⑦ 内紛再び
石山合戦終結後、今度は孫一と土橋若太夫の間で抗争が始まります。
土橋氏は鈴木氏と並ぶ雑賀の中心的な一門です。根来との血縁関係があり、雑賀と根来とのパイプ役を務めていたと見られています。
この事態を憂えた本願寺顕如は再三にわたって孫一を説諭しますが聞き入れず、ついには1582(天正10)年1月、土橋若太夫を謀略によって自害に追い込みます。
憤激した若太夫の遺児は根来衆の増援を得て仇をとろうとしますが、対する孫一はあろうことか信長に通じ、和泉佐野城に駐留していた織田信張の軍勢を紀州に引き入れて2月に土橋派の本拠、栗村城を落とします。討ち取られた者の首は安土で晒されました。
暗殺はするわ宿敵のはずの信長を利用はするわ、なんだか孫一さん、やることが悪役じみてます。石山開城の際には徹底抗戦派を支持していたというのに、節操無しの批判を受けても仕方ない気がします。
なぜか。作者は想像します。そんな手を使わなければならないほど、孫一派は劣勢に立たされていたのだと。
これは完全な仮説ですが、石山合戦の敗北によって、一貫して本願寺救援を指揮してきた孫一はかなり求心力を失っていたのではないでしょうか。だからこその土橋派の台頭。
土橋派のバックには数万の僧兵を擁する根来衆もいます。起死回生には外部の軍事力に頼るしかないと考えるのは自然な帰結。そして周りを見渡して、紀州に派兵できる大名など信長以外にいない。
決して不自然ではないと思いますが……どうでしょう?
なにはともあれ、孫一はなんとか雑賀衆を再掌握します。ところがこの直後、孫一の権力基盤を根底から揺さぶる事件が立て続けに勃発します。




