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「森末さん、わたしを担いでいるんじゃないでしょうね」
「そんな趣味、オレにはないよ。……でも、あっ、消えた。森井ちゃんが嫌われたのかな」
「どうして、そこがわたしなんです」
「だってホラ、オレは幽霊の理解者だから……」
「なんですか、それ……」
「まあ、いいからさ」
わたしにはどこが良いのかわからなかったが、取材先が近づいたので口を閉ざす。
それにしても都会の喧騒から遠くて静かで吃驚するような土地だ。
加えて目的地に近づくほど怪異な印象が強まってくる。
本当に怖い出来事は理由がわからないことだ、と森末さんは言ったが、確かにそうかもしれないとわたしも思う。
わたしは自覚的に臆病ではないが、それでも訳がわからないことは怖いと感じる。
友人だと思っていた男が実は不埒な噂の元凶だったという、そんな事件の取材を前にしている。
話を伺ったご本人に思い当たる節がなく、飲み会で出会えば、忌憚なく喋り合った相手だからと首を捻る。
そのときの様子にも特に不自然さはなく、ご本人の中では未だに中傷の理由が謎らしい。
相手も含めた取材の結果、記事ではその原因を自己愛性パーソナリティ障害としたが、本当の理由は闇の中だ。
ありのままの自分を愛することができず、自分は優れて素晴らしく、且つ特別で偉大な存在でなければならないと思い込むのが自己愛パーソナリティ障害だが、結果として、その妄想を破壊するような対象を憎み、亡き者にしようとする。
もっとも実際に殺人に至るケースは稀だろう。
その代わり対象を貶める行為を繰り返す。
または自分への想いに浸り切る。
後者は――おそらく家族以外の――他人にとって迷惑ではないが、前者は色々と面倒だ。
ありもしない噂を共通の友人にバラ撒かれたり、一目上の人物に非難されるように画策したりされるのだから……。
例えば一時期羽振りが良かったが、その後失脚または失職し、客観的に自分より上となってしまった元同僚や同業者を自分より下に落ちるように振舞うわけだ。
もちろん自分ではそれを信じ、疑う心があれば押し隠す。
彼や彼女らに仕事上で勝てないならば、人間性を貶める。
知っている秘密があれば容赦なくバラし、なければ秘密をでっち上げる。
今でこそ好人物のような顔をしているが、嘗ては口八丁で他人の仕事を横取りし、自分もその被害にあったなどと口にする。
特に迷惑なのは対象人物のことを良く知らない共通の知人に悪い噂を信じさせてしまうことだ。
この障害を患った人間が普段は感情的にならず落ち着いた者に見えるため、それを覆すことが困難なのだ。
もちろん噂を信じさせられた人物と噂をバラ撒かれた被害者が親密な関係になれば誤解は解ける。
が、そうならない場合は噂が何処までも広がってしまう。
特にネット社会となってからは噂が一人歩きを始める危険性が高まっている。
「ローレライ出版の方ですね。お待ちしておりました」
アポイントメントは得ていたが、言葉の割に歓待された雰囲気はない。
が、それも道理か。
何しろ、わたしたちが訪れたのは約三十年前の事件の当事者家族の家だったからだ。
「申し訳ございません。今更過去のことを蒸し返すようでお腹立ちでしょうが、各方面に目を行き届かせないと偏った記事になってしまいますので……」
と如才なくわたしが言うが、それは事実。
けれども最初に連絡を入れたとき、わたしはこの取材が実現するとは思っていない。
現在では没落しているとはいえ元華族の家柄で、その家系の最後の子供が事件の犯人なのだから……。
旧いが広くて立派な家の玄関にわたしたちを出迎えたのは四十代後半の男。
家の使用人だ。
主人は離婚して実家に戻った七十過ぎの女で、昔のことは知らないが、今では少し毀れてしまった感じがある。
「娘が何か仕出かすのではないかと、いつも心配しておりました。生まれてすぐのときから、ずっと……」
と洋間に現れた着物姿の女主人が言う。
一通りの挨拶を終えると間を置かず。
矍鑠として見えるが、目の奥が時折泳ぐように揺れる。
それが、わたしに少し毀れた印象を生む。
「あの子は、灯は、とにかく怖い子供で、わたしのことを恨んでいました。何を行っても自分がわたしに勝てないことを悟ってからは特に……。自分の家の中で何度も殺されそうになりました。うっかり二階の窓から外を覗くと危なくって……。だって、あの子が憎しみの篭った目でわたしを睨みながら足早に近づいて来るのですから……。時には微笑を浮かべながら。どんなに大変な思いをしてわたしがあの子を産んだのか、あの子は少しも理解してくれないし、感謝もない。いつもわたしに逆らい、少しでも油断すると食器の欠片でわたしを傷つけようとしたり、逆に失敗して自分の方を傷つけてしまったり。物心付いたときから、そんなことの繰り返しです。路挙句の果ては勝手に結婚して海外に旅立ってしまう。しかも軍事政権の野蛮な国へ……。それから二年としないうちに、その地の色に染まったのか事件を起こし……。今では何処でどうしているのやら……。生きていれば五十に近い歳ですわ。まったくもって、お恥ずかしい限りです。でも、きっと生きてなんていませんわね。そんなこと世の中が許しませんから。ああ、そういえば……」
女主人の繰言が続く。
その間を縫って森末さんが、
「お嬢様のお写真はございますか」
と質問する。
これまでの取材を通じ、わたしたちはアカリ・ドラモンドまたは鷹司灯の写真を入手していない。
裏で手を引いた人物がいたのか、当時のミャンマーの新聞には顔写真が載らなかったし、そもそも日本では報道すら行われていない。
「吉益さん、お願いします」
女主人が命令して使用人の男が一旦奥に引っ込み、アルバムのようなものを手にして戻ってくる。
それを女主人に手渡すと、慣れた手つきで女主人がページを繰る。
開いたページをそのままに、逆を向け、テーブル越しにわたしたちに差し出す。
そのときの森末さんの驚きを、わたしは何故か予感する。
当時まだ十八歳だった花嫁の写真を確認してから口の形だけで森末さんに問う。
(森末さんが見た幽霊は、このヒトね」
すると、確かにそうだがどうしてそんなことがわかるんだ、という顔を森末さんがして不思議がる。
もちろん、わたしに答があろうはずもない。




