黒い悪意
「……どうにか、安定したか」
霧上はルミの様子が落ち着いたのを確認して胸を撫で下ろしていた。
呼吸も穏やかで、意識こそ無いものの、少し前までの様に苦しんでいる様子は無く、どうにか彼女を助ける事は出来たらしい。
膝に乗せたルミの頭を撫でながら、霧上は呟く。
「問題はこの後どうするのか、だな……」
傷は治っているものの、血に汚れた制服を着た彼女を保健室へと連れていくのは色々と不味い気がした。
いくら操られていたとはいえ、派手にやりすぎではないか? と文句の一つも言いたくなるが、霊を責めるのはお門違いだと分かっているため、霧上としては悶々としたまま次にどうすべきかを考えるしか無かった。
とにかく、場所を移動する為にも結界を解除しなくてはならない。
霊に指示して結界を解除させようとした時、廊下に響くカツン、カツンという足音を霧上の耳が拾い上げた。
「!? (不味い、今姿を見られる訳には……)」
霧上は冷や汗を垂らし音の聞こえてくる方へと目を向けた。
どうやら複数人、恐らく二人が足早に階段を降りてきているようだ。
段々と足音は近づいてくる。
やがて、突き当たりの角から姿を見せたのは………
「! 北条……に、山口?」
「っ!? ルミちゃん!!」
お互いに一瞬固まり、ルミの制服が破れ、赤黒く染まっている事に気付いた舞が悲鳴の様な叫び声を上げて霧上達の元へと駆け寄ろうとする。
「待て待て!!」
それを咄嗟に陣が引き止めた。
「な、何するのよ!!」
「ソコに何かあるだろ」
陣が結界の張られた辺りを指差し呆れたように言った。
「え? あ……ホントだ」
「ったく……ルミちゃんの気配? みたいなのは、ちゃんと感じられてんだろ? ちっとは落ち着け」
「そ、そんな事言われたって……」
陣は頭の後ろをガリガリと掻くと、霧上に向かって質問した。
「おい、コレお前が貼ったのか?」
「いや、違うが……」
「んじゃ、ぶっ壊すぞ」
サラリとそう言った陣はパチン! と右手の指を鳴らした。
それと同時に結界が張られている場所に青白い炎が湧き上がる様に燃え上がり、炎が消えると共に結界も無くなった。
「よおし、もう良いだろ」
陣からOKが出た瞬間、舞はルミの元へと駆け寄った。
陣もすぐに後へと続く。
「ルミちゃん……」
霧上の側に膝をつき心配そうな顔をルミへと向ける舞に、霧上が声を掛ける。
「すまない……コイツをやったのは私だ。命に別状は無いとは思うが……」
「私に謝る必要は無いでしょ…それに、アナタは自分の意思でルミちゃんに危害を加えた訳じゃ無い、そうでしょ?」
霧上はその言葉で舞が術を掛けられていた事を思い出した。
「そうか、お前も……北条、お前が術を解いたのか?」
舞の横で心配そうにルミの様子を見ていた陣は突然の質問やや、たじろぎながら答えた。
「ん? いや、解いたってぇか何て言うのか……まあ、聞きたきゃ後で説明すんよ。取り敢えずルミちゃん移動させて……ココどうにかせんと不味いだろ」
陣は辺りを見回しながらため息を吐いた。
廊下はルミの血で汚れ、所々魔術で付けられ傷がある。
傷の方はともかく血だけでも綺麗にしなければ、他の生徒や教師に見つかり大騒ぎになるのは必至だ。
「ったく……普通こんな人目に付く所で仕掛けるか?」
「わ、私に言われても……」
恨みがましい視線を向けて来る陣に、霧上は弱々しい声で反論する。
助けを求めようと舞を見た霧上はそこで漸く、彼女の様子がおかしい事に気が付いた。
そして、その理由にも。
「? おい、どうし……」
突然、二人が黙りこくってしまい陣が怪訝な表情で話しかけようした。
が、直ぐに二人がただ黙った訳ではない事に気が付いた。
舞は唇を噛み締め青い顔で今にも倒れそうになっていた。霧上も舞程ではないが辛そうな表情だった。
「舞!? おい!!」
咄嗟に彼女の前に回り込み、顔をのぞき込む。
しかし、陣の声が聞こえていないのか全く反応が返ってこない。
肩を揺らし、もう一度彼女の名前を呼ぼうとした瞬間、陣も感じ取ってしまった。
「な、なんだよ、これ……」
今まで感じたことの無い、異質な気配を。
深く、暗い穴の底をのぞき込んでしまったような、その奥に潜む得体の知れない何かと目が合ってしまったかのような、腹の底から湧き上がるゾッとする様な感覚が陣を襲う。
「く、そ……」
ふらつく体をどうにか支えた陣は頭を振り、頭の中にこびり付く嫌な感触を振り払った。
その時、陣の耳に届いたのは、嗄れた舞の声だった。
「ま、舞……?」
「う、あぁ……あああアアアァ!!!!」
やがて、彼女は頭を両手で抑えながら蹲り、壊れたような叫び声を上げ始める。
「や、やべぇ……」
グラグラと視界が揺れる様な気持ち悪い感覚が収まらず、陣は思考が纏まらなかった。
このままでは不味いと分かっているのに、どうすればいいのか思い付かない。
トン、という軽い音が響く。
その音で我に返った陣が目撃したのは、舞に当て身を食らわせる霧上の姿だった。
いつ間に移動したのか、舞の背後に立つ彼女は一撃で舞の意識を刈り取ると、そのまま彼女を支え、ゆっくりと床へ寝かせた。
「お、お前……」
「案ずるな。眠らせただけじゃ。意識がある方が霊感は強く働くからのう。こうすれば少しはマシになるじゃろ」
その老獪な口調で陣は目の前に少女に、あの時の霊が宿っているのだと理解した。
「あ、アンタ……」
「小僧、シャキッとせんか! 一先ず二人を移動させるぞ。このままココに居ては危険じゃからの」
「ま、待てよ! 何か分からんがヤバイもんが学校の何処かに居るんだろ!? ソレはアイツの……緋志のトコに居るんじゃないのか? アイツは霧上とルミちゃんに術を掛けた奴の所に行ったはずなんだ……アンタならソイツの事も少しは分かるだろ?」
タイミングからして、明らかにルミと舞に術を掛けた何者かが関係していだろう。
となれば、その黒幕の元へと向かった緋志がこの気配を持つ何か、もしくは術者と対峙している可能性が高いと陣は考えたのだ。
「……少なくとも、ワシが知る限りではワシの主様をこき使った男は、あの様な気配を持ってはおらん。使い魔も持っておらんかったしのう。それにのう……ワシらが行った所でどうせ出来ることなんぞありはせん。今は二人を避難させるのが先決じゃ」
「だ、だけどよ……」
「そもそも、場所が分からんじゃろう。つべこべ言わずにその娘っ子を担いでワシについて来い。二人を安全な場所まで運んだ後で気配の居場所を辿るというのなら、そこまでは手を貸してやろう。あくまで探すところまでが限界じゃがのう。ワシは主様の体を間借りしておる身分じゃ。滅多な事は出来ん」
以前に霊の討伐に協力してくれ時からは想像のつかない、口調に見合った落ち着いた雰囲気に陣は驚きながら、霊の正論に頷くしかなかった。
「(緋志……)」
親友でもあり、戦友でもある少年の身を案じながら、陣は舞を抱え上げ、霊と共に走り出した。
その頃、緋志は細井の持っていた手帳を観察していた。
「(何だ、アレは? 魔力……なのか?)」
手帳から滲み出すように撒き散らされる黒いオーラは、床をボロボロにしたモノと同一の存在だと緋志には感じられた。
試しに緋志は魔眼を解除する。
しかし
「(見える!?)」
緋志の目には依然として不気味なオーラが映っていた。
「(つまり、魔力では無いと……何にしろ、触れるのは不味そうだな)」
チラリと先程オーラによってボロボロにされた床を見る。
床は物理的に破壊されたというより、オーラの触れた部分がごっそりと削られているようだ。
「(一先ず、もう少し『眼』を使って様子を伺うか……くそ、そろそろ吸血鬼モドキから戻る時間だってのに)」
緋志は小太刀を抜き、素早く動けるようにやや力を抜いた構えを取った。
「(!! 来る!)」
ジリジリと間合いを測っていた緋志は、一瞬で揺らめくオーラが膨らむのを目にし、身構えた。
「っと!」
飛来する黒いオーラの玉を横っ飛びに交わしながら、緋志は手帳の状態を観察する。
「(攻撃する時でも手帳はオーラで包まれてるのか……これは手帳自体をどうこうするのは無理臭いな)」
突然の事態にも、緋志は冷静に対処出来ていた。
オーラによる攻撃が比較的楽に回避できる速度だったのもあるが、それ以上に緋志の霊感が低く、黒いオーラがどれだけ異質で異常なモノなのかを認識せずに済んでいる事が彼の命を繋ぐ大きな要因となっていた。
「(……ダメだな。このまま交わし続けてもいずれ吸血鬼化が解けてやられる。どうにかして離脱するかアレを仕留めるかしないと……)」
段々と焦りが湧いてくるが、オーラに触れる訳にはいかない以上、魔術を使えない緋志ではどうする事も出来ない。
となれば、ここは逃げの一手といきたい所なのだが………
「(折角の手がかりを逃がす訳にはいかない。どうにかして細井も連れていかないと)」
件の細井は手帳に向かって、一種の信仰心が込められた視線を送っていた。
足の痛みも忘れているのか、恍惚とした笑みを浮かべ、口は半開きになり、緋志の事など目に入っていない様だった。
「チッ! いい、加減に、しろ!」
シビレを切らした緋志が手裏剣を投擲する。
細井に放った時とは比べ物にならない速度で二本の手裏剣は飛来し、手帳を守るように蠢く闇に触れた瞬間、飲み込まれる様に消えてしまった。
「マジかよ……」
緋志は思わず足を止めてしまうが、そこに黒いオーラが襲い掛かる事は無かった。
「? (何だ? 急に攻撃が止んだ……)」
緋志と同様に、細井も困惑している様だった。
そして、手帳が緋志を襲うのを中断した理由は直ぐに判明した。
「!? ま、ま、待って下さい!!! わ、私はアナタを裏切ろうなどとはぁぁ!!!!」
手帳から滲みだすオーラは再び直径1m大の玉を作り出し、それを細井に向かって放ったのだ。
「ひ、ひいいいぃぃぃ!!!!!」
自らの窮地を救ってくれた筈の存在からの突然の襲撃に細井はただ甲高い悲鳴を上げる事しか出来なかった。
床に座り込む細井に黒い球体が迫り、その顔に触れる後わずかの所で、彼と玉の間に緋志の左足が割り込んだ。
「ぐっ、うっ……おおおおォォッ!!!!
まるで、風船に触れた時の様な感触が足に伝わった瞬間焼けるような痛みがオーラに触れた部分から広がり、同時に明確な抵抗感を緋志は感じた。
ダメ元での咄嗟の行動だったが、緋志はどうにか黒球を逸らす事が出来た。
細井の頭上を通過した黒球は、壁へと着弾し大きな穴を開けた。
「(どうにかなったが、やっぱり触れるのは不味いな)」
緋志の左足には特に傷は見られない。
彼は目で見てその事を確認できた。要するに、オーラが触れた部分だけ、綺麗にスラックスが消失しているのだ。
吸血鬼の再生能力が無ければ、足が無くなっていただろう。
「おい! アイツはお前を助けるつもりは無いみたいだぞ! 死にたく無かったら俺と……な!?」
緋志は視線を手帳に向けたまま細井に逃走を促そうとする。
が、目の前で起きた現象に気を取られ、言葉が途切れてしまう。
「嘘だろ……」
「ひ、ひひひ、ヒヒヒイイぃぃぃ!!!!!」
最早、悲鳴なのか笑いなのかも分からない、意味不明な声が細井の口からは飛び出していた。
だが、それも無理からぬ事かもしれない。
何故なら、僅か数瞬のうちに黒い玉が無数に現れ、彼らに向かって放たれたのだ。
「ぐっ!?」
緋志は咄嗟に腕を交差させ踏ん張ったが、三発目の黒球が軌道を曲げ脇腹に突き刺さり大きく吹き飛ばされてしまう。
「ヒヒ、ヒヒヒいひひひ、ひっ!?」
細井の奇声が途切れた瞬間、ビシャッ、という何かがぶちまけられる音が聞こえ、緋志は床に倒れながらそちらへと顔を向ける。
「………ちくしょう」
そこには首から上を失い、大量の赤い液体をぶちまけた細井の体が転がっていた。
それは余りにも唐突であっけない、明確な『死』が訪れた瞬間だった。
敵とはいえ、人の命が散らされ、かつ手がかりを失ってしまったという事実が緋志の心にズシリとのしかかる。
どうにか、ショックから立ち直った緋志が立ち上がった時、今度はパサリという音が緋志の耳に届いた。
ふらつきながら立ち上がり、音のした方へと体ごと視線を向ける。
そこには、何の変哲も無い、どこにでもありそうな手帳が落ちているのみだった。
あの黒いオーラはまるで見当たらない。
「いったい、何だったんだよ……」
辺りを見回すが何かが緋志の『眼』に映ることもなく、危険は去ったのだと、緋志は特に根拠も無く理解出来てしまった。
こうして、後味の悪さを残しながらも、日常を襲った異変には一応の幕が下ろされる事となるのだった。




