第四章 魚津城の戦い
天正九年(一五八一年)二月、織田信長は自身の掲げる『天下布武』の威を示そうと、京において大掛かりな観兵式を行うこととした。京都御馬揃えと言われるものである。これを受けて柴田勝家、前田利家、不破光治らが越前衆として参加するため京に出向いていった。
勝家らの不在は、織田軍の北陸方面活動が一時休止することを意味する。これに目をつけたのがようやく御家騒動を終息させ、正式に上杉家当主となった上杉景勝であった。
上杉家にとっては家中騒乱の最中、能登国は長連龍と前田利家に、越中国は神保長住と佐々成政にそれぞれ勢力を半減され、加賀国にいたっては盛政に丸々奪い取られてしまったのである。
これは謙信時代に築き上げた北陸の支配権を、大幅に失う結果となってしまったことを意味する。そして今もまだ織田軍の侵略の目はこちらに向けられたままである。どうにか打開策を打ち立てねばならなかった。
景勝は勝家ら不在の好機を最大に活かすべく能登、越中、加賀、越前各国の一向衆に決起を呼びかけ、更に三月に入ると自軍も動かして越中国から進攻を開始したのである。そして、
「白山麓にて一向衆が蜂起。鳥越城危うし!」
京には出向かず、尾山城で待機していた盛政は直ちに兵を集め、鳥越城の救援に向かった。だが駆け付ける前に城は落ち、織田軍の守勢三百余人は討ち果たされていた。物見から報告を受けた盛政は初め激昂したが、落ち着きを取り戻すと即座に決断した。
「城は落ちたばかりで防備も整っていないだろう。このまま進んで、再度奪い返す。手取川の二の舞にはならん!」
進軍の速度を上げ、鳥越城が見えると包囲の指示だけ出し、その直後騎馬のみで門に向かって突撃を開始した。盛政の睨んだ通り正門は打ち壊されたままであったため、城内にそのまま突入した。慌てた敵が他の門から表に打って出ようとするが、包囲していた足軽が門前に殺到し、封じ込められてしまった。
盛政と虎姫は側近らさえ引き離し、天守に辿り着くとそのまま馬を降りて中に入り、来る敵をことごとく斬り伏せていく。特にこの戦いでの盛政の剣撃は凄まじく、激情に任せてたった一人で城を制圧してしまわんとする勢いであった。
一向衆にとって『鬼玄蕃』は、この時まさに鬼が宿っているように見えたであろう。勢いに完全に呑まれた彼らは、唯一包囲されていない山側の裏門から我先にと逃げ出していった。鳥越城は瞬く間に盛政の手によって奪還された。
更に盛政は尾山城に凱旋するとすぐに越中国に進み、小勢力ながら景勝の檄によって蜂起した一向一揆を鎮圧していった。またその越中国では、進攻する上杉軍が大将 河田長親の急死により撤退を余儀なくされ、更に勢いづいた佐々成政率いる織田軍による猛攻を受け、その勢力を大幅に縮小させられた。こうして上杉景勝の目論見は失敗に終わり、盛政は勝家不在の留守役を大いに全うしたのであった。
京から戻ってきた勝家は盛政の労をねぎらった。
「こたびの件、真によくやってくれた。景勝め、謙信が築いたものを取り戻そうと必死のようだが、今の国力ではこれ以上のことはやれまい」
「ですが、これからも一向一揆を使って何かしらの攻撃を仕掛けてくることは考えられます。一向衆も一向衆で、我らに対する不満から蜂起するのではなく、上杉の戦略上の手駒として立ち上がってくる。これではいかに善政を敷いたとて一揆がなくなりませぬ。針を仕込まれた畳の上を歩き回る気分ですよ」
「うむ、それだがな。お主の一向一揆への対処について右府様から叱責を受けておる。奴らに対する処分が甘いとな。わしも同意見だ。盛政よ、今は懐柔によって治める時ではないぞ。圧倒的な力によって押さえつけるべきだ。奴らが、蜂起する度にこんな代償をもらっていては割に合わんと辟易することによって初めて一揆はなくなるのだ。お主も今や国持大名の身。場合によって苛烈な判断をせねばならん時があることを心しておくがよい。特にこたびの白山麓 山内衆。奴らは要注意だ」
「肝に銘じておきます、伯父上」
盛政は深く一礼して退出した。確かにその通りだ、と思っていた。信長が掲げ、勝家が忠実に遂行している『天下布武』を、自分の思慮一つで曲げてしまうわけにはいかない。加賀国を統治する上で問題が発生した時、苛烈な判断が必要不可欠であるか、またはより良い選択であるかは考えるべきではない。それが信長の意向に即しているかどうかが大事なのである。そうやって地ならしされて初めて、きちんとした国づくりができるということなのであろう。盛政はそう得心した。
年が明けて天正一〇年(一五八二年)二月、武田家の親族衆である木曾義昌が織田家に降伏したのを皮切りに、信長は大規模な武田征伐に乗り出し、動員令を発した。伊那方面から嫡男 織田信忠を、飛騨方面から家臣 金森長近を進攻させ、更に同盟関係にある徳川家康を駿河方面から、北条氏政を関東および伊豆方面から進ませた。
対する武田家当主 武田勝頼は、木曾義昌の裏切りを許せんとし総勢二万の兵を率いて信濃国木曾谷へ進軍するが、地理を習熟した義昌に翻弄され、更に織田信忠の援軍によって大打撃を受け、得る物なく退却した。退却中も敵の進攻と、何より相次ぐ味方の離反により、勢力はどんどん削り取られていく。
窮した勝頼は武田信玄以来関係の深い各地の一向衆に援護を求めた。これを受けて加賀国では再び山内衆が蜂起した。鳥越城より手取川に沿って更に上流に位置する吉岡、佐良に砦を築き、そこを拠点として織田軍を牽制したのである。
この情報は前年度の戦より伝達網を強化していた盛政の下にすぐ飛び込み、盛政はこの時尾山城に来訪していた勝家に、事の詳細と出兵する旨を伝えた。
「やはり再び蜂起しおったか。盛政、心得ておるな。ここで抵抗する意志を根こそぎ狩り尽くせ。これ以上一向一揆が起これば、お主の失政として他の者より弾劾されるぞ」
「しかと心得ております。これをもって最後の抵抗としてやりましょう」
盛政は軍を率いて手取川を遡り、まず吉岡の砦を発見した。この砦は手取川の峡谷に築かれており、攻めるためにはまず川を渡らなければならないが、調べてみたところ思いの外深く、流れも急で容易に進めそうにない。渡るためには大掛かりな筏を組む必要があるが、砦からの攻撃に晒されることになるのは間違いなかった。
「うーむ、これはどう攻めたものであろうか。一度下流まで引き返して大きく迂回すべきか。しかしそれだと道なき道を切り開きながら進まねばならん。伯父上に大言した手前、長期戦をするわけにもいかんしな。どうしたものか」
盛政が軍を止めて頭を悩ませている間に、虎姫はこっそり抜け出して周辺を散策に出かけた。自分では物見のつもりであろうが特に当てがあるわけではない。
「いいんですか虎姫様、勝手に抜け出して。呼ばれた時いないって分かったら怒られますよ」
「大丈夫じゃ。とーちゃんは残念ながら策略とか計略とかは得意なほうではない。あそこを渡る良案がすぐ浮かぶはずがあるまい。あの調子だと、今日一日は唸っておるわ」
「自分だって思いつかないくせに」
とはトラは言わない。大体虎姫に思いつくくらいなら、盛政ならずとも側近の誰かが提言するはずである。虎姫が盛政に対してそうであるように、トラも虎姫に対して計略家としての才を認めていなかった。
虎姫は単騎川に沿って上流へ向かっていた。すると程なくして、
「トラ、鹿だ、鹿がいる! よし、あれを狩って食糧の足しにしよう」
「ちょっと、物見じゃなかったんですか。鹿を射るなんてかわいそうじゃないですか」
「物事は常に臨機応変に運ぶものじゃ。弓はあまり自信がないけど、必ず仕留めてくれる」
言っている間に弓を構え、矢を射る。かなりの威力であるが、虎姫が自分で言った通りで狙いは外れ、鹿のすぐ側の木に刺さった。当然鹿はこちらに気づき逃げ出す。
「逃がさん!」
虎姫は馬で追いかけ上流を進んでいく。進みながらも矢を射るが、全然当たらない。
「止まっているのも当たらなかったのに、動いているのなんか当たりっこありませんよ。もう戻りましょう」
しかし運はこちらに味方したようだ、と虎姫は思った。追いかけるうちに鹿は崖際に追い詰められ、これ以上後ろに行けなくなったのである。もらった! 勝利を確信して弓を引き絞る。だがその直後に得られるはずの歓喜は、未発に終わってしまった。
「あっ!」
追い詰められた鹿は、なんと虎姫向かって突進し、体当たりを喰らわせたのだ。完全に油断していた虎姫は見事に落馬し、兜が崖下に落ちていった。頭をさすりながら虎姫が立ち上がった時、鹿の姿は消えていた。
「虎姫様、鹿に負けちゃいましたねぇ」
「ま、負けたのではない。不意を突かれただけじゃ。鹿のやつも去ったのだから痛み分けではないか」
「また負け惜しみを……。あ、そんなことより兜探しに行かないと、それこそ後で怒られちゃいますよ」
虎姫は慌てて崖を下りていったが、崖の真下は川であった。
「川に流されてしまいましたね」
「仕方ない。大人しく帰って、とーちゃんに怒られてくるよ」
虎姫はトボトボと川に沿って歩いていった。まぁ慰めるほどのことでもあるまい、と思いながらトラは川を眺めていた。しばらく進んだ時、
「あっ、虎姫様、あそこあそこ。あれ兜じゃありませんか」
川の中に黒っぽい塊が沈んでいる。虎姫が川に入って拾い上げてみると、まさにそれは兜であった。
「おお、でかしたトラ。これでとーちゃんに怒られずにすむ」
「よかったですねぇ、虎姫様。……ってああ!」
「な、なんじゃトラ、忙しいやつじゃの」
「いや虎姫様ここ、浅いじゃないですか! ここだったら向こう岸まで歩いて渡れるんじゃないですか」
「ああっ、本当だ! ちょっと確かめてみよう」
虎姫は馬にまたがり、川の中を歩いていく。進むを止めることなくそのまま対岸に着いた。
「おお、行けるぞトラ! これで勝利は我が方のものだ」
虎姫は喜び勇んで自陣に駆け込んだ。中では虎姫が評した通り盛政が悩み続けている。
「とーちゃん!」
「虎、何度も言っておるだろう。軍議中は邪魔をしちゃいかん」
「川を渡れるところ見つけた!」
「な、何っ!」
虎姫は自分が発見した場所を仔細に伝え、盛政はすぐに物見を確認させにやった。
「ところで、どうしてお前がそんなところを知ったんだ」
「そ、それは……」
「また勝手に抜け出したのか、仕様がないやつだ。まぁ今回は怒るに怒れんが」
しばらくすると物見が帰ってきた。
「間違いございません! 虎姫様の仰られる通り、人の足で渡河できる場所がございます」
「よし、では五百の兵は留め置き、我らがこの場にいるように見せかける。本隊は夜中に行軍を開始し、渡河を実行する。馬は置いていけ。鳴き声で気づかれる恐れがあるからな」
こうして織田軍は夜中に渡河を完了し、朝方に一気に砦に襲い掛かった。これあるを全く予期していなかった一向衆は完全に取り乱し、防備もままならないままに攻撃を受け、僅か半日で砦は陥落した。
「よし、このまま軍を進める。もう一つの佐良の砦に向かうぞ」
すぐに砦を焼き払い、盛政は軍を進めた。翌日に砦を発見し、攻撃を指示する。こちらは一向衆からの必死の反撃を受けたが、それを上回る盛政の猛威の前に屈した。盛政はここもまた焼き払うよう命じた。
二つの砦の陥落により、今回の一向一揆は鎮圧されたことになる。今までの盛政ならこれで軍を返し、尾山城に戻るところであった。しかし、
「これより、この一帯の七ヶ村に兵を送る。村にいる一向衆で成人に達している者は男女問わず全員集めよ」
直ちに各村に兵が送り込まれ、村人達は次々と連行された。一日して七ヶ村全ての対象者、約三百人を集めた盛政は、側近らに指示した。
「この者ら全てを磔に処せ!」
用意された磔台に村人達がどんどん括り付けられていく。ある者は一心に経を唱えながら、ある者は信長と盛政に対する呪詛の声を撒き散らしながら、それらを盛政は微動だにせずに睨み続けていた。そして、
「執行せよ!」
一斉に槍が貫く。盛政はなおも微動だにせず、横にいる虎姫はさすがに蒼白になりながら、それでも目を離さない。トラは目と耳を塞いで腰袋に隠れていた。
「とーちゃん……」
「……何も言うな、虎」
これによってようやく盛政は軍を返し、一向一揆討伐を終えた。なお、この虐殺により七ヶ村ではこれより三年間田畑を耕す者がいなくなり、土地は荒廃したと伝えられる。しかし以降、加賀国で一向一揆が発生することはなくなった。
尾山城に引き揚げるまで、盛政は命令以外で言葉を発することはなく、虎姫はいつもよりずっと多くトラの頭をなでていた。
盛政の一向衆に対する処断は、勝家およびその報告を受けた信長を大層喜ばせた。
「それでよい。これが広まれば近隣の一向衆に対する牽制にもなる。盛政よ、やりたくない所業でもやらねばならぬ時もある。そうすることにより、今後発生するであろう一揆を未然に防げるのであれば、決して苛烈な処置とは言えぬ。まぁ言い訳がましく口にすることもないがな」
「ははっ」
「今進行中の武田征伐に限っても、お主の働きにより一向一揆の芽を摘むことができ、中将様(織田信忠)の軍が進む障害を取り除けたと言える。情報によると武田勝頼の家臣はどんどん主君から離れていき、勝頼は本拠地の甲斐まで逃げ続けているということだ。あと一歩で武田家は終わろう。これで我らも前面の上杉に全力を注ぐことができるというわけだ」
盛政も身を乗り出して対上杉に集中するようにした。北陸においては現時点で越前国を柴田勝家が、加賀国を佐久間盛政が、能登国を前田利家が、越中国を佐々成政が直接管轄下に置いている。越前国と加賀国は今やまとまった敵対勢力もなく、勝家と盛政によりそれぞれ統治されている。
しかし能登国、越中国においてはそうではなく、どちらも織田家優勢ではあるものの、上杉家の勢力と一向一揆勢力が依然として存在する。よって前田利家、佐々成政共に統治者というよりは最前線指揮官という趣が強い。特に越中国は直接上杉勢と衝突することもあり、いつ戦火が拡大してもおかしくない状況にあった。
「というわけでな、我らは越中に戦力を傾ける。狙うは魚津城だ。成政と利家には既に指示を出しておる」
二月下旬から既に、佐々成政は留守を神保長住に預け、居城である富山城から出陣し、先鋒として魚津城に向かって行軍を開始していた。同時に前田利家も能登国より進軍し、こちらは勝家ら本隊に合流する予定である。先の二人の行動を確認し、勝家と盛政は尾山城より出陣した。総勢およそ二万。
勝家らが越中国に入った時、先鋒の成政は魚津城の守将 中条景泰率いる上杉軍と激しい戦いを繰り広げていた。景泰は積極的に打って出て、本隊のために陣を確保しようとする織田軍を夜討ちや奇襲によって攪乱し、成政が反撃しようとすると城に引き返すといった攻撃を繰り返す。勝家の本隊が合流し、包囲を完成させるまでそれは続いた。
「敵も元気のいいことよ。指揮を執る将は中条景泰とかいったな」
「はっ。奴を含めて十二人の名のある武将がこの城を守っております。我らに比べて寡兵なれど、その戦力は侮れませぬ」
「ふむ。となると一気に総攻撃をかけるのも考えものだな。こちらの被害も馬鹿にならんものになるやもしれん。まぁしばらくは様子見に攻撃を仕掛けるくらいでよかろう。ところでな……」
勝家は少し声を落とした。
「今富山城の留守を預かっている神保長住について、右府様より沙汰があってな。長住を失職させるよう策を立ててあるゆえ、それに従って行動するようにとのことだ」
「な、なんですと!」
思わず声を張り上げたのは成政である。
「神保殿はこの越中を手に入れるため拙者と労苦を共にした仲。彼を追い落とすような行為に拙者は加担できませぬ!」
「控えよ成政、右府様のご意向だぞ。右府様は最早長住を見限っておいでだ。奴を追い落とし、この越中を平定した後はお主に任せるとある」
事実、織田信長は神保長住に失望していた。元来彼を越中国に入れたのは、彼の父 神保長職が保持していた越中国の神保家臣および国人衆を糾合し、上杉家の勢力を削り取らせるためであった。だがこれは当てが外れた。
長住が織田家に仕えるようになったのは、親上杉派である父に弾圧されてのことである。長住が成政と共に越中国で勢力を奮い出すと、信長の思惑と逆に旧神保家臣の半数が上杉家に走り、残りのうち長住についた者も信用できないような状況となっていた。
このまま越中国の統治者に置いていては、内乱の大きな火種を抱え込むことになる。長住自身には幾分かの戦の才があるようだが、一国を任せる者としての実績や器量を信長は見出さず、内在する危険性を重視し決断した次第であった。
「奴にはもう重用するだけの価値も認めるべき力もない。その力のない者が不相応の地位に居座り続けるようでは、織田家が鼎の軽重を問われることになろう」
「いいや納得できん! 必要な時は持ち上げる、必要がなくなれば切り捨てるということであれば、まず武士としての信が問われるではないか。それこそ右府様を貶めることにも繋がる!」
「黙れ! お主が武士の心得をどう説こうが、右府様のご意向に逆らうことは許されん。従えぬというのであれば謹慎を申し付け、戦が終わり次第然るべき処置をとるぞ!」
「何と言われようとそんな命令には従えん!」
「お待ちください」
二人の口論に割って入ったのは前田利家である。
「佐々殿、御身にとっては辛いかも知れぬが、神保殿と御身との間柄は私事。私情を優先して主君の命令をないがしろにすることは許されませぬ。もう沙汰は下りているのです。この上は、与えられた役の中でいかにして神保殿を危険より守るか、それに心を砕くべきでしょう。またそうすることで、佐々殿の一分も立つというものでござる」
「……相分かった。ちと頭を冷やしてくる」
成政は席を外した。利家は今度は勝家の方を見据えた。
「柴田様、出すぎたことを申すようですが、佐々殿の心もご考慮願いたく存じます。彼にとって神保殿はまさに戦友。この越中において上杉に睨みを利かせられますのも、先に入って領地を確保してくれた神保殿あってのことです。確かに神保殿はこれ以上の期待に添えぬかもしれません。右府様のご慧眼に誤りはないでしょう。ただ、これまでの健闘や功績を反故にし、今ある処遇のみを語るのであれば、共に戦ってきた織田家臣団に不信の念を抱かせ、和の乱れを生む原因ともなりましょう。右府様が心及ばないところは我ら家臣が補わなければなりません。ご深慮ください」
利家の言葉に盛政は大きく頷いた。
「伯父上、拙者も自分の立場に甘えさせてもらい意見しますが、前田殿に賛成です。拙者とて万が一、伯父上を排斥せよとの下知を受けようものなら、それに耐えられるものではございません。自分に切腹を申し付けられるよりも辛いことでござります」
「……そうだな。わしとてお主らをなくすのは身を切られるより痛いことだ。確かに成政に対して心が足りんかったようだ。戻ってきたらすぐに謝るとしよう。利家、これからもわしの足らぬところは諌めてくれよ」
「ははっ、勿体ない言葉でございます」
利家と盛政は大きく頭を下げた。程なくして戻ってきた成政に勝家は頭を下げて詫び、評定は滞ることなく進んだのであった。
三月一一日、旧神保家の重臣 小島職鎮が突如蜂起し、富山城を急襲してこれを奪い、城代神保長住を幽閉した。職鎮は神保家の頃から親上杉派の筆頭であり、当時の主君神保長職と共に長住を弾圧した立場にあった。佐々成政が越中で指揮を執るようになってからは、彼に降っていたのである。
職鎮が蜂起したのは、つい先日重大な情報を掴んだからである。曰く、
「信濃から甲斐に侵攻した織田軍本隊は、深入りし過ぎたため逆撃に転じた武田軍に大敗を喫し、信長自身の生死も不明な程の損害を受けて退却し始めている」
だがこれは信長の流した偽情報であった。事実は全く反対で、情報を発した時武田勝頼は織田軍による猛追と相次ぐ味方の裏切りにより、敗戦を重ね逃げ延びようと必死であった。
そして職鎮が富山城を奪ったこの日、追い詰められた勝頼は天目山にて妻子や侍従らと共に自刃して果てた。まさにこの日は武田家滅亡の日だったのである。
富山城からの急報を受けた勝家は直ちに魚津城の包囲を解き、殿軍を盛政に任せ、城からの追撃を十分警戒しながら現地に急いだ。そして翌日その全軍をもって富山城を取り囲んだ。
驚いたのは小島職鎮である。織田家の危急を察知し、総退却を行うであろう織田軍の後背を突く形で城を占拠し、上杉軍とどう連携を取るか思案していたところであったのだ。
それがたった一日で織田軍は反転し、自分の城を包囲している。これでは連携どころか救援も頼みに行くことができない。この電撃的な行動には迷いも焦りも見られず、目の前の織田軍はしっかりと統率されており、陣に乱れもない。
「もしや、謀られたのか」
職鎮がそう疑念を抱くのにさほど時間は必要としなかった。勝家のほうはこの二万の兵をもって総攻撃をかけ、神保長住は元より守将たる小島職鎮を始めとした旧神保家臣を一掃するつもりであった。しかし、
「柴田様、軍は包囲するに留め置き、拙者に開城するよう交渉させてもらえませぬか。うまくすれば我が軍が損害を被ることはございませんし、神保殿も救出できます。攻め込むのは交渉が決裂してからのこととして頂きたい」
願い出てきたのは成政である。勝家としては信長の意向に添って内乱の芽を摘んでおきたかったため、この提案は渋ったが、前日の件を踏まえて受け入れた。
成政は僅かな側近を連れて入城を申し込み、すぐに本丸まで通された。職鎮と交渉を開始した成政は、織田軍に関する情報が誤りであることを伝えた。
既に疑念が大きく膨らんでいた職鎮としてはそれが嘘でないこと、このまま戦っても勝ち目がないことを悟らざるを得なかった。自分達の安全を確約させた上で城はあっさり開き、戦わずして織田軍の手に戻った。
職鎮らは手勢を引き連れて落ち延びていき、幽閉されていた神保長住は無事に保護された。だが、城を奪われたという失点は許されず、長住は現在の地位から失脚し、追放されることとなった。
こうして織田軍は富山城を再奪還し、再び魚津城を包囲した。この間城中の上杉軍は動いていない。富山城で戦端を開いてくれれば付け入る隙もあったのであろうが、そこは成政の交渉が功を奏し、瞬く間に終わってしまったため動けなかったのであった。改めて勝家から攻撃の指示が出され、ここに魚津城の戦いは幕を開けた。
上杉家にとっては本国越後への最後の防衛線に当たる魚津城。防戦する将兵は上杉軍の中でも特に屈強な者達であり、五倍に迫ろうかという織田軍相手に奮闘し、見事に攻撃を退ける。
開戦からおよそ一ヶ月経っても、戦況は変わらず膠着状態が続いているように見えた。だが表向きに変化がなくとも、攻める織田軍と守る上杉軍の間に差は生じ始めていた。それは矢や弾薬、食糧といった物資、そして何より兵士に蓄積されていく疲労である。
織田軍は二万の兵で包囲、攻撃を続けているが、一度に全ての兵が参加しているわけではない。半数の部隊が攻撃を加えている間、半数の部隊は後背を警戒しながらも休むことができるのである。対して上杉軍は約四千の兵全てが各持場で必死に戦っている。戦いが長期化すればするほど、この差は歴然になるのであった。そして勝家の狙いもこれにあった。
敵がまだ十分戦える状態の内に短期決戦を挑めば、勝つにしろ味方も相当の損害を被る。多少長引こうと敵の体力が底をつき、気力だけではどうしようもない状態に追い込んで勝負を決めるつもりだったのである。今の織田軍には勝家の作戦を実現するだけの物資のゆとりがある。上杉軍は日毎に戦力を削り取られながら戦っているのであった。
戦いは続き、四月も後半に入った頃、勝家の下に間者と急使が相次いで飛び込んできた。
「上条政繁、斎藤朝信を大将とする敵の援軍約三千が、東より攻めてまいります」
「能登において一向衆および国人衆が複数蜂起。近隣の城を狙って動き出しております」
これらは魚津城から再三の援軍要請を受けた上杉景勝が打った手であった。本当は景勝自身が援軍として越中に進軍したいが、現時点では動けない状態にあった。
なぜなら、武田征伐を終えた織田軍の大部隊がまだ甲斐や信濃に駐屯し、信長も美濃にありながらそれらを指揮し、いつでも南より越後をつく素振りを見せていたからである。
更には越後国において、御館の乱の論功行賞に不満を抱いた新発田重家が反乱を起こしており、その対処に追われていたのも大きな要因であった。
景勝はこの状況に歯噛みしながらも可能な限りの援護を行ったのである。報告を受けた勝家は東を囲む佐々成政、前田利家の部隊を敵の援軍に当てた。また利家を呼び出し、能登国の対処について尋ねた。
「ご心配には及びません。敵が後方攪乱を目的に国人衆を使うことは読めておりました。拙者に従軍している長連龍殿に能登の軍権を与えて指揮を執らせれば、問題なく鎮圧できるでしょう」
「ほう、さすがは利家。よかろう、長連龍に一時的に軍を動かす許可を与えよう」
軍令を受けた長連龍は急遽能登国へ引き返していった。前田利家と佐々成政は、それぞれ部隊の半数をもって敵の援軍を迎え撃った。
相手は謙信時代からの宿将、特に斎藤朝信は『越後の鍾馗』と言われたほどの武勇の士である。この斎藤朝信が果敢に攻撃を仕掛けて織田軍を引き付け、その間に上条政繁が城を囲む一角を突破して部隊の一部を城内に合流させることに成功するなど、織田軍は苦戦を強いられた。態勢を立て直した利家と成政がなんとか撃退すると、敵の援軍はすぐ東にある天神山城へ退却した。これにどう対処すべきか、二人は勝家に指示を求めに現れた。
「追わんでよい。陣の周りに土塁を設け防戦の構えで応じれば、所詮は三千、これ以上のことはできまい。今は何より魚津城の包囲を崩さんようにするのが肝要だ」
勝家の言うとおり、この二人が守戦に徹すれば、さしもの上杉家の宿将も攻めあぐね、城の東側は攻守共やや緩慢になった。その間にも勝家、盛政率いる西側では猛攻が続く。
敵を消耗させるための戦いゆえ総攻撃は行わないまでも、隙あらば城門を一気に突破しようとする盛政に手抜かりはなかった。敵の攻撃射程内寸前まで馬で乗り出し、竹束による鉄砲の防御、弓の斉射、足軽の攻撃や後退など、直接指示を出しながら機を窺う。
なお、この攻城戦において虎姫はやや暇である。自分達の陣が東側だったらよかったのに、とはさすがに口に出せず、目まぐるしく指示を飛ばす父の脇に控え、時折飛んで来る矢を面倒くさそうに打ち払っていた。
五月四日、信長が安土に凱旋することを確認した景勝は、ついに軍を動かした。精兵五千を率いて春日山城を出立し、一直線に魚津城に向かう。景勝は織田軍の包囲を突破し魚津城と合流、内外より呼応して一気に勝負を決めてしまう気概である。先日魚津城より届いた十二将の連署が脳裏から離れない。
「敵は壁際まで迫り、昼夜四〇日にわたり攻撃を繰り返してきましたが、今日に至るまで何とか守ってまいりました。この上は全員討死の覚悟と決めております」
読んだ直後に胸を熱くした景勝は、後背に新発田重家の問題を抱えながらも動かざるを得なかったのである。だが状況は景勝の思いを裏切るように悪化していく。
六日、織田軍の間断なき攻撃により、ついに二の丸が占拠されてしまった。これでは合流はおろか連絡さえ取れない。進軍中にこの情報を聞いた景勝らは、即座に軍議を開いた。家臣達は言う。
「魚津城に入れなければ援軍の意味はなしませぬ。寡兵である我らが外より攻撃したところで、勝敗は見えております。二の丸まで取られたのでは、時を置かずして落城しましょう。そのような城に御館様が出向くなど、わざわざ危険に身を晒しに行くようなものです。ここは引き揚げましょう」
景勝は沈黙してした。家臣達の進言はもっともであり、自身このままでは勝算がないと分かっていたからである。かといってここまで耐えてきた魚津城の将兵に、何一つ報いてやることができないのは悔しくて仕方がなかった。ここで苦悩する景勝を横目に、家臣達に意見する者がいた。腹心 直江兼続である。
「恐れながら申し上げます。つい先日武田勝頼は天目山で果て、武田家は滅亡しました。その理由は、我らに劣らぬ結束を誇っていたはずの武田家臣団の分裂です。織田軍が信濃を進攻するたびに、国人衆は元より武田家の中核を成す親類衆までもが寝返っていきました」
景勝らは黙って頷く。
「そうなってしまった大きな要因は、武田家健在の象徴である高天神城が攻められた際に、勝頼が援軍を送らず見殺しにしてしまったことにあります。高天神城の落城により、武田家に臣従していた多くの国人衆が不信の種を植え付けられました。それが今日の結果に繋がったのです。今我が軍がこのまま着陣もせずに引き返しては、武田家臣団と同様の道をたどるでしょう。こたびの敵は、魚津城を超えたところにもいることをご考慮ください」
「まさしく兼続の言う通りだ!」
景勝が叫んだ。
「勝頼の二の舞を演じるようなことになれば、信長どころか天下の笑い者にされるわ。ここで魚津城に出向くは魚津城を救うのみにあらず。我らの心を国内に示すのだ」
家臣達は一様に頭を下げた。かくして行軍は続行となった。
五月一五日、ついに景勝率いる上杉軍は魚津城の東、天神山城に入城し陣を敷いた。早速物見を放ち、敵の陣をつぶさに調べさせ攻略の策を練る。だが物見からの報告を受けた景勝らは驚愕した。
「こ、これは……」
勝家はしたたかだった。二の丸を占拠した後、上杉軍がこちらに向かっている情報を掴むとすぐに、陣の外側に土塁や柵、空堀まで巡らせて徹底した防戦態勢を築き上げていた。
通常の攻城戦では内外に敵を抱えてしまうためできないことであるが、二の丸まで押さえた今、城内の敵が攻撃できる個所は限られてしまい容易に封鎖できる。何より、魚津城には最早弾薬も矢もほとんど残っていなかったため、城兵は積極的な攻撃ができなかったのである。そして上杉軍が着陣した今、城への攻撃を中止し、外側に兵を向けて構えたのであった。
「これではみすみす虎口に飛び込むようなもの。攻撃はできぬ……」
景勝はここまで来て打つ手がない現実に、怒りを覚えずにはいられなかった。兼続もこの局面を打破する良策は浮かんでこず、焦慮が募る。
二日、三日と睨み合いのまま滞陣は続いた。この間、景勝の下に能登国で蜂起した国人衆が長連龍らによって鎮圧されたという報が届く。これによって上杉軍にはいよいよ手駒がなくなってしまった。
「うーむ、ちっとも攻め込んできてくれんのぉ、トラ。おもしろくない」
「敵のほうが数もずっと少ないそうですから。これだけしっかり守られては、攻めるに攻められないんでしょう」
「向こうの陣には、名うての武将がゴロゴロいるという話ではないか。戦いたいなぁ。せめてとーちゃんの部隊にだけでも出陣命令がでないかなぁ」
「戦わずに勝てるなら、それにこしたことないじゃありませんか」
「戦って勝ちたい!」
まったくもう……、トラは呟きながら腰袋の中で体をよじらせてお昼寝準備である。虎姫は非難がましく見下ろしながら、かといって自分一人では特にすることがないため各部隊を徘徊するしかなかった。ことさら馬を揺するのはご愛嬌である。
ところが同時刻、虎姫と同じような意見をより声高に勝家に向かって主張している武将がいた。盛政である。
「敵は当主である上杉景勝本人が出てきているのです。まさに絶好の機会! 城の包囲が解けぬというのであれば、拙者の部隊だけでも出陣させてくだされ」
「はやるな盛政。何も包囲が解けぬと言っているわけではない。ここで景勝と雌雄を決する必要がないと言っておるのだ」
「必要の有無など問題ではございません。景勝を討ち取ってしまえばそのまま上杉軍は瓦解し、越中どころか越後までも手中に収めることができるではございませんか」
「敵は今、魚津城を助けたくても助けられず足踏みしている状態だ。士気はすこぶる高い。ここで決戦を挑んでみよ。景勝を討ち取る代わりに我が軍も計れぬほどの損害を受ける恐れがあるぞ。この戦はもう十中八九勝っておるのだ。勝ち戦において被害を増やすようなことはやるべきではない。それにな、戦場をもっと大きな視野で捉えよ、盛政。もうすぐ景勝は戦わずして退かざるを得んようになる」
「と、申されますと」
「今や上杉と境を接しているのは我らだけではないということだ」
そう言われて盛政も合点し、合点しただけに残念ではあるが黙って引き下がった。
滞陣のまま迎えた五月二七日、天神山城にていかに攻撃すべきか議論が交わされる中、恐るべき情報が飛び込んできた。
「信濃より織田軍 森長可部隊が二本木まで進出! 上野からも滝川一益部隊が三国峠に迫っております。共に春日山城を狙っている模様!」
その場にいる全員が震撼した。織田軍の別働隊が越後国に、景勝の本拠地に攻め込もうとしているというのである。このままここに滞陣していたのでは本国が奪われてしまう。かといって目前の味方の危機を見捨てるのはあまりにも忍びない。景勝始め家臣達が頭を抱え込む中、発言したのはやはり兼続だった。
「御館様、すぐに軍を退くべきだと存じます。魚津城の将兵は、織田軍に越後の地を踏ませぬため、春日山城に迫らせぬために一心不乱に戦い続けてきたのです。ここで敵と戦っている間に春日山城が落ちてしまったのでは、彼らの尽力が水泡に帰してしまいます。御館様がここまでいらっしゃったことにより大義は果たせました。我らに心を寄せる国人衆からは信を得られたでしょう。この上は、越中を捨てる覚悟で春日山城にお戻りください。それが魚津城の者達の義気に応える道だと存じます」
「兼続、お主の道理はわしにも分かっておる。分かっておるのだ……」
兼続が言を続けている間、景勝は目を瞑って耐えていた。景勝が苦しみに耐えかねたように目を開け、兼続を見た瞬間、その目は更に大きく開かれることになった。淡々と語った兼続の目から、涙が溢れ出ていたからである。
兼続の心情を悟った景勝は再び目を瞑り、宙を向いて黙り込んでいたが、「断腸の思いとはこのことか」と小さく呟くと、家臣達を見据えて言い放った。
「我らは越後に撤退する。すぐに兵を取りまとめよ。出発は今夜半だ」
更に景勝は魚津城宛に文をしたためた。そこには越後が危機に陥っているため引き返さざるを得ないこと、魚津城将兵は城を明け渡す条件で和議を求め越後に戻ってくること、そうすることが決して武道に背くわけではないことが書かれていた。
景勝は越後への道中で十二将からの返事を読むことになる。そこには「我らはこの越中にて、上杉勢の生き様を織田軍に見せつけてやります」とのみ書かれていた。食い入るように読んだ景勝は天を見上げ、落ちそうになる肩を必死に支えるのであった。
五月二八日、天神山城から上杉軍が引き揚げたことを確認した勝家は、遂に総攻撃の指示を出した。一つには後背を突く森長可、滝川一益が本当に春日山城を落としてしまった場合、北陸平定第一の功は彼らになってしまうという焦りもあった。昼夜を問わず攻撃は続けられ、城兵に一時の休みも与えない。
六月三日、城兵の大半を討たれ、最早城の一角をどうにか死守するのみとなった十二将は最後を悟った。彼らは城が焼き払われて、誰が誰の首か分からなくなっては敵に見苦しいとし、耳に穴をあけて各自の姓名を記した木札を針金で結びつけ、一斉に自刃した。
城に乗り込んだ盛政は、彼らの亡骸を見て上杉に武将ありという感を改めて強くし、黙然と手を合わせた。ここに三ヶ月近くに及んだ魚津城の戦いは幕を閉じたのであった。
翌日には魚津城より近い松倉城も攻囲され、越中国は織田軍の手に落ちたかに見られた。勝家は松倉城を囲ませながら、今後の方策について軍議を開く。
「この松倉城も両日中、先の天神山城もすぐに落ちるでしょう。この越中には既に我らが入って国人衆を押さえておりますゆえ、後備えの心配もいりませぬ。このまま越後まで攻め入りましょう」
佐々成政の意見である。他の武将に異論はない。
「うむ、成政の申す通りだ。ここは余勢を駆って越後に侵入すべきだな。我らがここに停滞してしまっては、上杉との戦いの主導権は森長可らに移ってしまう。むざむざ手柄を横取りされるわけにはいかん」
「まさしく。この北陸で何年にも及んで上杉、そして一向一揆と戦い続けてきたのは我々です。上杉との決着は我々の手でつけるのが当然のこと」
こちらは利家である。更に盛政が続く。
「伯父上、今や上杉勢は本城である春日山城を死守することに集中しておりましょう。他の支城は空き家同然。我らが向かえば破竹の勢いで進めましょうぞ!」
こうして意気上がる織田軍はこのまま越後に向かって進軍することに決定した。俄然湧き立つ勇将達。
するとそこに、京からの密使という者が現れ、勝家に大変事を知らせに来たという連絡が入った。
「大変事とは一体何事だ」
「それが、柴田様に直接書簡をお渡ししたいとの一点張りで」
「ふむ、分かった。ここへ通せ」
すぐに密使が呼び出され、勝家に書簡を差し出した。文面に目を進ませながら、勝家の顔はみるみる強張っていく。
「……な、なんだと!」
「いかがされました、伯父上」
「う、右府様が、明智光秀に討たれたとある……」
「なんですと!」
密使以外の全員が驚愕し、そのまま凍りついた。明智光秀は言わずと知れた織田家の重臣。それが謀反を起こしただけでも衝撃であるのに、主君である信長を討ち取ったというのである。
「これは確かなことか」
「はっ。右府様は本能寺にて自害。中将様も二条御所にて自害されました。今や京は明智光秀の手勢が守りを固めております」
「そうか、右府様が……。光秀ずれなぞに……」
勝家は込み上げてくる衝動を懸命に抑えていた。信長は自分がその才にはっきり気づかされて以来、忠節一途に仕えてきたお方であった。目頭が熱くなってくるのを自覚する。
だが今は感傷的になっている場合ではない。突如目の前に現れた大きな障壁を打ち破らなければならない。
「全軍総退却だ! お主らはそれぞれ自領へ戻れ。右府様の死が広まれば各地の反織田勢力が蜂起する。うかうかしてると足元より火が吹くぞ!」
この一通の書簡により織田軍は急遽反転、自国に向かって急いで退却していった。魚津城陥落より僅か一日後のことである。空白になった魚津城は上杉家臣の手によってすぐさま取り戻され、再び上杉家の所有物となった。