怒る少年
「何故だ……何故だ、何故だ、何故だ!!!」
男は酷く取り乱していた。
監視用に校内に仕掛けておいた式神からの報告を信じる事が出来なかった。
知らず知らずの内に息が荒くなり、生唾を飲み込みながらブツブツと陰気な声で言葉を吐き出す。
「何故術が解かれた!? 何故、『不死殺し』が効いていない!?」
誰も居ない空き教室には、男の質問に答えてくれる者は、当然居なかった。
落ち着きなく歩き回りながら次々と起こった不測の事態を振り返る。
狐に憑かれた少年の方はついでだったのだからまだ問題では無い。
しかし、紅道瑠魅を仕留められなかったのは非常に不味かった。
「クソクソクソ……もう吸血鬼を殺せるような魔具は残っていない……」
男が苛立ちながら懐から何かを取り出そうとした時、廊下からガシャン! というガラスの割れる音が響いた。
男の動きがピタリと止まる。
「(ま、さか……いや、落ち着け! 扉にも私自ら結界を貼ってあるのだ、そうそう簡単には……)」
彼の淡い期待は、教室の扉を封じていた結界と共にアッサリと砕け散った。
「そ、そんな……」
戦慄が男の背中を駆け抜ける。
あのお方に言われていた要注意人物の一人。
その少年はゆっくりと、扉を開けて中へと入って来た。
「どうも、教師が朝礼抜け出して良いんですか? 細井先生」
「っ…死ねええええぇぇえ!!!」
細井は金切り声を挙げながら懐から取り出した小さな手帳の様な物に魔力を流し込んだ。
緋志の『眼』は手帳が魔力を吹き込まれると同時に術を構築したのを捉えていた。
呪いらしき術が緋志に迫る。が
「シッ!」
緋志が目にも止まらぬ早さで腰に差していた小太刀を抜き放ち、術は効果を発揮する事もなく崩れ去った。
「ば、ばかなぁ……」
ポカーンと開いた細井の口から気の抜けた声が漏れる。それを聞き流しながら緋志が細井に顔を向ける。
「……幾つか聞いておきたい事があります。答えて頂きましょうか」
平坦な、感情を悟らせない緋志の声の奥底に只ならぬモノを感じ、細井はビクリと体を震わせた。
「取り敢えず、アナタのさっきの慌てようからすると、ルミと舞は無事みたいですね。となれば、朝礼が終わるまでタップリ四十分……後片付けを考えても三十分はお話が出来るでしょうね」
丁寧な物腰の緋志に、少しだけ恐怖心が薄れたのか、細井は落ち着きを取り戻した。
「……どうやって、ココまで来た? まさか、結界を破ったのか? 」
細井は余裕を取り戻す為なのか、少し前の動揺等無かったかの様に緋志へと言葉を投げかける。
緋志は肩を竦め
「まさか、あんなに精緻に組まれた結界は初めて見ましたよ。俺はただ、隣の校舎の屋上から、ここの廊下の窓に飛び移っただけですよ。窓には結界が貼られて無かったので。まあ、窓の鍵が開いててくれたお陰で、窓を割らずに済んだのは嬉しい誤算でした」
と、平然と言い放った。
その、余りにも人間離れした内容に再び口が開きそうになる細井だったが、どうにか主導権を握ろうと必死に頭を働かせる。
「なるほど、君も異端になったという訳だ……一つ気になっているのだが、どうやって私の正体を見抜いたのかな? 君は体育館で既に私の正体に気付いていただろう?」
しかし、緋志はもはや、細井との会話に付き合う気は無かった。
先程よりもやや、低くなった声で
「質問するのはコッチだ。そもそも、何でアナタはこの町にやって来て、わざわざルミを狙った? アナタは魔道犯罪を協会から依頼を受ける形で解決する事を生業にしていたはずだ。別に悪さをした訳でも無い混血を最優先で狙う必要も理由もメリットも無いでしょう。紅道家は表向き魔術協会と協力関係にあるんだから尚更だ」
と、逆に質問し返した。
「………」
細井は黙ったまま、手帳を持った手に力を込めた。
緋志の言葉からして、素性がバレているのは確実であり、緋志を消さなければ身の安全が保証出来ないが………それ以上に対魔課とパイプのある緋志に捕まる訳にはいかない。
「(対魔課から逃れる為にもここは引くしかないか……あのお方に示しがつかないが……)」
細井は最終手段として残しておいた取っておきの術を発動させようと魔力を練り上げ───────
「『神楽!!!』」
「ぐっ!?」
緋志の声が耳に届いた次の瞬間には彼は床に転がっていた。
何が起きたのかも分からぬ細井は痛む脇腹を抑えながらどうにか、自分の立っていた場所に目をやった。
そこには、回し蹴りの残心をする緋志の姿があった。
「無駄な抵抗は止めろ」
「け、蹴られた、のか? 私は……カハッ!!」
緋志は冷たく光る瞳を細井に向ける。
まるで銃口を突きつけられる様な恐怖が細井の体を駆け抜ける。
痛みと恐怖で脳が麻痺した彼は突っかえながら、言葉を紡ぎ出した。
「逃げようとするのが無駄だと分かったか? とにかく、質問に答えろ」
「……」
「おい、どうせ隠そうとして、も……?」
突然、緋志は体に違和感を覚えた。
まるで陽炎が揺らめくように、視界がぼやける。
「っ! クソ……いつの間に…」
「ひ、ひひひ、ひいっひひひひひ!!!」
ふらつく緋志の耳に、壊れたような甲高い笑い声が突き刺さる。
顔を歪めながら細井が立ち上がった。
「ひっひひひ、オメェはバカだなぁ!! 相手に触れるってのはぁぁ!!! 魔術において重要な儀式になる事が多いってぇぇぇのに迂闊にソレをやっちまうとは!!」
まるで別人の様に叫び出した細井はひとしきり笑うと手帳を捲り、囁いた。
「一名様ご案内ぁぁい」
そのセリフを聞いた瞬間、緋志の意識は暗転した。
月に照らされた野原に少年が立っている。
青白い光に照らされた少年の手は、赤黒く染まり、手にした小太刀からは、ポツポツと雫が滴り落ちていた。
酔いしれた様な恍惚の表情を浮かべる少年の足元に倒れている女性が、震える手を少年に伸ばす。
少年は歓喜の笑みを浮かべながら刃を振り上げ───────
「ひ、ひひひ……くひひ!! 何が遠丞だ……あの『死神』をやったなんてのも何かの間違いに違いない。少しトラウマを刺激してやれば、こんなモンなんだよ!!」
恐怖から解放された細井は、安堵によって外れたタガを戻そうともせず引きつった笑みを浮かべならが手帳に魔力を込めた。
「丁度良い、テメェを使えば全員を始末できるかもしれねぇ……せいぜい有効活用してやるよぉ! ふひっ!ひひひひ!!」
傀儡の術が緋志へと伸びていき、そして─────彼を捉える直前で術は崩壊してしまった。
「……へ? 」
細井か間の抜けた声を漏らす。
目の前の光景を理解することを彼の脳は拒んでいた。
「な、な、なな、何で………」
横薙ぎにした小太刀を構え直し、緋志は床に向けていた顔を持ち上げ、細井を睨みつけた。
「正直、驚いたな。任務を全部他人に任せてるような奴だし、本人の戦闘技能なんて皆無だと思ってたんだけどな……まさか、触れた瞬間に俺の『眼』でも捉えられない小規模な魔術で人の意識を奪うなんてな……いや、結局はその手帳のお陰なのか? まあ、どっちにしろ、俺の意識を奪った瞬間に勝負を決めるべきだったな」
言葉通り、僅かな驚きの気配を滲ませながら緋志は言った。
そして、話しは終わりだと言わんばかりに、一歩細井の方へと踏み出した。
「(ば、馬鹿な……確かに術は発動したっ!! 普通なら悪夢に呑まれて数時間は意識を失うか半狂乱になるはず……)お、お前は一体……」
まるで化け物を見る様な目を細井は向けて来る。
緋志は僅かに苛立ちを覚えながら
「俺は只の雑用係だよ。今回は仕事とかは関係無いけどな……そろそろ、終わりにしようか」
ゆっくりと、しかし、確実に緋志が間合いを縮めて来る。
「ま、待て!! 分かった!!! お前の質問には答える! だ、だから……み、見逃してくれ!」
「……お前、俺がお前を捕まえて対魔課に突き出すとでも思ってないか? そんな訳無いだろ。俺は対魔課をそこまで信用出来なくなってるんだよ。だから、俺の知りたい事を知れるまで、お前を対魔課に渡す気なんて毛頭無い」
冷気を纏ったような声で緋志はそう言った。
その宣言に、細井は全身から汗が吹き出し、体がガタガタと震えだした。
目の前の少年は普通では無い。
細井が今まで出会って来た、魔に関わるどんな人間よりも危険な雰囲気を持っていた。
「待て!!! 待ってくれっ!! 降参だ!!! 降参する! 質問にも答える!! だから、待ってくれぇぇ!!」
尻餅を突き、恐ろしさの余り泣きながら喚きちらす細井を、まるで虫けらでも見るよな目で見つめがら、緋志は無言で立ち止まった。
しかし、小太刀を下ろそうとはしない。
「ハアッ、ハアッ……」
教室には、細井の荒い息遣いのみが存在していた。
そして、数秒の後、緋志が口を開く。
「その手帳を手の届かない所まで投げろ」
緋志の指示に、細井は迷う事も考える事も反発する事もせず、ただ従った。
何度も小刻みに頷くと、教壇の方へと手帳を投げ飛ばした。
そして、機嫌を伺う様な上目遣いで緋志を見つめる細井に、緋志は暴力的な衝動を覚えるが、どうにか自制する事が出来た。
「……今から聞くことに素直に答えれば暫くは安全を保証してやる。いいな? 」
「わ、分かった……」
緋志は、そこでようやく小太刀を下ろすと腰に付けた鞘へと収めた。
「さっきはお前のせいで聞きそびれたけど……皆は無事なんだろうな? どうせ何かしらの手段で皆を監視してたんだろ?」
「ほ、北条陣、山田舞、紅道瑠魅、全員命に別状は無い……」
「霧上は? 」
「……? と、特に傷等は負ってはいない……」
細井は何故、緋志があんなゴミの安否まで確認したのか一瞬分からなかったが、すぐにある可能性に思い当たった。
「! も、もしかしてアレがお前の身内に危害を加える事を心配しているのか? な、ならば無駄な心配だ……あの出来損ないは私の指示に従わなかった所か折角追い詰めた紅道に血を飲ませて傷を癒しやがったからな……」
「(血を飲ませた、か……)まあ、お前みたいな奴につくほど、霧上は馬鹿じゃないだろうからな。そもそも……霧上は魔術協会に登録されて無かった。きっと、お前は小細工をしてアイツを自分の手駒に仕立てあげたんだろ? 反吐が出るな」
文字通り吐き捨てる様に緋志は言った。
「(こ、この糞ガキっ……!)」
内心で毒づく細井だが、僅かに目付きを険しくするのが限界だった。
手帳を手放してしまった以上、彼には緋志に抵抗する手段が残されていなかった。
「さてと……思ったより、時間も押してるな。そろそろ答えて貰おうか。何故ルミを狙ったのか、それと誰がお前をバックアップしているのか」
有無を言わさぬ圧力が緋志から放たれた。
神秘的に色付く緋志の『眼』に射抜かれた細井は、暫し葛藤したが、やがて観念したのか震える声で語り始めた。
「わ、私は選ばれたのだ……」
「選ばれた?」
コクリと頷き細井は続ける。
「異端を狩るものとして……この世界を異端から取り戻し、あるべき姿に戻す為の戦士として……」
「誰だ? お前にそんな事を吹き込んだのは」
「……」
「フゥ……あんまり、こういう事はしたくないんだけどな」
再び黙り込んだ細井を見て緋志は深くため息を吐くと、懐から棒手裏剣を取り出した。
そして、流れる様に腕を振りかぶり、ソレを投擲した。
光の筋を描きながら飛来した手裏剣は、深々と細井の太ももに吹き刺さった。
「ひっ!? ぎぃ……が、あっ!?」
歪んだ悲鳴が漏れる。
細井の足からは血が滲み出しズボンを赤黒く染めていた。
緋志は表情を変えることも無く、新しい手裏剣を取り出しながら細井へと尋ねる。
「どうする? もう一本いってみるか?」
「ま、待て!! は、はなす……だから、も、もう止めてくれぇ……」
泣きそうな声で細井は嘆願した。
緋志は何も言わずに手裏剣をしまい込み、即急に情報を出す事を視線で促した。
そして、遂に心の折れた細井が口を開こうとした時、強烈な危機感が緋志の体を動かした。
「っ!?」
本能に従うままに斜め後ろへと跳躍した彼が見たのは、自分がコンマ数秒前まで居た場所に黒い何かが着弾した光景だった。
まるで熱した鉄に水を掛けた様なジュウウゥという不吉な音が鳴り響いた。
黒い何かが消えた後には焼け焦げたような後が床に残されていた。
まるで神の垂らした糸を見つけた罪人の様な顔を、細井が教卓の方へと向けていた。
緋志もそちらへと視線を送る。
彼の目に飛び込んできてのは、細井の持っていた手帳が黒いオーラを撒き散らしながら宙に浮かんでいるという、奇怪な光景だった。




