鬼の子 その三
エリナの突発的な休暇の最終日、偶然その日が日曜日でかつ仕事も無かった剛司は道場で力を制御する修練に励んでいた。
そろそろ昼時になろうかという時間になり、剛司はようやく今日でエリナが休みに入ってから一週間である事に気が付いた。
「(そういえば、暫く、会っていないな……)」
彼女は何やら根詰めているらしく、剛司はここ数日彼女を見かけていなかった。
気にはなるのだが、自分が気を揉むような事でも無いだろうと考え直し、剛司は汗を流しに行こうと立ち上がった。
その時、誰かが結界に触れたのを感じ取り、剛司は首を傾げながら結界を解除した。
屋敷の人間なら大事な様がある時でも電話で呼び出して来るのが普通だからである。
屋敷が広すぎるので探す手間がかかるというのもあったが、剛司と対面するのを使用人が怖がっているからというのも裏の事情だった。
結界を解除した瞬間、引き戸が勢いよく開かれた。
「お前……」
入口の向こうから姿を現したエリナに、剛司が駆け寄った。
彼女は見てすぐに分かってしまうほど疲弊していた。
目元には深い隈が出来ており、立っているのも辛いのか扉に寄りかかる様に彼女は立っていた。
「若様、少しお時間、宜しいでしょうか……」
そう呟くと共に、彼女は体勢を崩し床に倒れ込みそうになった。
寸での所で彼女を支えた剛司には、何故彼女がここまで疲労してるのかその理由の他にもう一つ気になる事があった。
それは、彼女が工場で働く人間が着ているような作業服を身に付けている事だった。
彼女を雇った時、生活に必要そうな物は剛司が費用を出して粗方買い与えたはずなので、普通の服は持っている筈だった。
そもそも、一体いつこんな物を仕入れたのだろうか。
「………ひとまず、場所を、移すぞ」
「申し訳、ございません………」
剛司は彼女をヒョイっと抱え上げた。
エリナは女性にしては背の高い部類に入ったが、剛司からしてみれば重さなどあって無いようなものだった。
剛司は迷ったものの、母屋を挟んだ道場の向かい側にある使用人用の宿舎まで行く手間を惜しみ、彼女を自室へと連れて行った。
彼女をソッと降ろし、布団を敷き、再び彼女を持ち上げてそこへ寝かせた。
またしても、申し訳ありません、と呟く彼女に剛司は何も言わず、携帯を取り出した。
別の使用人に昼食は後で良いと連絡を入れた彼は、大きく息を吐くと枕元に腰を下ろした。
「何か、欲しいものはあるか?」
「いえ、大丈夫です……」
「そうか……それで、一体、そんな状態に、なるまで、何を、していたんだ?」
剛司の問いかけに彼女は言葉ではなく、行動で応えた。
布団の間から伸ばされた彼女の手に、一台のスマートフォンが握られていたのだ。
剛司は流れのままに受け取ってから、首を傾げた。
「これは?」
「今までソレを作っておりました。若様、ソレに魔力を通してみて、頂けませんか?」
質問に答えようとしない彼女に不満そうな視線を向けたが、剛司は頼まれた通りに魔力を練り上げ、その現代機器へと注ぎ込んだ。
すると、驚いた事に真っ暗だった画面が表示された。
見た事のない紋様が浮かび上がったかと思うと、今度はスピーカーから音声が流れ出した。
『魔力ヲ検知。作動開始シマス』
それを確認するかのように見守っていたマリナは安堵の表情を浮かべると、再び何かを剛司に向かって差し出した。
「それでは、次にコチラを腕に付けて頂けますか? それと、機器の方には魔力を暫く注ぎ込んで下さい」
「あ、ああ」
布製らしきバンドの様な物を受け取った彼は左手首にソレを装着した。
数秒後、突然スマートフォンの画面が切り替わり、再び電子音声が流れ出した。
『対象ヲ確認。封印ヲ開始シマス』
それと同時に猛烈な勢いで剛司の魔力がスマートフォンへと吸い上げられた。
そこでようやく、彼は手に握っているコレが魔具なのだと理解した。
逆伎家では魔具を使う習慣は無いため、彼はその奇妙な感覚に戸惑いを覚えた。
「っ……!?」
戸惑いはすぐに驚きへと変わった。
スマートフォンが大量の魔力を放ったかと思うと、剛司を囲む様に術式が展開されたのだ。
全身を鎖で縛られたかの様に体が重くなり、剛司は思わず背を曲げた。
が、重圧は一瞬で消え去り、同時に魔力の吸収も止まってしまった。
何が何やら分からず、剛司は再びエリナに声を掛けた。
「おい、一体……」
「若様、お体の調子は如何ですか? 違和感等はございませんか?」
それはコッチのセリフだ、と彼は突っ込みたかったが、こうなればとっとと彼女のやりたい事を済ませて休ませた方が得策だと判断した。
剛司は肩を回したり、拳を握ったり開いたりしてみるが、特に変わった事は無かった。
「別に、何も無いな」
「そうですか……それでは、廊下の柱を殴ってみて頂けますか?」
「あ?」
「壊すつもりで本気でお願い致します」
「…………」
最早彼女が何をしたいのかを推測するのは彼には不可能だった。
彼はスマートフォンを床に置くと、柱の前に仁王立ちした。
呼吸を整えると、ヤケクソな気分で右腕を振り抜いた。
ゴン、という音が響き僅かに振動がエリナへと伝わった。
剛司の拳は見事に柱を捕らえていた。
しかし、柱は折れる所か僅かな凹みさえ付いていなかった。
剛司が信じられないという表情で、己の拳を確認した。
あろう事か、彼の拳は薄らと腫れていた。
鈍い痛みがそこからジンジンと広がり、彼の全身へと広がっていく。
「………どういう、事だ」
震える声で、彼はそう呟くのがやっとだった。
今まで、封印術を改良したり、術の精度を上げたりと努力を重ねて来た。
ただひたすらに自分の中の鬼を封じ込めるために。
そうして、時間だけが過ぎて行き、遂には鬼の力を封じるのではなく操れる様になろうという考えにまで至ってしまった。
でも、心の何処かで彼は諦めていた、覚悟していたのだ。
いずれ自分は鬼となり、きっと誰かに狩られてしまうか、そうでなければ力のままに暴れ回って、全てを壊してしまうだろうと。
それ程強力だった彼の血に刻まれた力が、どうした事かすっかり無くなってしまったのだ。
「お気に、召しませんでしたか?」
瞳に不安げな色を浮かべながらエリナがそう聞いた。
剛司はそんな彼女を見て僅かばかりの冷静さを取り戻し、深呼吸をすると再び彼女の側に腰を下ろした。
「そういう、訳じゃない。ただ……なんと言うか、信じられないんだ。一体、コレは何なんだ?」
恐らく、自分の力を封じたのがこの小さな電子機器なのだろうということは剛司にも見当が付いてはいた。
しかし、何をどうすればこんな事が可能なのか全く分からなかった。
エリナは小さく頷くと、少し長くなってしまいますが、と前置きをして種明かしを始めた。




