龍平会 その三
老師が憑依した霧上と、男達が動いてから僅か三十秒後、男達は地面に突っ伏していた。
軽く打ち込まれた掌底を受けた瞬間、男達を船酔いを何倍にもした様な感覚が襲い、立っていられなくなったのだ。
目の前の少女が只者ではないという事を男達はようやく理解した。
「く、クソっ……気持ち悪ぃ……」
「ぐおぉ……」
悔しそうに呻く男達を見下ろしながら、霧上はヤレヤレと首を振った。
まだ憑依を解いていないらしく、彼女の口から漏れ出たセリフはとても老獪なモノだった。
「全く、なっとらんのぉ……門番がそんなザマで大丈夫なのかのぉ? 主様、こんな奴らの手を借りるのですかな?」
「(それは……私が決める事では無いからな……何とも言えないが……)」
老師の問いに霧上はそう曖昧に答えるしかなかった。
しかし、彼女も内心、一般人と大差ない実力の人間を巻き込むのは如何なものかと迷い始めていた。
だが、彼女達は重要な事実を忘れていた。
この『龍平会』は対魔課が名前を挙げる程の組織であるという、紛れもない事実を。
そんな組織が、チンピラ風情のみで構成されている訳が無いのである。
それを、彼女達はすぐに思い知らされた。
男達が座っていた受付の様なカウンターの奥にあるドアがゆっくりと開き、中から一人の異様な風貌の男が現れた。
身長は180センチそこそこだろうか、それなのにガッシリとした体付きをしているせいかもっと大きく見えた。
上品なベージュのスーツを着こんではいるが、隠しきれない程鍛え上げられた肉体が上質な生地を押し上げていた。
目に眩しい金に染められた髪は、オールバックに撫で付けられている。
そして、何よりも彼女達の目を引いたのは、彼が顔に付けている木製の面と、手に持った木刀だった。
余りにもアンバランスな装備品に、ルミは目を白黒させながら男を観察した。
「(えっ……? えっ!? あれ、確か七福神の、えっと……)」
ルミは何処かで見た事のあるお面の顔の詳細を思い出そうとしたが、すぐに今はそんな場合ではないと我に返った。
が、男の方は口元こそ見えなかったが、どうやら欠伸をしているらしく
「ふあ〜あ……」
というくぐもった声を聞き取れた。
そして欠伸が収まるなり、お面の男は床に転がっている二人組を見て、こう言った。
「おいおい、折角の昼寝が台無しやないか。何騒いどるんじゃ?」
面のせいで音がこもっているせいだろうか、男の声は不思議と優しい雰囲気に満ちていた。
もしかして、この状況を解決してくれるかもしれない、とルミは期待の眼差しを男に向けた。
が、霧上……正しくは霧上に憑いた老師だけが正確に、自分達が死の淵に立たされていると理解していた。
ビリビリと肌を刺すような、見えない何かが自分達を包囲しているような、そんな感覚を味わいながら老師は口を開いた。
「こりゃあ、たまげた……なるほど、お主が本当の番か」
「ん? 何や? カチコミかいな? ひーふーみ……おいおい、たった三人かい……ええ度胸しとるなぁ。てか嬢ちゃんがコイツらのしたんか? やるやないか!」
面を着けた男はどことなく嬉しそうにそう言うと、木刀を肩に担ぎ上げた。
生前、そして死後、老師は膨大な数の戦いをこなしてきた。
彼は霧上に内緒にしていたが、生きていた時の事も彼はしっかりと覚えていた。
数多の経験の中でも最も強烈な、命が絶たれた時と似た感覚が老師を襲っていた。
面の男との間合いは3メートル弱……とても男の得物らしき木刀が届く距離では無い。
間にはカウンターもあり、老師の動きを持ってすれば一合は確実に交わせるはずなのだ。
それなのに、老師の本能は告げていた。
既に自分は愚かルミとエリナも纏めて男の間合いに入ってしまっているのだと。
「(はてさて……どうしたもんかのぉ)」
老師が、一か八かの賭けに出ようとするのを止めたのは、ルミの一言だった。
「あ、あの!! 私達、夜亟さんからココに来る様に言われて……!!」
「ん? そっちも女か? ちゅうか、夜亟……? あ〜そう言えば何かパソコンが音出しとったのぉ……俺ぁメール見れんのやから電話して来いや……おい、オメェらいつまでも寝とるなや。デスクのパソコン確認して来いや」
「う、うす……」
床にうずくまっていた男二人は立ち上がると、よろめきながら面を被った男が出てきた部屋へと入って行った。
面の男は
「悪いなぁ、ちぃと待っとってくれや」
と言うと、カウンターを乗り越え、そのままその上に腰を下ろした。
どうやら、命の危機は回避出来た様だ、と判断した老師は気になっていた事を尋ねてみた。
「……お主、もしや盲目か?」
「ん? あぁ、俺ぁ元々右目が見えないんや、左目だけに頼って生きてたんやが……」
男はそう呟くと、面を右側へとズラして見せた。
途端に、男の顔に縦に大きく走った刀傷らしきモノが露になった。
ルミが「ヒエッ……」と怯えた声を出すと、それを聞いた男はルミの反応が期待通りだったのか、笑いながら面を元の位置へと戻した。
よくよく見てみれば、男が着けている面には目の部分に穴が空けられていない。
「せやから、みっともないからのぅ、面を着けさせて貰っとるんや」
「お主程の男がその様な傷を負わされるとは……信じ難いな」
「ハッハッハ! 何やヤケに高う評価されとんなぁ。ちゅうか、嬢ちゃんおもろい喋り方しとるなぁ。どうれ……」
男は急に黙りこくると、じっと霧上の方へと顔を向けた。
その瞬間、フワリと柔らかな風が、霧上の肌を撫でた気がした。
「ほぉ……嬢ちゃん、いや、中に入っとるのは別人なんやろが、なかなかおもろいなぁ……そっちの嬢ちゃん達も色々と…………おっと!! そういや名乗っとらんかったな、俺ぁ銀次って呼ばとるんや、宜しゅうな」
面のせいで見えなかったが、ルミは男が笑みを浮かべているのだろうと、分かってしまった。
それ程に、男の声には歓喜の気配が満ち満ちていた。
まるで、これから面白い事が起こるのが分かっている、子供の様な響きの声だったのだ。




