鬼の奔走
エリナの魔具によって人並みの暮らしを手に入れるチャンスを得た剛司だったが、結局彼は退魔師を辞めなかった。
エリナの言葉で自信を持てたという事もあったが、一番の理由は自分が就ける仕事はコレしかないと、彼は考えたのである。
まともに学校に通っていないため、流石に大学まで行くのは厳しいと彼は踏んでいた。
そうして、魔具のメンテナンスの為という名目で屋敷の残ったエリナと剛司は、いつの間にか主と従者の関係を超えた仲へと発展していった。
守りたい存在が出来た彼は、それまでとは違い精力的に家業をこなす様になり、魔術協会からの評価はSSSへと上昇した。
毎日を有意義に過ごしながら、剛司はエリナへの感謝と敬愛を深めていった。
彼が絶望の底へと叩き落とされたのは、エリナが屋敷へ来てから三ヶ月程経った、とある冬の日だった。
その日は平日だったが、剛司にとってはこの世に生を授かった記念日、すなわち誕生日だった。
毎年、それなりに祝っては貰えたのだが、今年は例年とは比べ物にならない程、剛司はこの日を楽しみにしていた。
珍しく浮ついていた彼だったが、屋敷に戻った瞬間、邸内の空気がいつもと違う事に気が付いた。
最近は随分と自分に対する接し方が親密になった使用人達が尽く剛司から目をそらすのだ。
かと言って、以前の様に剛司を恐れている風でも無い。
剛司が怪訝な表情を浮かべていると、使用人のまとめ役である老女が沈痛な面持ちで剛司に告げた。
「若様………エリナの部屋へと足を運んでやっては、頂けないでしょうか?」
言われるがままに剛司はエリナの部屋を訪れた。
一声掛けて襖を開けると、中には先客がいた。
剛司とは違い柔和な顔立ちの髪を撫でつけた五十代の着物姿の男性………剛司の父である逆伎英司だった。
剛司とエリナの仲を良く思っていない彼が彼女の部屋を訪れているのは異例だった為、剛司はまずそれに驚いた。
が、すぐに彼の表情に浮かない物を感じ取り、彼と向かい合う様に座るエリナの方へと視線をずらした。
そして、彼は彼女の異常に気が付いてしまった。
禍々しい何かが、彼女の体にまとわりついていた。
目に見えないソレが、明らかに彼女を害する何かである事を彼は直感で理解した。
「何が、あった……?」
彼の質問とも呟きともとれぬ声に答えたのは英司だった。
「………買い物帰りに、奇妙な人物に声を掛けられたそうだ。恐らくソイツが、彼女を呪ったのだろう」
「呪い、だと……?」
「ああ。見た事も無い類の物だが、先程知り合いの術師に観てもらった………残念だが、このままでは半年もしない内に彼女は死ぬだろう」
英司は剛司を廊下に連れ出すと、エリナに掛けられた呪いについて分かっている事を説明してくれた。
彼女に掛けられたのは、いわば成長する時限爆弾の様なもので、対象者の魔力を少しづつ吸い取って力を貯め、時がくれば発動して命を奪うものらしい。
エリナを観た術師曰く、大体の形は理解出来るものの、根っこの部分が見たことも無い異様な術である為、その手の専門家でも解呪は難しいとの事だった。
働かない頭でどうにか父の説明を聞き終えた剛司は、暫く二人にして欲しいと告げ、再び彼女の部屋へと入った。
エリナは先程と同じ場所に、同じ様に正座していた。
剛司は無言のまま彼女の前に座りこんだ。
何を言えば良いのか分からず、彼は暫く黙り込んだままだったが、ふと気になった事を聞いてみた。
「………痛みは、あるのか?」
すると、剛司を安心させるためかエリナは微笑みながら言った。
「いえ……特に変わりはありません。強いて言えば、左胸に少しだけ違和感がある程度でしょうか。術を構築するための刻印が刻まれておりまして」
「見せて、貰えるか?」
エリナは一つ頷くと、着ていたシャツを脱ぎ始めた。
剛司は彼女の言う通り、左胸に刻まれた紫色の茨の様な刻印を見た瞬間、ふつふつと腹の底から何かが湧き上がって来るのを感じた。
それは怒りであり、悲しみであり、決意だった。
彼は一言礼を言うと、服を着直した彼女に宣言した。
「………俺が、必ず、呪いを、解いてみせる。だから、安心、しろ」
エリナは彼の言葉に嬉しそうに笑って、ハイ、と頷いてくれた。
剛司はより一層体に力が漲るのを感じた。
早速情報収集にあたろうと立ち上がった彼を、エリナが引き止めた。
「? どうし、た?」
エリナは彼の問いには答えず、化粧台の上に置いてあった袋を持ってくると彼に差し出した。
白い袋に赤いリボンでラッピングされたソレを受け取った彼に、エリナは優しく祝福の言葉を述べた。
「お誕生日、おめでとうございます。夏には必要無くなってしまうかと思いますが、今の時期には丁度良いかと思って作ってみました……出来は、余り期待しないで頂けると……」
彼女が目で袋を開けるように促して来たので、彼は礼を言うと丁寧にリボンを解き、袋を開いた。
中から出てきたのは、少し形が歪な黒色のニット帽だった。
彼はそれを被ると、珍しく笑みを浮かべて言った。
「ああ……これは、暖かくて、良いな……最高の、プレゼントだ」
絶対に彼女を救ってみせる、剛司がそう決意してから早くも5ヶ月が過ぎ去った。
剛司は魔術協会の支部へと足を運び、数少ない呪いに関する文献を漁り、エリナに声を掛けて来たという謎の人物について調べた。
しかし、どちらも成果は一向に上がらなかった。
逆伎家の伝手を使い他の術師に解呪が出来ないか試させてもみたが、彼等は一様に首を横に振るのみだった。
そうして、段々と焦りが増してきた彼の元に掛かってきた一本の電話は、まさに一筋の希望の光だった。
普段の彼ならば絶対にあんな依頼を受けたりはしなかっただろう。
しかし、大切な物を失う恐怖に呑まれた彼は、その時、一匹の鬼と化していた。




