30 お嬢様、公爵家の秘密を知った
朝食を終えて、わたしはいつものように屋敷をぶらぶらとしていた。
本当のことを言えば、こんなにのんびりとしている余裕はない。わたしの耳には、まだお兄さまの恐ろしく甘い囁きが残って、体を震わせている。
早く、早く、お兄さまを満足させられるだけのお花を見つけなきゃ! そう、焦るリディアが確かにいる。
だけれど、よく考えてみてほしい。
今日のわたしは、非情な諜報員なのだ。
国のため、家族のため、自分のため。世の中には様々な理由で諜報員をやっている人がいるだろう。鍛え上げられたエリート、まだぺーぺーの新人、いろんな人がいるだろう。でも、どんな諜報員でも間違いなく言えることは、見つかったらそれで終わりだという事だ。
諜報員は危険な仕事だ。情報を持ち帰るために、敵地で1人、ひっそりと身を隠す。周りは全て敵で、気が付かれたら最後……そんな世界で生き延びるために、大事な事は何か? わたしは考えた。そして、こんな言葉を思い出した。
急がば回れ。急いては事を仕損ずる。
めいく、へいすと、すろーりー!
ちょっとよく意味が思い出せない部分もあるけれど、要するに、焦らずいつも通りが正解ってこと。
であるからして、わたしは、あえて余裕ぶって屋敷をぶらぶらと歩く! これこそが正道! ご清聴ありがとうございました!
心の中のリディたちが拍手喝采するのを感じる。
よっ、さすがリディちゃん! こんな時にのんびりするなんて、普通じゃないぜ! というリディ。
いやん、リディちゃん、なんて理知的なせ・つ・め・い! ステキー! というリディ。
わ、わたしには、あのお兄さまを見たのにあえて後回しにする度胸なんてありません……リディちゃん、凄いんだね。というリディ。
リディちゃん、いけーっ! もっと回れー! というリディ……ちょ、ちょっと待って。リディが多すぎる。
「おちついて! リディは1人! リディはわたし!」
頰をぺちっと叩いて、活を入れる。わたし、今気がついたけれど、混乱状態みたいだわ。
混乱状態のときは、とりあえずおやつを食べるべき。朝食をとったばかりとか、気にしてはいけない。これは、混乱をとるのに必要な処置なのである。
よし、厨房へ行こう。
「バカヤローッ! ラムチョップはラムをチョップして作るんじゃねぇよ! ミンチにしやがって……お前はどれだけ頑張ってチョップしたんだ、オイ?」
ああ、この修羅場。
料理人さんが帰ってきたんだわ。なんだかホッとして、涙がでちゃいそう。
「おはよう、グレおじさん。おやつがほしいのだけれど」
「ああ、おはよう、リディアお嬢ちゃん。別に構わねぇが、ちぃっと早くねえか?」
「ちょっと早いけれど、じじょうがあるのよ」
「おお、わかった」
グレおじさんがおやつを取りに行っている間に、料理人さんと向き合う。
「料理人さん、おはよう。あなたはきょう、お昼にバラの庭のあずまやに行くといいことがあるわ」
「ええ? いきなりなんですか、お嬢様ー?」
「そんなおつげを夢で見たの! きょうは、バラの庭に行ったほうがいいわ。ね、やくそくよ?」
不思議そうな顔の料理人さんを残して、わたしはグレおじさんからおやつを受け取って厨房を出た。
部屋でおやつを食べながら、この後の計画を考える。
まずはメイドさんに自然な感じで会って……それで、こうして……ああして。うん、完ぺき。
もう混乱も解けたみたいだわ。やっぱりおやつを食べると、頭がすっきりする。
諜報員リディの活躍は、ここから始まる!
「あっ、メイドさん! 待って! 待って!」
「は、はいぃ! わたし、ここで待ちます! 待ちますからっ」
「はぁ、はぁ……ふう。あら、メイドさん、きぐうね。どうしたの?」
「えっ! わた、わたし、またしても幻聴でしょうか!? リディアお嬢様に呼び止められたと思ったのにっ」
「ええ、げんちょうね。気にしないほうがいいわ。と、ところでメイドさん、お昼きゅうけいはどこでとるの?」
「すみません……ええと、休憩はメイドの休憩室か、たまに中庭に行きます」
「ふうん……ん、こほん! あー! きょうはいい天気ねー! きっと秋バラがきれいにさいてるだろうなー! バラの庭のあずまや、すてきだろうなー!」
わたしの作戦はこうだ。メイドさんの思考をさりげなくバラの庭へと誘導させる。
これでメイドさんは、『お昼、どこで休もうかなぁ……あ、バラの庭に行こうかな』となる筈である。
そこには、わたしからお告げを聞いた料理人さんが!
見つめ合う2人! あずまやのテーブルの上には、2人を指すかのように、デンファレの花が……!
これで、お互いに運命を感じるに違いない。
諜報員リディは表に出ない。裏で暗躍するのだ。あずまやの陰でこっそりと見守ろう。
「まあ、ではバラの庭にお茶の支度をいたしましょうか?」
「いえいえ! おかまいなく! それよりメイドさん、きょうはバラがほんとにきれいよ。たぶん、お昼がいちばんきれいだわ! ね? ね?」
「ええっと……はい。お昼に見に行こうかなー」
「あら! えへへ、そう? そっかー、いってらっしゃい!」
「はい……なんのイタズラですか?」
「じゃあまたねー、メイドさん! ぜったい、あずまやに行ってね!」
なんて自然な会話! ここまでは完ぺきだわ。あとは……駄目押しで庭師さんにも手伝ってもらおう。
「お嬢様ー。来ましたよ。僕に何の用ですかー?」
わたしは今、あずまやの裏の茂みに隠れている。計画通りに料理人さんが来たのは良いけれど……わたしの事を呼ばないで! わたしはお告げを言っただけよ。ここで2人が出会うのは運命なんだから。
「お嬢様ー? いいことってなんですかー?」
ああ、早くメイドさんが来ないかしら!
その時、バラの向こうから大きな声が聞こえた。
「り、リディアお嬢様っ! わたし、来ましたよっ! なんのイタズラが始まるのか、こ、怖いのでふがっ」
「あ、噛んだー」
「リディアお嬢様っ! あ、あずまや、入ります! あんまり怖いのは嫌でしゅよっ」
「また噛んだー」
あずまやに入ってきたメイドさんは、固く目を閉じて震えていた。わたしがあずまやにいない事も、料理人さんが目の前にいる事も全く気がついていない。
わたし、メイドさんにイタズラするなんて予告していないのだけれど……何を勘違いしたのかしら。
「マリー、僕ですよー」
「ひっ! ……あれ? 料理人さん?」
「はい。マリーも、お嬢様に呼ばれて来たんですかー?」
「は、はい、何かイタズラを用意しているような事を仰っていたので……料理人さんも?」
「僕は、あずまやに来たらいい事があるって言われたのでー。そっか、マリーと会う事だったんだ」
2人は並んで座り、談笑し始める。
おおう、いい感じじゃない? もしかして、運命感じちゃってる?
ここで庭師さん、駄目押しをお願いします!
わたしは別の場所に隠れている庭師さんに向かってハンドサインを出した。
「おやおや、お若いおふたりさん、こんにちは」
「こんにちは、庭師さん。どうぞ、座ってくださいー」
「いえ、わたしはただの通りすがりですから、お気になさらず。……おや? それはデンファレですね。花言葉は『お似合いの2人』」
そこまで聞いて、メイドさんの顔が真っ赤になった。
「お、お似合いっ! そんな、料理人さんに悪いですっ」
「そんなー、僕は嬉しいですけどー? ふふ、お似合いの2人かぁ。ありがとうございますー!」
「いえいえ、私はただ花言葉を言っただけですから。では、失礼しますね」
さすが庭師さん、自然な演技! 完ぺきだわ。これで2人は絶対に運命だと分かる筈。
「リディアお嬢様、やっぱりわたしが料理人さんの事す、す、すす好きってご存知だったのでしょうか!?」
「うーん、もう屋敷中の人がご存知かもしれないですねー」
「そ、そんなっ。料理人さん、ごめんなさい! 変な噂になってしまって……」
や、やばい、メイドさんが泣きそう! ちょっと料理人さん! 早く慰めてあげて!
「ふふ、お似合いの2人だそうですし、良いんじゃないですかー? そのうち、僕がマリーに夢中ってウワサに変わるかもしれませんねー」
「えっ」
よし、いいぞ! 料理人さん、なかなかやるわね!
「あ、そうだ。僕、今日も失敗しちゃって……ラムの挽き肉で、グレゴーリオさんがミートパイを作ってくれたんです。一緒に食べませんか?」
なに? ラムのミートパイ? そんなもの、わたしは食べた事ないけれど……
「いつもの失敗作じゃなくて、今日は美味しいパイで良かったですー。はい、半分こ」
スパイスの煮込んだ香り……
サクサクパイのバターの香り……じゅるり。
「それで、マリーはいつになったら僕の名前を呼んでくれるんです?」
ふらふらと踏み出していた足が、ピタッと止まった。
そうだ、2人はたまたま出会い、今はいい雰囲気なんだ。わたしは諜報員なんだ。ここでミートパイに釣られてはいけない! がまん、がまん……
目を閉じ、耳を押さえ、しゃがみこんでミートパイの誘惑と戦う。
頑張れリディア、やればできる、ミートパイは今度グレおじさんに作ってもらう!
気がつけば、あずまやにはメイドさんも料理人さんも居なくなっていた。
「あれ……? メイドさーん……料理人さーん?」
うそ、わたしが自分と戦っている間に、お昼休憩が終わってしまった……? え、うそ、本当に?
う、ううう。諜報員だったのにー! 2人の恋の進展を見守る筈だったのにー!
「う、えぇっ……ぐすっ」
だめだ、悔し涙が……いや、これは心の汗!
「ひうっ、ミートパイ……! うああっ」
「やっぱり隠れていたんですねー。お嬢様のミートパイも、ちゃんとありますよ」
「えっ」
目を開けると、そこには2人がいた。
「な、なんで……」
「あのっ、リディアお嬢様が隠れている筈って、料理人さんが教えてくれて……」
「ミートパイまで出したのに、なかなかお嬢様が出てこなくて、あれー? ってなってた所でしたー」
つまり、わたしの諜報活動は筒抜けだった……? この2人は、ただの料理人さんとメイドさんではない?
「なぜ、わかったの……?」
「ふふ、お嬢様ー。プラトナム公爵家のスーパー料理人とスーパーメイドを見くびっちゃダメですよー。なんちゃって」
そう、つまり……ここで働く使用人たちは全て、諜報員としての修行を積んでいる……そういう訳なのかしら。わたし、プラトナム家のとんでもない秘密を知ってしまったわ。
「わたしの負けね……もう、ちょうほう活動はやめにするわ。あの、だからその……ミートパイを……」
「はい、どーぞ」
「わーい! ありがとう! 2人とも、そのお花はあげる! おしあわせにねっ」
わたしはミートパイを受け取り、真っ赤なメイドさんと楽しそうな料理人さんから逃げた。だって、バレてしまったらもう、逃げるしかないのである。




