鬼と修羅 その二
静謐な森の中で、緋志と剛司の戦いは続いていた。
徐々に緋志の動きに体が慣れてきたのか、剛司の反撃に緋志がヒヤリとさせられる場面が増えて来た。
吸血鬼モドキの再生能力があれば一撃で致命傷を負うとは考えにくかったが、それもルミの血による吸血鬼化が持続している間だけの事である。
そもそも、吸血鬼化が解ければ緋志の身体能力は一般人より鍛えているだけの只の人間のものに戻ってしまう。
そうなれば、確実に緋志は殺されてしまうだろう。
既に、戦闘が始まってから五分は経っているため、緋志に残された時間は十分も無かった。
「(………同じ箇所を斬り続けても全く変化が見られない。急所を突いても効いてる様子は無し……)」
緋志は最早、小太刀による斬撃が無意味である事を悟り、残された最後の手段を試す事にした。
体の重心を後ろに残したまま、わざと上半身を前に傾ける。
緋志が前身してくると錯覚した剛司は、スマッシュ気味のアッパーを繰り出した。
ブオン!! という凄まじい音が緋志の耳に届いたが、緋志は後ろに飛びずさる事でその一撃を躱していた。
「(今!!)」
剛司の体の側面ががら空きになった隙を見逃さず、緋志は叫んだ。
「『惨架』ッッ!!」
遠丞の技の中でも、決め技として使われる技の名を緋志は口にした。
緋志の肉体が謎の力で加速され、前へ突進すると共に斜めに小太刀を斬り払った。
更に間髪入れずに体を回転させると、最初の斬撃と直角に重なる様に斜めに斬り上げた。
ガキン、ガキンッッ!! という金属同士がぶつかった様な派手な音が空気を震わせる。
今までとは比べ物にならない威力の攻撃だったが、剛司の体に傷を付けることは出来なかった。
しかし、剛司は衝撃でバランスを崩しよろめいた。
狙い通りに更なる隙を作る事に成功した緋志は、再び声を上げた。
「『烈衝』!!」
緋志の右足が跳ね上がり、正確に剛司の顎を捉えた。
まるで大木に打ち込んだ様な手応えが緋志の足に伝わったが、構わずに緋志は足を振り抜いた。
剛司の巨体が浮き上がり、彼は頭から地面へとひっくり返った。
が、受け身すら取っていないというのに、何事も無かったかのように剛司は起き上がった。
「……冗談キツイな。今ので脳震盪も起こさないのか?」
思わず、緋志の口からそんな呟きが漏れた。
尽く攻撃を無効化され、いよいよ手段も尽きてきた緋志の心に徐々に不安がせり上がってきた。
それなのに、心の何処かで今の状況に喜びを感じている自分が居ることに、緋志は気付いていなかった。
間合いを図りながら次の手を考える緋志に、剛司は両手をダラリと下げるとこう言った。
「気は、済んだか?」
「………は?」
「気は、済んだか、と聞いたんだ。もう、分かっただろう。お前では、俺に、傷一つ、付けられない。お前の、事は、少し、知っている。魔術を、使えないのなら、もう、策は、尽きたはずだ」
「………」
「俺は、紅道瑠魅さえ、仕留められれば、それで良い。エリナを、解放して、紅道瑠魅の、居場所を、教えろ。そうすれば、お前にも、他の人間にも、危害は、加えない」
剛司の言葉に、緋志は色々と言い返したくなったが、それ以上に怒りのままに剛司に斬り掛かりたいという衝動を抑えるのに必死になっていた。
緋志は大きく息を吐くと、一言だけ呟いた。
「寝言は寝て言え」
緋志は本人の述べる様に、他人に対して淡白に接する。
但し、親しい人間には深い思い入れを抱き、彼等の為に最善を尽くそうと努力する。
彼は今まで感じた事の無いような怒りを燃やしていた。
大切なモノを守りたいという剛司の気持ちに、共感出来る部分がない訳ではない。
しかし、今回彼が取った様な手段を、緋志は認めるつもりはなかった。
「……そうか」
緋志の姿勢から、相手が折れそうもないと察した剛司は気配を一変させると、緋志との距離を詰め始めた。
「(……どうする、攻撃が通らないんじゃどうしようもない)」
緋志は唇を噛みながら、思考を巡らせた。
周りに使えるものはないのか? 相手はどれ位力を持続出来るのか? 本当に斬れない所はないのか?
疑問を一つずつ上げていくが、どれも現状を打開する様なキッカケを生み出してはくれなかった。
「(もう一度だ……いくらなんでも感覚器官まで強化されるなんて考えられない。アレでもベースは人間のはずだ)」
緋志は自分にそう言い聞かせ、再度頭を狙って攻撃を開始しようとした。
ところが、足を動かそうとした所で、緋志の体を違和感が襲った。
まるで、力が足元から抜けていってしまうような、気味の悪い感触に緋志は覚えがあった。
緋志の予想よりも早く吸血鬼化が解け始めたのである。
「(しまっ……!!)」
緋志の体が一瞬強ばったのを、剛司は見逃さなかった。
先程までとは違う、コンパクトなフックが緋志の脇腹に突き刺さった。
「ぐっ!?」
まるで鈍器で殴られた様な衝撃が緋志の体に伝わり、彼は軽々と吹き飛ばされ木の幹に叩きつけられた。
緋志の手から得物がこぼれ落ち、カランという音を響かせる。
殴られた部分から燃えるような痛みが広がり、緋志の視界はチカチカと明滅した。
肺の中の空気が押し出され、同時に緋志の口から赤い液体が吐き出された。
剛司からしてみれば全く力を入れていない一撃で、緋志は満身創痍の状態まで追い込まれてしまった。
どうにか立ち上がろうとするものの、痛みが酷すぎて体に力が入らなかった。
震える手をポケットに突っ込み、緋志は例の丸薬を取り出した。
一日に何度も飲めば死ぬぞ、という華院の言葉が脳裏に浮かんだが、このまま待っていればどちらにせよ同じ事だと緋志は腹を括った。
口の中に自分の物とは違う血の味を感じた瞬間、痛みは遠ざかり、緋志の体は元通りになっていた。
とはいえ、最早猶予はなかった。
手も足も出ない敵を相手に、時間制限のオマケ付きという絶体絶命の状況にも関わらず、緋志はヒリヒリとした高揚感を感じ始めていた。
自分が笑っている事にすら気付かないまま、緋志は小太刀を構えると、剛司へと斬りかかった。




