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普通の定義 その一

「ん………」

瞼が重たい。

僅かな隙間から見える視界はぼんやりと霞んでいる。

目を擦ろうと右腕に力を込めてみるが上手く動いてくれない。

体が鉛になってしまったみたいだ。

仕方無く、無理矢理瞼を持ち上げ、何度かパチパチと瞬きをしてみる。

「(あ、ここ……事務所の休憩室だ)」

クリアになった視界の中で、見覚えのある年季の入った天井を見て、ルミは自分が寝かされている場所を把握した。

「(私、学校に居たはずだよね……?)」

頭の中が錆び付いてしまったように思考が纏まらない。

「ルミ? 起きたのか?」

斜め上の方向から見覚えのある声が聞こえてきた。

安堵がルミの胸中に広がる。

同時に、僅かな混乱によって保たれていた意思力が霧散し、全身から力が抜けてしまう。

「あか、し……?」

それでも、彼女はどうにか少年の名を呼ぶ事が出来た。

心配そうに自分の顔をのぞき込んで来る彼に、弱々しく微笑みかける。

「ルミ、大丈夫か? 吐き気とか、頭痛とか、何か体の不調みたいなモノは無いか?」

「ん、大丈夫だよ……何だか体に力が入らないけど」

「そうか……取り敢えず今は横になってろ」

「うん、ありが、と……」

ルミは感謝の言葉を述べ終わると共に再び眠りについてしまった。

緋志は彼女の頭を優しく撫でると、音をたてぬよう静かに部屋の外へ出た。

「……紅道の様子はどうだ?」

緋志が部屋の扉を閉めた瞬間、明かりの付いていない廊下を支配する闇の中から、やや気落ちした様な声が響いた。

「多分、命に別状は無い。本調子には程遠いだろうけどな」

「そうか……」

能力の副産物なのか、驚異的な性能を持つ緋志の目は常人なら数歩先も見えないであろう暗闇の中で、声の主の姿をキチンと捉えていた。

「ここで立ち話もなんだろ。事務所に行かないか?」

緋志がそう提案すると、霧上は無言で頷いた。

そもそも、彼女がココで待っていたのは、緋志に、ルミの身に起こった事を、分かるだけでも説明する為なので緋志の誘いを断る理由など無かった。



「コーヒーしかないけど良いか?」

「………いや、私は遠慮しておく。喉は乾いていないのでな」

「そうか」

緋志は手早くコーヒーを淹れる準備を整え、冷蔵庫に備蓄されていたオレンジジュースを来客用のマグカップに注ぐとそれを霧上の前に置いた。

「? コーヒーしか無かったのでは?」

「苦いのがダメっぽいってのが本当なのか確かめたかったんだよ」

笑いを噛み殺しているのが見え見えな緋志に、霧上が顔を赤くしながら反論する。

「なっ! 違う! 私だってコーヒー位飲めるぞ!! しかし、だなアンナ物を好き好んで飲むほど舌がイカレていないだけで……」

「はいはい」

「こ、このっ……」

恐らくルミから自分が紅茶を飲んだ時の様子を聞いたのだろう、と霧上には容易に予想出来た。

「(紅道め……)」

緋志は霧上の今にも噛み付きそうな反応にそっと安堵した。

話を聞く前から重い雰囲気では自分も相手も口が回らないだろう、と考えていたからだ。

「(それにしても、予想以上の落ち込み具合だったな……それだけ、ルミに対する好感度が上がってたんだろうな)」

きっと、ルミは何も考えずに霧上の心の壁を取り払う事に成功していたのだろう。

神秘的で近づき難い雰囲気と、それに似合わない人懐っこさ、そして何よりも優しい性格がそれを可能にしたに違いない。

「(ま、霧上からすればルミと接する時には常に『あいつは吸血鬼』ってフィルターが掛かってただろうし、尚更度肝を抜かれて警戒心が薄れたんだろうな……)」

緋志は心の中でそんな事を考えながら、飲み物の用意を終え、自分も霧上の向かい側のソファへと腰掛けた。

「待たせたな。取り敢えずもう一回確認しときたいんだが……ルミを刺したナイフ、アレには『不死殺し(イモータルブレーカー)』が掛かっていた、はずだったんだよな?」

緋志の質問に、霧上はコクリと頷き

「ああ。私は先生から、あのナイフが今回の仕事における重要な切り札になると聞かされていた。あの人にそんなモノを作る技能は無かっただろうから何処からか手に入れたのだろうが……生憎、入手経路等は聞かされていない。私も特に知りたいとは思わなかったしな」

「そうか……」

「ただ、結局は偽物だった様だ。もし、私が聞かされていた通りの代物なら、今頃紅道はこの世にいないだろうからな……まあ、紅道の傷の治りが遅い事を鑑みると何かしら別の術が掛けられていた可能性は否定出来ないがな」

「ルミの治癒能力が鈍ってたのには別の理由があるから、別の術が掛けられてたって線は無いかもな」

「何!?」

何か聞きたげな霧上に緋志は手振りで落ち着く様に諭す。

「ま、取り敢えず麗子さんからの調査結果を聞いてからだな……(今回は色々と分からない事だらけだな……ナイフの出処だけでも分かれば良かったんだが)」

そこまで考えてから緋志はようやく確認しなければならない事に気が付いた。

「……なあ、一応細井がどうなったかは知ってるんだよな?」

「ああ……何だ? その顔は?」

「いや……意外と冷静だな」

緋志のセリフに霧上は苦笑しながらこう返した。

「碌でもない死に方をするだろうと常々思っていたからな。確かに育てて貰った恩はあるが……それ以上に色々とこき使われて抑圧されてきたんだ。自分でも、最低だと思うが、むしろ解放されてスッキリした気分だ」

言われてみれば憑き物の落ちたような表情を彼女は浮かべていた。

緋志はそれ以上何かを聞く気にはなれず短く、そうか、と返事をして会話を区切った。

本音を言えば『黒いオーラ』について聞きたかったが、彼女が知っているとは思えなかった。

「(何だったんだんだろうな、アレは)」

今まで聞いた事も見た事も無い物質の事を考えても埒があかない上に、誰が何の目的で今回の件を起こしたのかも全く検討がつかなかった。

「(今は待つしかないか……)」

緋志は頭の中をスッキリさせようと一口コーヒーを飲んだ。

心地よい苦味が舌に広がり、緋志はゆっくりと味の余韻を楽しむ様に息を吐いた。

「…………よくそんな物を飲めるな。砂糖どころかミルクも入れていないのだろう?」

「ああ。麗子さんがコーヒー好きで結構いい豆使ってるからな。余計なモノ入れない方が美味いんだよ……飲んでみるか?」

緋志の言葉に、冗談ではない! と言わんばかりに勢い良く首を振る彼女を見てまたしても緋志は笑ってしまいそうになり、必死に頬の筋肉に力を込めた。

「(意外と子供っぽい所もあるんだな……いや、むしろこっちが素なのか?)」

そんな事を感じながら、もう一度カップに口をつけた緋志は、霧上がやけに静かな事に気が付いた。

先程とは違い、やや俯いた彼女の表情は読み取る事が出来なかったが、それでも緋志は彼女の心情を何となく察する事が出来た。

「(まあ、こういうの気にしそうな性格してそうだもんな……)ルミを襲った時、お前は術で操られてたんだろ? なら仕方ないと思うけどな」

「………」

「まあ、俺がどうこう言っても仕方ないか……ルミが元気になったらちゃんと話してみればいいんじゃないか?」

「……ああ、そうしてみる」

霧上は自分の中で区切りを付けることにしたのか、頂きます、と短く呟きジュースを一気に半分ほど飲み干した。

ふう、っと息を吐くと

「ところで、私も今野に聞きたい事があるのだが」

「ん?」

「お前は紅道の傷の治りが遅かった理由に心当たりがあるのか?」

霧上からの質問に緋志は肩を竦めながら答えた。

「まあ、毎日顔合わせてるからな……血を飲んでないんじゃないかな、とは思ってたよ」

それだけ言うと緋志は再びコーヒーを飲み始める。

霧上は肝心な部分がぼかされている気がしてもどかしさを感じながら、再び疑問を投げかける。

「い、いやなんと言うか……お前は紅道のボディガードみたいなモノなのだろう?」

霧上の表現に苦笑しながらも、緋志は特に反論することも無く頷く。

「まあ、間違ってはいないな」

「ならば、護衛対象の体調を守るのも大事ではないのか? そもそも、そういった事情を抜きにしてもお前なら紅道に血を飲むように真っ先に言いそうなものだが……」

緋志は誤魔化すのを諦め、降参と言いたげに両手を持ち上げると、ゆっくりと口を開いた。

「敵わないな……白状すると、迷ってたんだよ」

「迷っていた?」

オウム返しで聞き返された緋志は頷きながら説明する。

その瞳の奥には後悔と、どうすればいいのか分からないという純粋な苦悩が渦巻いていた。

「多分、ルミは俺達の前で自分の中の吸血鬼の部分を見せたくなかったんだよ。『普通』の人間からしたら血を飲むなんて行動有り得ないからな……そうなると、面と向かって血を飲めとは言いづらくてな……ホントに酷い時はルミの兄貴に相談しようと思ってたんだけどな」

緋志の独白を霧上は最後まで黙って聞いていた。

そして、彼の話が終わったとみるや唐突に笑い出した。

「ふっふふ……」

「? 何かおかしかったか?」

緋志は戸惑いながらそう尋ねたが、霧上は暫く笑いが止まらなかった。

ようやく笑いが収まる頃には霧上の目には涙がたまり、緋志は最早心配そうな視線を彼女に向けていた。

「お、おい……」

「いや、すまなかった……まさか、お前がそんなに臆病だとは思わなかったのでな」

「はあ?」

目元を拭った霧上は大きく息を吐くとこう言った。

「先程の話を聞いているとお前が紅道に血を飲ませればそれで良かったのではないか?」

「いや、だから……」

「紅道の事を本当に守りたいと思うなら、私と先生が刺客だと気づいたお前は直ぐにでも血を飲ませるべきだった。それはお前の役割だ。だが、お前はそうしなかった。それは、お前が紅道とそういう(・・・・)話をする事を怖がっているからだ、違うか?」

緋志は、ここまで言われても怒りより先に驚きを感じていた。

まさか、霧上がここまで喋るとは思わなかった上に、自分の考えていた事をまるで見透かされた様に言い当てられてしまったからだ。

「……確かに、俺は、なんて言うか……ルミと話すのが嫌だったんだよ。血を吸うなんて、人間では無いと認めてしまう行為じゃないか、みたいな話をするのが……正直、俺はお世辞にも一般人とは言えない生活してるし、そんな俺が普通はどうこうみたいな事言うなんて可笑しいだろ?」

「……まあ、そこら辺を紅道と話してみるのも案外面白いと思うぞ。私から言えるのはそれだけだ。正直私の中の決着が着いたのは最近なのでな」

「?」

霧上は首を傾げる緋志にそれ以上何かを言うこともなくジュースを飲み干すと立ち上がった。

「ご馳走様。私は、そろそろ学校に戻らないとな。確か、お前の雇い主と対魔課の人間が呼んでいるのだろう?」

「あ、ああ……」

緋志は戸惑いを隠せないまま頷くと彼女を送り出す為に自分も立ち上がった。

霧上はそんな彼を横目で見ながら内心驚いていた。

「(人のすれ違いというのは案外簡単に起こるものなのだな……それにしても紅道の奴、偉そうに私に意見した割には自分も答えを出せていないのではないか……ま、これで借りは返したという事にさせて貰うか)」




「………何か一気に印象が変わったな、アイツ」

緋志は一人きりの事務所で冷めたコーヒーを飲みながら先程の会話を思い出していた。

『普通』とは一体どういうものなのか。

それは、彼が未だに答えを出せないでいる議題だった。

「………」

彼は石の様にじっとしたまま、一時間程そのまま動かなかった。

そして、突然立ち上がるとカップを片付け、ルミの寝ている部屋へと向かうため事務所を出たのだった。

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