鬼と修羅 その一
神木町を囲む様に広がる山林の奥深くに、緋志は居た。
昨日から降り続いた雨のお陰でここまで来るのは困難を極めたが、彼にはどうしてもこの場所を選びたい理由があった。
木々が生い茂る手付かずの山の中に、突然人工的に積み上げられた石畳と、灯篭の様な物が現れた。
雨避けのフードを脱ぎさり、緋志はその不可思議な場所を奥へと進んで行った。
やがて、彼の目にやたらと新しい修繕がなされた社の様な建物が飛び込んで来た。
その古めかしい木造建築の中に祀られている存在に、彼は用があった。
「斑様ご無沙汰しております。少しお時間宜しいでしょうか」
緋志は社の前に膝を着くと、厳かな口調でそう言った。
変化はすぐに現れた。
虫たちの声が消え、微かに聞こえていた獣達の出す音も聞こえなくなり、緋志の耳に届くのは、小さな雨粒が葉っぱを伝って地面に落ちる音のみとなった。
彼が顔を上げると、社の前に一匹の狼が座っていた。
灰色の美しい毛並みを持ったその狼はのそりと起き上がると、鋭い目付きで緋志を睨みつけた。
しかし、その目に宿るのは野生の荒々しさでは無く、歳を重ねた賢者の様な理性の光だった。
「我が縄張りにずけずけと入り込んでおいて、供物の一つも無いとは……我もおちぶれたものよのう」
男性とも女性ともつかぬ艶美な声が、狼の口から漏れ出した。
作物を荒らす害獣を退け、穢れた存在を咬み殺す神聖なるモノとして奉られていた一種の土地神と呼ばれる存在、それが緋志の目の前にいる狼の正体だった。
とはいえ、それももう何十年も昔の話で緋志がこの町に来た時、守り神だった筈の斑様は存在意義を失い、只の災厄と化していた。
紆余曲折をえて、再び神聖な存在として復活したが、その時の色々が原因で緋志は斑様からあまり良い印象を持たれてはいなかった。
自分を退治しようとした相手に好意を持てというのも無理な話ではあるのだろうが。
緋志は再び頭を下げると謝罪の言葉を述べた。
「申し訳ございません……緊急事態だったもので」
「緊急……のう? 最近、やたらと騒がしいがそれも貴様のせいか?」
薄暗い森の中で、黄色い目玉がギラリと光った。
吹き付ける熱風の様な圧力に、緋志は顔を上げることが出来なかった。
もし、目の前の存在の気が変われば、緋志は一瞬で屠られてしまうだろう。
水滴に混じって一筋の冷や汗が緋志の頬を伝わって顎から落ちた瞬間、プレッシャーは消滅した。
「……まあよい。して、我に何の用だ?」
「(相変わらず、恐ろしいな……)ありがとうございます。誠に申し訳ないのですが、少し場所をお借りしたいのです」
「何故」
「陣が殺され掛けました……陣をやった相手が今、ココに向かって来ています。奴は周りに一般人が居ようとお構い無しに暴れ回るでしょう。どうか、町の人々の安全の為にこの場を使わせて頂きたいのです」
緋志の言葉に嘘は無かったが、大事な部分も伝えてはいなかった。
緋志が一番気にしているのは、自分と逆伎が戦っている所を誰かに目撃されてしまう事だった。
勿論、依頼を成功させなければ先は無いが、今まで通りの生活を続ける為の予防策は捨てる理由はなかった。
緋志の言葉をどう受け取ったのか、斑は暫く無言のままだったが、やがて短く言った。
「余り騒ぐでないぞ」
緋志が再び顔を上げた時には、狼の姿は消えていた。
緋志の口から安堵のため息が漏れ出した。
どうにか準備を整えられた緋志は、再びフードを被ると、手近な岩へと腰掛け逆伎が来るのを待ち始めたのだった。
緑と土の匂いに包まれていると、こんな状況にも関わらず心が落ち着いていく様だった。
緋志の体感で十数分が経過した頃、雨音に混じり微かに木の枝が折れる音が緋志の耳に届いた。
そして更に数秒待っていると、木々の隙間から彼は現れた。
「今野、緋志、だな?」
その巨躯の少年は緋志の前で立ち止まると、低い声でそう確認した。
緋志は小さく頷くと立ち上がり、小太刀を引き抜いた。
「ああ……お前が、陣をやってくれたみたいだな」
「彼女は、何処だ」
「質問に答えろよ」
「彼女は……」
「……そんなに知りたきゃ俺を殺して、ソコの社を調べてみろよっ!!」
緋志は用意しておいた丸薬を一気に噛み砕くと、擬似吸血鬼に成り代わり、逆伎へと斬りかかった。
「第二障壁、解放!!」
一方の剛司はニット帽を脱ぎながらそう叫んだ。
彼の音声を認識した魔具から電子音声が流れ出し、同時に彼を縛る封印が緩められた。
鬼の姿へと近付いた剛司は、右腕で緋志へと殴り掛かった。
が、獣の様な反応で緋志は拳を回避すると、身を屈める様にして背後へと回り込むと同時に、剛司の背中を斬りつけた。
鉄の板を斬った様な硬質な手応えが緋志の手へと伝わる。
ギィィン! という太刀音が、その硬さを示していた。
「(マジでどんな肉体してんだよ!?)」
緋志は距離を取り直す事なく、今度は振り向きざまの肘を躱し、がら空きになった首筋に向かって刃を一閃した。
しかし、剛司は意にも介さず、再び腕を振りかぶった。
が、その一撃は力強く素早いものの、吸血鬼モドキとなり身体能力が上がっているだけでなく、元々ずば抜けた反射神経を持っている緋志に避けられないものではなかった。
更に、剛司は武術を学んでいる訳ではなく、あくまで動きは素人のソレだった。
決して苦戦はしていない。
むしろ緋志の斬撃打撃は全て決まっていた。
それなのに、剛司の攻勢は一向に止まる気配を見せなかった。
普通の相手なら確実に五回は殺せる程打ち込んだというのに、相手が無傷という異様な状況に緋志の焦燥感は増していった。




