第三章 加賀平定戦
手取川において大敗を喫しながらも、織田信長の『天下布武』への歩みは止まらない。
一一月には大和国信貴山城を攻め松永久秀、久通父子を討伐。そこから羽柴秀吉を中国征伐のため播磨国に送り出し、明智光秀に丹波国を制圧するよう命じるなど、一向に衰えを見せることはなかった。
そんな戦の渦中にあった天正六年(一五七八年)三月、信長の下に驚くべき情報が舞い込んできた。
「なに、謙信が死んだだと!」
それは美濃国にいる信長の嫡男、織田信忠から送られてきたものであった。事実とすればまさに望外の吉報である。信長は直ちにより詳細な情報を掴んでくるべく、越後国に間者を集中して送るよう指示した。
「信忠に、いつでも越中に侵攻できるよう軍を整えさせよ。それから謙信が死んだ疑いがあることを、勝家に伝えるのだ」
北ノ庄城で使者から報告を受けた勝家は、盛政を呼び寄せてその内容を告げた。盛政はこの時加賀南部の御幸塚城にあり、敗戦後活発化した一向一揆を押さえつけるため奮戦していた。
「あの謙信が、死んだですと……」
「まだ詳細は得られておらんが、確かなようだ。まこと喜ばしいことよ」
手取川で勝利を収めた後、謙信は加賀国南部まで侵攻し、その支配権をほぼ確立した。冬が迫っていたため一二月に春日山城に引き返したが、すぐに大動員令を発して兵を集め、雪が解け次第行われる上洛の準備は、着々と整いつつあったのである。
勿論勝家としては、この越前国で謙信の侵攻を喰い止めねばならず、連日の評定や各部隊の練兵などに余念なく打ち込んできた。それも相手が上杉謙信だからこその念の入れようであり、二度は負けられぬという逼迫した決意が心身を満たしていたのである。
「我らが何か手を出したわけでもないから誇るわけにもいかんが、これで日々続いた重圧から少しは開放されるわい。上杉家の跡を継ぐのが誰であれ、謙信以上の脅威を与えようはずがないからな。また、これにより加賀侵攻の足掛かりも得られよう。……どうした、あまり嬉しそうではないな」
盛政は押し黙って俯きながら聞いていた。僅かに肩を落としてもいた。幾ばくかの沈黙が続き、ようやく盛政は顔を上げた。
「我が織田家にとって大きな障害の一つが除かれるのです。喜ぶべきところなのですが……」
「自分にとっての大きな目標が失われてしまった、ということか」
「目標というほど健全なものではありませんが……。やはりもう一度戦って、武勇を競いとうございました」
「やはりお主は武人よな、盛政。どこまでも勇を欲する生粋の武人。だがそれこそがお主の価値かもしれん」
「そんな大層なものではございませんよ伯父上。手取川の借りを返せず、勝ち逃げされて悔しいだけです」
自分の城に戻った盛政は、晩飯時に虎姫に謙信の死を伝えた。虎姫の反応は盛政よりずっと直接的だった。
「なんで、なんで死んじゃったの! 待ってるって言ったのに。虎が強くなって討ち取るはずだったのに!」
泣き出さんばかりである。今やすっかり焼き魚が大好物になったトラも、口を止めて顔を上げた。
「なんで死んだんですか。どなたかに負けちゃったんですか」
「詳しいことは分からんが、病に倒れたそうだ」
「あんなに強い人でも、病気で死んじゃったりするんですねぇ」
「ああ、強い。本当に強かった。あの男と戦い続けることができれば、わしもどれほど強くなれたであろう……」
盛政はそれ以上しゃべらず黙々と飯を食い、虎姫は悔しさに歯噛みしながら俯いたままである。猫としてここに住み着いて以来初めて、トラは盛政と虎姫の沈んだ姿を見ることとなった。
信長は謙信死後の越後の情報をつぶさに集め、家督争いで上杉家が真っ二つに割れていることを掴んだ(御館の乱)。この絶好の機を逃すはずはなく、織田家に庇護を求めて京都に入っていた神保長住に兵を与え、即座に飛騨から越中国に送り込み制圧を開始した。
最初に越中から侵攻を開始したのは、上杉家の勢力下にある越後、越中、能登、加賀の連鎖を断ち切り、越後本国と能登、加賀を完全に分断するためである。
神保長住は元々越中守護代の家柄であり、親上杉派であった父 長職の下から出奔して、信長に仕えながら越中国統治者として返り咲く日を望んでいたのである。神保家自体は、二年前の上杉謙信による越中国侵攻で滅亡しており、信長としては旧神保家臣および越中 国人衆の糾合を狙えると踏んでの人選であった。
長住は信長の期待にある程度まで応え、越中国で味方を増やし城を攻略したが、それでも情勢は上杉側有利で、戦線は膠着状態になりつつあった。
長住の力ではこれ以上の進展は望めないと判断した信長は、武力による完全制圧を決心し、九月に織田信忠付筆頭家老である斎藤利治を総大将とした援軍を派遣した。斎藤利治は斎藤道三の末子にあたり、智勇兼備の良将として信長の信頼も厚い。
利治は越中南部に入るや城を一つ落とし、先にいた神保勢にその城の守備を任せ、そのまま北進して越中上杉軍の中核となる今泉城を攻め始めた。苛烈な攻撃を重ねたが城の守将 河田長親、椎名小四郎はこれをよく防ぎ、なかなか崩せそうにない。
このまま篭城戦になって長期の睨み合いになると、越後の内紛が収まって付け込む好機を逃してしまうかもしれない。なんとか短期決戦で勝利を得たい利治は一計を案じた。
一日、激しく城攻めを行い、火攻めまで実施してそれが失敗に終わると、利治は軍をまとめてあっさり退却を始めた。守将の二人は話し合い、これはわざと追撃させる隙を作り、自分達を城から誘い出すための敵の罠だと見抜いた。
しかし、援軍など来る当てのない篭城戦である。ここで敵を見送っても、再度敵が侵攻してくればいつかは落城するであろう。そうならないため、ここは派手な勝利によって織田軍恐るるべからずの印象を近隣に与え、日和見な国人衆を自分達になびかせるよう事を運ぶべきだ、そういう結論に達した。
二人は利治の策にあえて乗り、城のほぼ全戦力をもって敵軍を追った。一方の利治は、道中で敵に追いつかれないよう全力で移動し、月岡野という扇状地まで来るとそこで軍を展開した。上杉軍の二将が到着した時には、互いが正面から睨み合う構図ができあがってしまっていたのである。
まんまと誘い出される結果となった二人は危機を悟ったが、今から城に引き返すと追撃を喰らうのは自分達である。こうなれば前面に活路を見出すしかない。正面きっての野戦が開始された。
平地での戦いは将の采配と兵の多寡がものを言う。時間が経つにしたがって利治の戦巧者ぶりが徐々に発揮され、上杉軍は押され出し、崩れ出し、ついには潰走した。利治は手を緩めることなく追撃し、この戦いのみで敵兵三百六十を討ち取った。
更にこの戦いの最中に、留守同然となっている今泉城は織田軍に投降した国人衆 斎藤信利、信吉兄弟により占拠され、河田長親と椎名小四郎は帰る場所を失って越後国に落ち延びていった。織田軍の完勝である。
上杉軍相手ということで、手取川での雪辱を大いに果たしたとして信長は喜び、感状を出して利治の戦功を称えた。この戦いの結果、越中国における戦力差は逆転し、織田軍が圧倒的優位に立ったのである。
信長は更に援軍を送り斎藤利治、ひいては織田信忠軍による越中国完全制圧を目指した。上杉家の内紛がまだ続くようであれば、一気に越後国まで攻め寄せて滅ぼしてしまう算段である。だが、信長の弾いたこの算盤はすぐに狂ってしまう。
信長の家臣にして摂津国主である荒木村重が、突如謀反を起こしたのである。折しも織田信忠を総大将とする播磨国制圧軍が毛利家、およびこれまた信長に反旗を翻した別所長治を攻めている最中であり、荒木村重は羽柴秀吉部隊に属していた。
敵味方を逆転させて、自身の居城 有岡城で篭城戦を展開していた村重は、織田信忠のいる加茂砦を襲撃し、信忠こそ逃したものの大量の物資を奪い、砦を焼き払った。これをどうにかせねば信忠が危ないばかりか、播磨国の羽柴秀吉部隊が孤立し、毛利軍に覆滅させられる恐れすらある。
事態を重く見た信長は、斎藤利治に即時の帰還を言い渡し信忠の補佐に回るよう命じた。信忠の筆頭家老である利治に否やのあろうはずがない。こうして織田軍による越中国制圧は頓挫し、依然御家騒動の渦中にありながら、上杉家は最大の危機を回避できたのである。
しかし、それはあくまで越後国が織田軍によって直接侵略される、という事態が回避されたにすぎない。月岡野の戦いで敗れた事実により、上杉家には別の危機が浮上してきたのである。それは上杉勢力下にあった能登、加賀それぞれの国人衆が織田軍に脅威を感じ、動揺し出したことであった。
また、完全制圧が頓挫したとはいえ、越中国は織田軍優位の状態が続いており、越後国と能登、加賀両国との分断はほぼ成立しているといっても過言ではなく、それが動揺に拍車をかけた。
そして天正八年(一五八〇年)三月、長年にわたって繰り広げられてきた織田家と石山本願寺との戦いに、ついに終止符が打たれることになった。信長が提示した和睦の条件を顕如が受け入れ、講和が結ばれたのである。これによって加賀一向一揆は上杉家に頼ることはできず、石山本願寺からは切り捨てられ、完全に孤立する勢力となってしまった。
このように目まぐるしく動く北陸情勢の中、ついに勝家の手元に加賀国を平定せよとの下知がもたらされた。
「ようやく時はきた! 加賀一国は只の通過点に過ぎん。この北陸全土に我ら織田軍の猛威を知らしめてやるのだ!」
勝家を総大将にして盛政、府中三人衆らが続く。目指すは加賀一向一揆の中心というべき要塞、尾山御坊である。
「加賀は統治する力をもった大名がおらず、一向衆がそれぞれ石山御坊より指示を受けて動いておった、小勢力が割拠した国だ。頭を潰せば周りが降伏する、ということはまずないであろう。よって数ある抵抗を、全て力でねじ伏せる必要がある。無論敵も死に物狂いで抵抗するであろうが、こちらも総力をもって叩き潰すのだ!」
総勢一万五千の兵は加賀国をどんどん北上した。この頃には加賀国南部の一向一揆は盛政によりほぼ押さえつけられており、点在する砦は勝家により焼き払われていった。組織立った大きな妨害もなく織田軍は手取川を越え、尾山御坊が見える位置まで進むと、半包囲する形で陣を敷いた。
翌日には総攻撃が開始され、織田軍は三方から襲い掛かった。これに対し一向衆は各 櫓や城壁からの弓、鉄砲で迎え撃った。特に鉄砲の数が多く、織田軍は城壁に近づくことすらままならない。更に尾山御坊周りの各寺院も一向衆の拠点となっており、それらから受ける被害も軽視できないものとなっていた。
「さすがは加賀の本拠地、やすやすと落とさせてはもらえんな。よし、まずは小うるさい拠点を潰していくか」
勝家は盛政を呼んだ。
「我ら本隊は正面より攻撃を続ける。お主は別働隊を率いて周囲の拠点を攻め落とせ。尾山御坊を孤立させるのだ」
「はっ!」
すぐさま盛政は五千の兵を動かし、特に大きな拠点となっている光徳寺、光専寺、光琳寺(木越三光)の攻略に乗り出した。
「とーちゃん、ここには名だたる武将はいそうにないね」
「確かにな。だが将はいなくとも兵は強い。特に今回はいつぞやの小戦と違って敵の装備も強力だ。油断して敵の鉄砲の的にならんよう気をつけろよ、虎」
「そうですよ。いくら虎姫様が強くても、鉄砲に狙われたら避けようがないんですから、あまり前に出ないでくださいよ」
「ふん。鉄砲なんか、そうそう狙って撃てるものではない。狙いが定まるよりも早く斬り込んでやるさっ」
「それは虎姫様が撃つの下手なだけでしょう」
虎姫は加賀南部で盛政と共に一向一揆と戦っていた時、敵から奪取した鉄砲を一度撃ってみたことがあった。何回撃っても弾は的には当たらず、しかも次を撃つ準備にやたらと時間がかかる。「使い物にならん!」と言って地面に叩きつけ、それ以降鉄砲には見向きもしなくなってしまった。
光徳寺に向かって進む盛政は、前方から向かってくる一軍を発見した。敵が打って出てきたかと身構えた盛政だが、向こうから単騎で武将が駆け寄ってきて一礼した。
「佐久間殿、長連龍です。柴田様率いる織田軍に合流したくやってまいりました」
「おお、連龍殿か」
長連龍は上杉謙信の七尾城攻めで皆殺しにされた長一族の生き残りである。七尾城攻防の際、信長に援軍を頼みに行ったが遊佐続光、温井景隆、三宅長盛の裏切りにより間に合わなかった。以降彼はこの三人への復讐を誓い能登、越中の二国を転戦して上杉家に無視できない打撃を与え続けてきたのである。
「続光めら、こたびの上杉のお家騒動を受けて、上杉家から援助が得られんと悟るとさっさと右府様に泣きつきおった。拙者は散々奴らの降伏に反対したのだが、逆に右府様から叱責を買ってしまいましてな。こうなれば織田軍において武功を立て、もっと発言力をつけてやろうと思った次第にござる」
「はぁ、貴殿の執念は並々ならぬものがござるのぉ」
半ば呆れながら返す盛政。
「とにかく、武略著しい貴殿が加わるのは喜ばしい限り。今我らは敵の砦と化した光徳寺を落とすために進んでござる。共に戦いましょうぞ」
「心得ました。それにしても……」
連龍は虎姫のほうをチラリと見た。
「佐久間殿は、太刀持ちを連れて戦をされるのか」
「これは太刀持ちではござらん。拙者の娘で虎と申す。こう見えてなかなか足手まといにならん程度の腕はありますぞ」
「なんと! 女子でござったか。であればなおのこと、腕が立つというのは信じられん……。誠に失礼ながら佐久間殿、親の欲目というものではござらんか」
虎姫はムッとして連龍を睨んだ。腰袋ではトラが笑いを堪えている。その頭を軽くペシッと叩いておきながら、虎姫は連龍に言った。
「この虎はとー……、父上に従って一向一揆や上杉勢と幾度も太刀を交えております。ご不審がおありなら、今この場で手合わせして確かめられても構いませんぞ!」
「こらこらやめないか。連龍殿、轡を並べて戦っていればすぐ分かりましょう。その時に拙者の欲目かどうかご判断くだされ」
「いやいや、こちらこそ由ないことを申し上げた。気にせんでくだされ」
進軍中、二人から少し離れて歩く虎姫はずっと不機嫌であった。
「まったく。この虎を一目見て腕が分からんとは。連龍殿はとーちゃんが讃えるほどの武将ではないのではないか」
「それは私なんかには分かりませんけど。私は虎姫様が女の子に見えないほうがおもしろかったですよ」
トラはクスクスと笑い出した。虎姫は表情には出さず、無言でトラの頭をまたペシッと叩いた。
光徳寺に到着するとすぐに、盛政は攻撃の指示を出した。敵からはまたしても鉄砲が嵐のように撃ち込まれる。これに対して織田軍は、用意していた竹束を前面に出して、被害を軽減させながら少しずつ前に進む。そして矢が寺院に十分届く距離まで迫ると一斉に火矢を放ち出した。
寺院が焼けては一大事と慌てた一向衆は、門を開いて打って出てくる。これを待ち構えていた盛政と連龍は、それぞれ騎馬百騎で突撃し、敵が拡がり切る前に楔を打ち込んだ。それに後から足軽が続く。
こうなると一向衆は門の前の僅かな空間を確保するために手一杯になり、兵を後から後からそこにつぎ込んでなんとか拡げるよう尽力せざるを得ない。対して織田軍は敵を半包囲する形になり、押し包むように攻撃を仕掛けることができるため有利になる。だが有利はあくまで有利であり、勝利ではない。一向衆はやはり兵として精強であり、押し込む織田軍も必死である。
それでも時間が経つにつれ一向衆に怯みの色が見えてきた。彼らを怯ませたのは、最初に突撃してからその場で縦横に暴れまわる盛政、連龍、そして虎姫の三人であった。三人は疲労する様子も一切見せず、ひたすら襲い来る一向衆を斬り伏せる。彼らの活躍に周りの味方も活気づき、このまま推移すれば一向衆が崩れるのが先か、放たれ続けている火矢によって寺院が炎上するのが先か、という状況になってきた。だがその時、
「後方より、敵の増援がやってまいります!」
光徳寺の危機とみて、光専寺と光琳寺それぞれから援軍が送られてきたのである。道中で合流しその数約五千。後方からの攻撃を受ければ一気に立場は逆転し、織田軍は窮地に立たされてしまう。報告を受けた盛政はすぐに決断した。
「連龍殿! ここは拙者が押さえます。貴殿は周りの騎馬と後方の足軽を率いて敵の援軍に当たってもらいたい。虎、お前も連龍殿に付いて行き、きちんと補佐を務めるのだ」
「分かった、とーちゃん」
虎姫にとって父の命令は絶対である。連龍と虎姫はすぐに馬を反転させ、周りの騎馬が付いて来れるよう道を切り開きながら自軍後方へ進んだ。連龍が控えていた足軽一千を即座にまとめ上げ、虎姫と共に敵の援軍目指して駆け出す。
一方で一向衆援軍は、もうあと少しで織田軍の後背を捉えようとしていた。鉄砲隊が前に進む。野戦での彼らの常套戦法はその鉄砲の物量を活かしたもので、まず敵前面に一斉射撃を行い、崩れたところに一斉に僧兵や足軽が飛び掛かり、相手に立て直す暇を与えずに壊滅させてしまうのである。
単純ではあるが、最初の一撃が恐ろしく強力であるため非常に有効な攻撃となっており、これまでに数々の武勲をたてていた。これを後背に受けては織田軍はひとたまりもなく瓦解してしまうであろう。
指揮を執る門徒らは、戦う前から敵が無様に四散する姿を思い浮かべ、軍を動かす高揚感と勝利を確信した優越感とに浸りきっていた。だがそれは次の瞬間に消え失せ、未来予想はただの妄想に成り下がる。
「前方より敵部隊が突撃してまいります!」
織田軍のほうでは敵の姿を捉えるとすぐに、虎姫が連龍に進言していた。
「連龍様、先程と同様、騎馬にて機先を制してやりましょう」
「いや、それは危険だ。敵の鉄砲の威力は侮れないし……」
そう言いながら、連龍は考えを改めていた。
「いやいや、敵にしてみればこちらの反転を想定していない可能性も高い。とすれば鉄砲もまだ撃てる段階にないはず。……承知した、突撃をかけよう!」
これを受けて一向衆の前衛が門徒らに報告したのであるが、時既に遅かった。
「ば、馬鹿者! なぜすぐに鉄砲を撃たぬ」
不慮の事態が発生した場合、陣頭で的確な指示を出せる武将がいない。ここに彼らの弱点があった。鉄砲隊は一気に距離を詰められてしまい、為す術なく後ろに逃げ出す。更に連龍、虎姫がここでも存分に武勇を披露し、敵が退いてできた空間はすぐに味方によって埋められていった。
「虎殿、先も感心しておったが御身の剣技、真に素晴らしい。どうやら拙者の目は節穴だったようでござる、許されよ」
「はっはっは、分かってくださればよろしいのです。連龍様もさすが父上が讃える将。この戦が終わったら一度手合わせ願いたいものです」
言ってる間にもどんどん敵は押されていく。数は一向衆側が圧倒的に有利なのであるが、最初の手順を狂わされたおかげで混乱し兵をうまく運べない。織田軍の勢いを押し戻そうとするのに必死であり、それも二人の活躍によりうまくいかず、より戦況を見通せなくなっていた。連龍のほうは指揮することを忘れていない。
「足軽を中央に集めて密とし、そこから敵両翼へ攻撃を進めよ」
指示は迅速に実行され、両翼へ押し拡げようとする織田軍。これを止めるため、一向衆が左右に流れる。自然中央が手薄となった。
「よし、虎殿。ここから敵の中央まで突っ込むぞ。後ろでふんぞり返っている坊主どもを叩きのめしてやろう」
「おう、心得た!」
二人が更に奥まで走り出し、周りの騎馬がそれに続く。前方にいる敵は、彼らの障害物にすらなりえなかった。そしてついに二人は豪華な袈裟をまとった一団を発見した。
「あれがこやつらを指揮している坊主に違いござらん。一気にけりを付けよう」
門徒らは敵の姿を見ると即座に命令を出した。
「ふ、防げ、なんとしても防ぐのじゃ!」
叫びながら自分達は馬を返して逃げ出そうとしている。さすがに一向衆は忠実であり、命令を果たすべく果敢に騎馬に立ちはだかる。だが防げと言われただけで防ぎ切れるものではなく、奮闘空しく彼らは倒れていき、門徒らはすぐに距離を詰められた。そして、
「よし、この部隊の頭は討ち取ったぞ。すぐに反転し、後背より攻め敵の一掃に取り掛かれ!」
すぐに次の指示が飛ぶ。騎馬隊は最早すっかり分断された敵の一方に後ろから突っ込み、十分に攪乱した上でもう一方に突き進んだ。これを三往復ほど繰り返す頃には、一向衆は完全に集団としての動きをなしておらず、一部では死兵となって斬り掛かって行く者もあるが、ほとんどは四散した。
敵を一掃し、兵達に少し休憩させておきながら、連龍は虎姫に言った。
「思うに、敵の援軍は光専寺、光琳寺から来たものであろう。であれば今これらは手薄になっているはず。盛政殿といち早く合流し、敵が立て直すより先に落としてしまうべき。しかし……」
言い終えないうちに盛政の部隊がこちらに到着したと家臣が告げに来た。激戦の末、光徳寺は焼き払ったとのことだった。
「おお、貴殿だけで敵の援軍を蹴散らしてしまわれたか。さすがは連龍殿。噂に違わぬ武勇ですな」
「いやいや、拙者の力だけではござらんよ。貴殿のご子息……、いやご子女であったか、虎姫殿の勇躍あればこそでござる。素晴らしい腕をお持ちですな」
「連龍殿に認めてもらえるとは嬉しい限り。虎、足手まといにならん程度には役に立ったようだな」
「うん、とーちゃん」
ここで、連龍は先程の提案を盛政に話した。盛政は大いに頷いた。
「貴殿の言われる通りであろう。そうとなれば善は急げ。もう日も暮れかかっている。すぐに勝負を決めてしまいましょう」
「ただ、兵達には疲れの色が目立ち始めております。あまり急行軍で進んでも、肝心の戦いで体が動かない心配もござる」
「ふうむ。ではこうしよう。拙者は騎馬と少数の足軽のみで先行し、敵の備えを確認しながら牽制を仕掛けます。連龍殿は、残りの足軽を率いて後から来てくだされ」
盛政と虎姫は騎馬数十騎と足軽三百を引き連れて光専寺への道を急ぎ、日が完全に沈む頃目的地に着いた。
「思ったより静かだな。だが油断はするな、我らを引き付けておいて一斉に撃ってくるかもしれん」
盛政は光徳寺攻めと同様足軽に竹束を持たせて前面に進ませ、その後ろを付いて行く。もう敵の射程距離に十分入る距離まで来た。しかし、
「敵からの攻撃が一切ないとは。もしや……」
盛政が感づいた通り、光専寺はもぬけの殻であった。援軍に向かいながら散々に敗れた一向衆は、ここでは抗し得ぬと考え、未だ激しい攻防が続いている尾山御坊に退却していったのである。
「とすれば、もう一つの光琳寺も同じか。よし、我らは光琳寺へ向かう」
盛政は家臣の一人に、連龍へこの光専寺を焼き払うよう伝言を託し、部隊を進めた。睨んだ通り、光琳寺にも敵兵はいなかった。
「ここも焼き払え。敵本隊を孤立させるのだ」
光琳寺から炎が立ち昇るのを確認すると、盛政は来た道を戻る。戻りながら、盛政はしばらく思案していた。程なく、道中で向かってくる連龍らと合流した。
「これで敵はいよいよ尾山に残すのみとなりましたな。我らも本隊に戻って、改めて攻略を練りましょう」
「それなんですが、連龍殿。拙者、まだこの好機は活かしようがあるように思えるのです」
「と申されると」
「今日落とした寺院の兵は、その多くが尾山に逃げ込んだと思われます。奴らにより尾山もすぐに自分達が孤立したことに気づくでしょう。今は伯父上が正面より攻め続けているところ。敵は逃げ込んできた兵を配置し、更に守りを強化しようとするに違いありません。我らは今夜、伯父上らとは反対の裏手より奇襲を仕掛けるのです。日が経てば敵も後ろを備えるかもしれませんが、周りが落ちた今夜の今夜で奇襲を受けるとは思っていないはず」
「なるほど、それは妙案。仮に失敗したとしてもこちらが大打撃を被るわけでもない。やってみましょう」
盛政らは疲れの残る兵達を連れ、尾山御坊の後背に回るよう進んでいった。一方で敵の孤立化に成功したこと、そのまま敵の後背より襲い掛かることを勝家に知らせるため使者を送った。
その頃、尾山御坊において一際大きい声を上げて門徒らに注意を喚起する武将がいた。
「何度言えば分かる! 周りの寺院はことごとく落ちたのだ。落ちたからにはここの裏側は裸同然。敵の別働隊がこちらに回ってくることは十分考えられるではないか。すぐに兵を回し、守備を強化すべきだ!」
この尾山御坊において防衛の指揮をとる将、徳田重清である。彼はこの一向一揆の主要な武将の一人であり、四年前越前国における虎姫の初陣の相手であった。重清は盛政の策を看破していたのである。だが、
「徳田殿の言わんとすることは分かるが、現に今攻撃を受けているのは正門じゃ。それも攻撃は一層激しくなるばかり。少しでも守備を緩めると打ち破られる恐れもあるのじゃぞ。そのように、来るか来ないか分からない敵のために兵を回せるとお思いか」
重清は舌打ちしたい衝動をなんとか堪えた。
「いや、わしの予見では必ず来る。わしが敵将ならそうする。絶対に備えを置くべきじゃ」
「ほう、御身の予見が必ず敵中するなら、なぜ四年前に事を起こした時は成功しなかったのじゃ」
思わず重清は腰の刀を抜くところであったが、これもかろうじて自制した。重清の心情など意に介した様子もなく、門徒らは続ける。
「御身は当てにならん予見を声高に主張するより、さっさと正門に戻って守りに専念するべきじゃろう。こちらには物資が山のようにある。鉄砲を雨のように降らし、織田軍に被害を与え続けていれば、そのうち撤退を余儀なくされるのじゃ。分かったら早々に務めを果たされよ」
重清は歯噛みしながらも逆らうわけにいかず、乱暴な足取りで正門に歩いていった。かくして裏手に兵が回ることはなかった。
夜が明ける前に、盛政らは目的とする尾山御坊の後背に到着した。盛政にとって嬉しいことに、ここらは高台になっている。
「これはいい。ぎりぎりに近づくまで、敵の見張りにも感づかれずにすむ。後は伯父上とうまく呼応するだけだ。それまでは一時休憩だな」
空が白み始めた頃、正門のほうで銃声や喚声が聞こえ始めた。
「よし、我らも動くぞ!」
織田軍は一気に高台を下り始めた。裏手には僅かな見張りがいるのみである。突然現れた敵に、彼らは為す術がなかった。さしたる抵抗を受けないまま、裏門が破壊されていく。
「な、なに! 裏手に敵が現れただと。まさか……」
門徒が報告を受けたのと、裏門が破壊され織田軍が雪崩れ込んできたのとはほぼ同時であった。中枢にいた彼らが表に出た時、盛政、連龍、虎姫を先頭にした敵の群れが差し迫ろうとしていた。
「正門の兵を全部こちらに回せ! 敵を押し返すのじゃ!」
すぐに正門で指揮を執っていた重清に伝えられた。
「兵を全部後ろに回せるか! そんなことをすれば今度は正面より雪崩れ込んでくるわ。くそ坊主どもめ。だから言わんことではないのだ!」
だが重清も自分の先見を誇るわけにもいかない。直ちに正門の兵のおよそ半数をまとめ上げ、殿堂向かって駆け出した。そしてすぐに、殿堂へと向かう最後の門を前に戦っている織田軍を発見した。
「ここより先は通させん。かかれい!」
激しい戦いが始まった。最初は連戦を続け、疲労が溜まっている織田軍のほうが不利であった。一向衆の勢いに徐々に押されていく。
「えーい、不甲斐ない! ここで味方が押し戻されたらとーちゃんの策も水の泡ではないか。この虎が蹴散らしてやる!」
虎姫は単身馬を返し、敵味方がぶつかり合う場所に身を躍らせていった。
「なな、なんてことするんですか! 危ないですから早く戻ってください!」
「案ずるなトラ。このような雑兵に討たれる虎ではないわ。それより、こやつらの指揮を執っている者が、また何の手応えもない坊主でないことを祈っていてくれ」
自信満々に敵を斬り伏せていく。周りの味方は活気づき、姫に負けじと攻勢は強くなっていった。
「ええい、埒があかん! わしが出て敵を崩してくれる」
思うように敵を押し込めないことに焦れて、重清が前に出てくる。するとすぐに、前面で一向衆をバタバタと倒す小さな武将が目に入った。
「おお、あやつは!」
四年前に自分が遅れを取った相手であることを、重清は一目で理解した。
「もうあの時のような不覚は取らん。今度こそ討ち取ってくれる」
猛然と走り込んで虎姫に撃ちかかった。突然打ち込まれた強烈な一撃をなんとか受け止めて、虎姫は相手のほうを見た。
「おお、身なりからして名のある将と見た」
「わしを忘れたか。四年前に貴様と戦った徳田重清だ」
「おお、あの時の武将か。お主がこの部隊の指揮を執っているのか、これは喜ばしい。見事虎の手柄首となってくれ」
虎姫は馬を降り、重清と正対した。両者の剣撃が交わされる。この四年間で重清も戦を重ね、強くなった。だが、今がまさに伸び盛りの虎姫の四年間には及ばなかった。重清が相手の力量をはっきり認めたのと、その重清の首が胴から離れたのは、ほぼ同時であった。
「佐久間 玄蕃が一子虎姫、一向一揆の将徳田重清を討ち取ったり!」
これを境に戦いの行く末は決まった。明らかに怯んだ一向衆に、虎姫の後ろから飛び出してきた盛政が一気に突っ込む。
「あ、あれは鬼玄蕃だ」
一向衆の間から畏怖の声が漏れる。敵に襲い掛かる際には自分の命をものともしない彼らも、この状況で自分達相手に勇名を馳せた男を見ることは、敗北を目の前に突きつけられるのと同じ意味を持っていた。一向衆は潰走し始めた。
「逃げる者は放っておけ。我らは正門へ向かう」
その間に連龍指揮の下最後の門が破られ、中枢の門徒らは全て捕らえられた。程なくして、正門から迎え入れられた勝家ら本隊の武将達が入ってきた。これにより、尾山御坊は織田軍の手に落ちたのであった。
「盛政、それに連龍殿、よくやってくれた。今回はひとえにお主らの活躍あればこそだ。後処理はわしらに任せて兵ともどもしばらく休むがいい」
「そうさせていただきますよ伯父上。たった一日とはいえ、かなりの強行軍になってしまいました」
ついに念願の敵将を討ち取って、虎姫はすこぶる上機嫌であった。
「見たかトラ、この虎の剣技を。やはり勇敵と太刀を交えて破ることこそ武士の誇り」
「私は虎姫様にこんな血生臭いことしてほしくないんですけどね。ホント今さらですけど……」
「血生臭い? 敵を斬れば血が出るのは当たり前のことではないか。おかしなことを言うなぁ、トラは」
虎姫は無邪気に笑った。四年以上この時代にいて、トラは虎姫の、というよりこの時代の人々の概念や価値観を、ある程度までは理解できるようになっていた。それでも、自分が慕う人にはできるだけ危険なことをしてほしくないのであった。
「でも、そうすると虎姫様らしくなくなっちゃうし、あの方の嬉しそうな顔を見るのが大好きだし、難しいですねぇトチガミさん」
“私はもうこうなれば虎姫には活躍できるところまで活躍してほしいですけどね。盛政様のお役にも立ってるみたいですし。それに、あともう少しは盛政様に従って戦に出ていてもらいたいのです”
休憩が終わると、尾山御坊内で軍議が開かれた。
「これで加賀の主な一向宗は殲滅した。……と言いたいが、そうではなくなった。捕らえた門徒の話によると、手取川を上った先の白山麓に鳥越城なる堅固な山城があり、そこに一向衆の中でも特に精強な、山内衆と呼ばれる一軍が立て篭もっているそうだ。しかもそれを率いるのは雑賀衆の鈴木重泰という男だ」
「雑賀衆ですと。それはまた厄介な相手ですな」
「ああ、雑賀の者は皆鉄砲の手練揃いだ。ましてこれは一向一揆。大量の鉄砲を保有しているとみてまず間違いあるまい」
「勢いに任せてこのまま攻めると、手痛い反撃を受ける恐れがありますな。いかがいたします」
「この加賀北部まで侵攻して拠点はあらかた落としたものの、我が軍の補給線は伸び切っておる。万が一分断されるようなことになれば、我らはここで日干しになってしまう危険がある。その鳥越城には間者を放って詳しく調べさせるとして、加賀を恒久的に統治できるよう整えていくことを第一としよう」
勝家がまず着手したのは、今いるこの尾山御坊に城を置き、加賀国統治の中心とすることであった。ここをしっかり掴んでおけば、国内でまだ起き得る一向一揆に十分対処が可能となり、何よりも能登、越中国を攻める際の最重要拠点として機能する。家臣達もこれを諒とし、整備は着々と進んでいった。
六月になった。盛政は尾山御坊跡に築く城をより堅固にすべく、日夜現場に訪れて監督を行っていた。そんな彼に勝家から呼び出しがかかる。
「例の鳥越城だが、むざむざ放置しておくわけにもいかなくなった」
勝家の調べによると、鈴木重泰はちりぢりになった一向衆を糾合し、一軍として訓練を行っているということである。だが理由はそれだけではなかった。
「お主、教如について知っておるか」
「教如といえば、あの顕如の息子ではございませんか」
「そうだ。どうも鳥越城には奴の影があるみたいでな。鈴木重泰や山内衆を裏から焚きつけているらしい」
この年の三月に顕如は信長と講和を結び、大坂から退去した。しかしその息子の教如は降伏に等しいそれを認めず、徹底抗戦を表明し、石山御坊にそのまま居座っていたのである。更に教如は、北陸の一向一揆勢力に一斉決起を呼びかけていた。加賀国においては尾山御坊なき今、決起する場所はこの鳥越城より他になしというわけであった。
「そういうわけでな、教如めの陰謀を阻止するためにも、早急に鳥越城を落とさねばならん。まだ敵は二千から三千余りの勢力。お主に五千の兵を預けるゆえ、すぐに出立してくれ」
なお、尾山攻めで盛政と共闘した長連龍は、この時期には勝家の援護を受け、七尾城奪還のため能登国へ出立していた。
盛政は側近らに出兵を告げ、二日後には鳥越城へ向け進軍を開始した。手取川を遡る形で行軍し、目的とする場所に到着するとそこに陣を敷き、盛政は虎姫と共に城周りの地形を見に行った。
「これは、また何とも厄介な場所に築いてくれたものだ」
盛政が吐息をつくのも無理はない。鳥越城は手取川、大日川の二本に挟まれた丘陵地にあり、すぐ背面は急勾配の山である。
「正面より攻めるしか手はないか……」
陣に戻った盛政は側近らと協議したが、さしたる妙案は出てこなかった。
「とにかく一度攻勢をかけてみて、敵の出方を見てみるか」
翌日、盛政は陣に一千の兵を残して、手取川に沿って進軍した。さほど進む間もなく、物見が帰ってきた。
「前方より敵軍です!」
「ほう、打って出てきたか。これは好都合」
敵の数は約三千。見たところほとんどが足軽である。突撃をかけようとした盛政であったが、すぐに手を下ろした。敵の最前列に、鉄砲隊の姿が現れたからである。
「出てきたな。およそ五百挺といったところか、さすがに多いな。竹束を前に出せ!」
盛政は最前に竹束を並べ、ジワジワと敵との距離を詰めていった。敵側から一斉射撃が始まる。竹束はあっても完全に防げるわけではなく、銃声が鳴り響くたびに十数人の兵が倒れていく。
「まだだ、もう少し近づけ。飛び出せる距離まで近づいたら、敵の弾込めの瞬間を狙うのだ」
辛抱強く織田軍は敵ににじり寄る。敵からは規則正しい間隔で射撃が続けられる。そして、互いの距離が百歩に満たないところまで来た時、
「今だ、突撃せよ!」
盛政の号令一下、騎馬、足軽共に敵目掛けて躍り出た。だがこの時盛政は、敵が余りにも規則正しく間を置いて撃ち続けることに疑問をもつべきであった。さも飛び出す好機を狙えといわんばかりの一向衆の攻撃に、盛政はまんまと釣られてしまったのだ。
「な、なんだあの構えは」
織田軍が竹束の前に出る寸前、鈴木重泰は合図を出した。すると、先程まで撃っていた鉄砲隊各人の周りにそれぞれ三人の兵がつき、一 挺の鉄砲を四人で撃つ体勢ができあがった。盛政はその異様な光景をいぶかしんだが、ここで止まってもそれこそ的になるだけである。前に進むよりなかった。盛政の予測より数倍早く、敵の一斉射撃がきた。障害がないため先程より数倍の兵士が倒れる。
「次の弾込めが終わるまでには敵に辿り着けるはず」
盛政はそう読み、突撃命令は取り消さなかった。しかしまたしても、盛政の予測の何分の一かの時間で一斉射撃が始まり、また何十人かが倒される。
「こ、これでは敵に斬り掛かる前に、我が軍が半身不随になってしまう。……くっ、止むを得ん、退け!」
盛政が退却を指示し、全員が反転するまでにもさらに二回の射撃を受け、織田軍はほうほうの体で逃げ出した。敵の主力が鉄砲のため追撃の手は来ず、なんとかそれ以上の被害を出さずに帰陣することができたが、この野戦で織田軍の死者は二百を超えた。対して一向衆の被害は皆無である。完敗であった。
「それにしても解せぬ。なぜあんなに早く鉄砲を撃てるのだ。我らが設楽ヶ原で用いたような段構えでもなかったというのに」
頭を悩ませる盛政。側近らも見当もつかずに考え込んでいる。
「とーちゃん」
「なんだ虎、今は軍議中だぞ」
「とーちゃん、ちょっと人払いをしておくれ」
盛政は怪訝な顔で虎姫を見つめたが、その目に言わんとするものが湛えられているのを見て取ると、軽く頷いた。
「よし、そち達は少し休んでおけ」
側近らが退出するのを見届け、盛政は口を開いた。
「で、どうしたのだ虎」
「トラが、敵が鉄砲を早撃ちできる仕組み分かったんだって」
「何、アヤカシが解いたというのか」
「解けたって程のことじゃないんですが、虎姫様が盛政様のすぐ傍に行っちゃうもんで、敵の鉄砲がよく見えちゃうんです。すっごい怖いんですけど。えーとですね、通常は鉄砲を撃つために、まず火薬と弾を込めて、次に火皿に口薬(細かい火薬)を入れて火蓋を閉じ、それから火縄を火挟みに取り付け、狙いを定めて火蓋を切り、最後に引き金を引きますでしょう」
「そのとおりだ。よく詳しく知っておるな」
「虎姫様に付き添って訓練とか見てたもので。あと町外れで職人さんとかにも詳しく教えていただきました。虎姫様はあまり興味がなさそうでしたけど。それでですね、今回の敵は四人一組で鉄砲を扱っていたんです。一人が弾を込めて、一人が火皿に火薬を入れ、一人が火縄を取り付けて、一人が撃つといった形でした。こうすれば、一人で準備するよりずっと早く鉄砲を撃つことができます」
話を聞いて盛政は素直に感嘆の声を上げた。
「なるほど、そういうことか。なんと修練された鉄砲隊だ。その仕組みは分かったからといってすぐに実践できるものではない。さすがは世に聞こえた雑賀衆。恐るべき敵よ」
「そうか、鉄砲もそうすればあんなに早く撃てるのか。敵ながら天晴れ。それでどうするのとーちゃん」
「アヤカシに仕組みを解いてもらったのは感謝するが、それに対抗する手立てが浮かばん。少し考えるとしよう」
だが敵は盛政にゆっくり考える時間を与えるつもりはないらしい。数日後、今度は一向衆のほうからこちらに向かって進軍しているという報告が入った。外は雨が降っていた。
「このような時に向こうから出てくるとは。先の勝利で驕ったか」
盛政はすぐに兵を引き連れ、自陣近くの平地で待ち構えた。
「雨中では鉄砲は使えん。近接戦となればこちらのものだ。先日の屈辱を晴らしてくれん!」
敵の姿を捉えると、盛政と虎姫は先頭に立って突撃を開始した。騎馬、足軽がそれに続く。敵はピタリと止まり、前に鉄砲隊が現れて列を組んだ。そして、
「馬鹿な! この雨で鉄砲が撃てるだと。まさか……」
だがそのまさかであった。鈴木重泰が手を振り下ろすと、それを合図に「撃て!」の叫び声が響き渡り、その数倍の轟音が鳴り響いた。この鉄砲は火縄が少々の水でも消えないよう木綿製で、更に特殊な薬を染み込ませており、また火蓋の周りを囲むように皮製の傘が備え付けられ、水の浸入を防いでいた。たちまち先日の戦いが再現された。
「い、いかん。退け!」
前回の敗戦に懲りた盛政は、即座に退却命令を出した。しかし雨中であることが災いし、命令が徹底されるまでに時間を費やしてしまい、右往左往する内に味方はどんどん撃ち倒されていく。この戦いの戦死者は四百人近くに上った。そしてまたもや敵の被害は零である。
「なんとまずい戦をしてしまったのだ。これでは伯父上に合わせる顔がない」
なんとか兵をまとめ上げると、盛政は総退却の指示を出した。これ以上ここで戦っても勝ち味はないと判断した上でのことである。何の収穫も得られず尾山御坊跡まで帰還した盛政は、仔細を勝家に伝え陳謝した。
「数多の兵を無為に死なせてしまい、面目次第もございません。いかようにも処罰してくだされ」
「勝敗は兵家の常だ。一敗ごとに処罰されていたら、わしも手取川の折に首と胴が離れておるわ。その無念を忘れずに、次の戦に活かすよう精進するがよい。一つの敗北は一つの勝利で補えばよいのだ」
「ははっ。かたじけのうございます」
「それにしても雑賀衆、それに山内衆か。思った以上に厄介な相手のようだな。数で押したいが、今の状況では我が軍から多くの兵は回せん。かといって加賀の山城一つ落とすのに右府様におすがりするわけにもいかんしな」
勝家は家臣らと話し合い、ひとまずは手取川の下流域を封鎖し、一向衆がこれ以上鳥越城に集まるのをできるだけ阻止することとした。一方で鳥越城に和睦の使者を送り続け、城内で意見の対立や分裂が起こるよう謀っていく。盛政は尾山御坊跡で城普請を行いながら、それらの策を指揮することとした。
八月に入ると事態は大きく進展した。
「教如が大坂を出たぞ。紀州に下っていったらしい。石山御坊は焼き払われたようだ」
教如はおよそ五ヶ月にわたって石山御坊に立て篭もっていたが、頼みの綱の毛利家は動きが悪く、反対に信長の圧力は日増しに大きくなってくる。信長が取り込んだ公家からの説得もあり、ついに開城して先に出た顕如を追う形で落ちていったのである。
これにより一向一揆は確たる司令塔を失った状態になり、他の勢力と連携を取るのが非常に困難となってしまった。
「この事実を鳥越城に知らせるのだ。連中のほうでも調べるだろうが、すぐに自分達が孤立したと分かるであろう。あっさり和睦開城までもっていけるかもしれん。わしは右府様に使者を送る」
「うまく彼らを降伏した暁には、是非ともあの鈴木重泰を取り立てたいものですな。あの鉄砲の技術を我が軍に取り入れとうございます」
盛政は直ちに使者を送り、鳥越城に正確な情報を与えてやった。これは大きな効果を生み出し、一一月、ついに一向衆は降伏開城する旨を盛政に伝えた。
「伯父上やりましたぞ。これで加賀一国の統治は成ったも同然」
「……そうか。だがこちらはお主にとって良くない知らせだ。鳥越城の指導者は全員斬れとの下知を受けた。読んでみよ」
勝家は信長からの書簡を渡した。そこには対等な講和は論外、降伏すら許さぬ、一向一揆首謀者は和睦に事寄せおびき出し、全員処断せよといった内容が並んでいた。
「伯父上、これは……」
「迷うでないぞ盛政。右府様のご意向がそうなら、それに従うのが我ら家臣の務め。武によって天下を平定する大望に、我らが泥を塗るわけにはいかん。分かるな」
盛政は俯いたまま黙っていた。
「お主はまだ割り切って事を謀ることはできなかろう。首謀者を処断するのはわしがやる。その代わりお主には、その後すぐさま鳥越城に進軍し、これを落とす方をやってもらう、よいな」
「……ご下命、謹んでお受けします」
暗鬱たる面持ちで盛政は持場に戻り、側近らに近く出兵することを伝えた。彼らは「今度こそ勝つ!」という意気込みに高ぶりをみせた。虎姫もそうであったのだが、元気のない父の姿が目につき心配であった。
「大丈夫だよとーちゃん、次こそきっと勝つよ」
「ああ、勝つであろうな、必ず。わし自身の武略によってではなくな」
虎姫は何か続けようとしたが、父の表情を見ると口に出すのをはばかられてしまい、何か悩みがあるのだろうと察して大人しくした。戦の準備が進む中、和睦が松任城にて執り行われることを盛政は聞いた。手取川の戦いにおいて謙信が拠点とした城である。一向衆からは鈴木重泰とその息子達、山内衆の首領格ら総勢十九名がやって来る。
それから三日して盛政に鳥越城攻略の命令が下り、これによって計画の成功を知ることとなった。その間盛政は松任城に行くことはなかった。自分を二度も敗退せしめた鈴木重泰に、本来なら一言なりと語り合いたかったのであるが、謀略によって勝利を盗もうとしている自分に、面と向かう資格はないという気持ちが働いていたのである。
命令を受けた時、盛政は誰にも気づかれぬよう密かに黙祷を捧げ、それから出陣の太鼓を打ち鳴らさせるのであった。
盛政は再び五千の兵を引き連れ、鳥越城目指して進軍した。前回とは異なり、城から打って出てくる様子はなく、織田軍は鳥越城を半包囲した。
「よし、三方から一斉にかかれ」
鳥越城からは鉄砲と矢の苛烈な反撃があったが、前面に来る敵を追い返すような攻撃で狙いどころが定かではなく、火力も拡散してしまい織田軍にさしたる被害を与えることができない。
盛政はそれをすぐに見て取ると、一方向からの攻撃を密にし、時間が経って敵がその個所の守りを強化した頃、反対方向からの攻撃を指示した。すぐに門が打ち破られ、突入した兵が別の門を開け、そこからも味方が雪崩れ込む。たった一日で鳥越城は陥落した。
「何と呆気ない。将がいないとこんなものか」
戦いは織田軍の圧勝で終わり、虎姫や側近らの明るい声が耳に入ってくる。盛政は軽く首を振ると気持ちを切り替えることとし、すぐに後処理の指示を出し始めた。
数日して織田軍は帰ってきた。盛政はすぐに勝家に報告に行く。
「こたびのこと、右府様は大変お喜びだ。これでようやく加賀一国を手に入れたのだからな。わしとしてもようやく面目を施した気分だ。ここを取るのに四年以上かかったのだからのぉ」
「本当に、長い戦いになってしまいましたなぁ」
「勿論これで終わったわけではないぞ。次は能登と越中だ。両国とも楔を打ち込んだ状態にはなっているが、それらを足掛かりに着々と制圧を進めなければならん。そのためにここを一大侵攻拠点にする必要があるのだ。そこでな」
勝家は言葉を区切り、傍に置いてあった書面を盛政の前に広げた。
「盛政、お主をこの加賀国の領主とする。今取り掛かっているこの城を居城とし、国の治安は元より、いつでも外征が行えるよう軍備を整えておくようにせよ」
「せ、拙者がこの国を治めるのですか。前田殿や佐々殿ではなく」
「いや、この加賀平定に並々ならぬ武略で尽力してくれたお主であればこそだ。ここの一向衆に睨みを利かせるのはお主をおいて他におらん。利家らも賛同してのことよ。それにな、わしとしてもこの最前線は最も信頼のおける者に任せておきたいのだ」
勝家は明言しなかったが、府中三人衆は信長直属の家臣、いわば序列こそあるものの勝家の同僚であり、部下ではない。越前国を平定した当初から、彼らは勝家の補佐として府中を与えられ政務や戦を行ってきたが、別の側面ではその勝家に対する目付の役目を担っていた。そういった事情も手伝って、勝家は盛政を是非にと推挙し、信長もそれをよしとしたのである。
こうして盛政は一武将から一躍 大身となった。それから間もなく城は完成し、尾山城と名付けられた。なおこの城は後に前田家に引き継がれ、その名を金沢城と改めることになる。
「おめでとうとーちゃん」
「おめでとうございます、盛政様。これからはお殿様とお呼びしなければいけませんね」
「これまで通りでいい。それにしても、一国の主になってしまったからには、政にも気を配らねばならん。わしは戦で武功を立て、伯父上の役に立つことのみ考えているほうが楽だったのだがなぁ」
盛政は具体的な政務は勝家から新たに配属された家臣に任せ、無理な取立てや弾圧をさせないよう目を光らせるに留めた。戦続きであったこの地に、織田家の統治を受け入れさせていかねばならない。特に加賀は長い間有力大名による支配を拒み続けてきた国であるだけに、より一層骨が折れる所業となりそうであった。




