない場所で、なにか強大なものが蠢いている。有機的かつ無機質な巨大ミミズがのたうちまわっている。そんな光景をしばらく眺めているのがおれの日課になった。

 その光景の中に彼がいた。自由に飛び回っていた。摩天楼の少年。

 少年の存在に気づいたのは、いつのことだったろう。最初から知っていたような気がするし、つい最近のことのようにも思える。おれと少年はまったく異なる存在でありながら、おれはなぜか少年に親しみを覚えていたし、少年とおれの存在を重ねてさえいた。まったく似ても似つかない存在であるのにだ。

 摩天楼の少年は気の向くままに飛び回り、興味深いものも、取るに足らないものも、すべてを拾い集めていた。崇高なものも、通俗なものも、価値のあるものも、価値をつけられたことのないものも、一緒くたにまとめてコレクションにしていた。

 だって、そこに差なんてないもの。綺麗も汚いも一緒さ。ぼくは、誇り高いものも情けないものも、拾った順番にただ並べてみるんだ。それを遠くから離れて見ると、なぜだか愛おしいんだ。その愛おしいものが、ぼくの中に確かに揃っているって、それでぼくは安心するんだ。ああ、ぼくはぼくなんだってね。


 その日からだ。おれが小説を書きはじめたのは。ただし、おれはおれの書くものを、どうしても小説だと言い切ることができなかった。「小説のようなもの」あるいは、ただ単に「文章」。そんな言い方をしていた。やっぱり怖かったからだ。小説への降伏の姿勢を見せておかないと、いつ石にされてしまうか知れたものじゃない。

 でも、そんな誤魔化しが通じる相手ではなかった。おれは連中を甘く見過ぎていた。

 ある日、おれは確かに目が合ってしまった。言い訳のしようがないほどにばっちりと目が合ってしまった。そして……おれはいまだに目が逸らせないでいるのだった。恐れていたことが現実となった。おれはついに石になってしまったのだった!

 こんな状況だけは絶対に避けたい、そう考えてしまった時点で、そんな状況に自然と導かれてゆくものなのかもしれない。おれ自身がこの状況を望んでいたと言うこともできるわけだ。そして実際、石になってみたらなってみたで、案外ラクなものだということを知ることができた。なにもかも素晴らしいというほどのものではないが、まあずっとこのままでもいいかなと思えるくらいには大したことがなかった。拍子抜けだ。考えてみれば、おれの人生にそんな大層なことが起こるわけがなかった。なにをあそこまで恐れていたのか。おれは笑ってしまった。


 石になっても絶望をしないおれだ。果たしておれに絶望はあるのだろうか。この真綿で首を絞められているような感覚、これは絶望ではないのだろうか。ほぼすべての人間がクソッタレに見えるおれの感覚は絶望ではないのだろうか。絶望とは。よくわからなくなってくる。だがネガティヴな属性のものであるのは確かだ。良いものだとは思えない。だがしかし、絶望、心の闇、なんだっていいが、闇属性に属するものたちからしか収穫できないものはある。それらが表現や創作の推進力になることだってじゅうぶんにあり得る。ひたすら絶望と向き合うことだって、それは立派な仕事であり、立派な人生であると言える。闇に身を浸し続けることで、結果的に常に身体が光に包まれるようになることだって珍しいことではない。

 だが、光を身に纏ったからといって、決してハッピーになるということではないのが難しいところだ。ネガティヴはどこまで行ってもネガティヴだ。絶望の暗い霧が晴れることはない。どうしようもないやつらはどうしようもないし、どうにもできないものはどう足掻いたってどうにもならない。光の戦士が闇を完全に払拭することはできない。なぜなら光の戦士の内にだって闇は確実に巣食っているからだ。そして何度も言っていることだが、闇を根絶した後の世界が良いものになるなんて、おれには到底思えない。もしかしたら、いま初めて言ったかもしれない。何度も言っている気がしたが、それは気のせいだった。おれはまた笑ってしまった。


 真に恐れるべきものは虚無である。とにかくニヒリズムにだけは陥らないことだ。たとえ、きみの目にはそれがクールに映ったとしてもだ。まあ憧れを源泉にニヒルを気取っているのがニヒリストのわけがないので、そんなやつは放っておいてもいいのだが。

 虚無には闇も光もクソもない。生きる喜びも慈愛もなく、ただひたすらにニュートラルだ。なにもないというのは絶望よりも恐ろしい。のっぺりとした相対化された世界の中で、死んでいるように生きている。昨日と今日は同じ一日で、そして明日への期待もない。ルーティーン化された日々を淡々とこなす。与えられた日々を粛々とこなす。恐ろしいことだ。とても恐ろしいことだよ。


 上空に漂う雲はバベルの塔のさらに上空を低く吹き抜け、そしてどこかに消えていった。おれと摩天楼の少年は時計台のへりに腰掛け、ふたつに分けたパピコをひとつずつ咥えて足をぶらぶらさせていた。

 外国からの観光客がおれたちに手を振る。おれたちは手を振り返す。観光客はおれたちを写真に収めようとしているが、それは無理な話だ。おれたちの姿はカメラのレンズには捉えられないだろう。詳しくは説明しないが、少年にはそういうことができる。少年が詳しく説明してくれたが、おれにはさっぱり意味がわからなかった。だから、そういうことができるということで納得してほしい。

 少年に煙草を吸っていいか尋ねた。はっきりと拒絶された。聞けば、ハヤブサの雛が生まれたばかりなのだという。それはしょうがない。おれは久しぶりに煙草を我慢することにした。いつ振りだろう? なにも思い出せない。そして、おれはまた笑ってしまったのだった。

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