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第二章  手取川の戦い

 天正(てんしょう)四年(一五七六年)九月、北ノ(きたのしょう)城。評定(ひょうじょう)の間にて居並ぶ家臣を前に、柴田勝家は静かに言葉を発した。

「謙信が動き出した」

 家臣達に動揺の色は見られない。ついにきたか、という共通の認識と覚悟が彼らの顔を険しくするのみである。前回の小戦の後、主君信長からの通達で上杉謙信と顕如の間で和睦が進められているのは確実のものとなった。その後も勝家が放った間者の情報から、謙信が越後(えちご)から西に向けての大規模な軍事行動を整えていることを掴んでいたのである。勝家が続ける。

右府(うふ)様によると、顕如は足利(あしかが)義昭(よしあき)の命により、武田信玄亡き後 頓挫(とんざ)していた、我が織田家に対する包囲網を再び完成させようとしているとのことだ。そのため謙信に京への上洛(じょうらく)を促している」

 五年前、室町幕府将軍足利義昭の発令により構築された信長包囲網。浅井(あざい)朝倉(あさくら)三好(みよし)六角(ろっかく)といった信長近隣の諸大名や石山本願寺の一向勢力、更には『巨獣』武田信玄を加えて、それは完成の一歩手前まで迫ったのである。武田信玄が東海から京に向けて進軍中に病没したため、当時の織田家は最大の危機をなんとかくぐり抜けることができたのであった。

 その後信長は足利義昭の立て篭もる二条(にじょう)御所(ごしょ)を攻め、義昭を追放し、ここに室町幕府は滅びた。だが義昭は形式上はまだ征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)であり、信長打倒の野望は潰えていなかった。義昭は毛利(もうり)家の庇護(ひご)下にありながら、各大名に御内書(ごないしょ)を出して再び包囲網を完成せんと企てており、実のところそれはほぼ達成されつつあった。

「言うまでもないが、謙信は信玄に匹敵する強敵だ。これが京に雪崩(なだ)れ込めば、石山本願寺、中国の毛利や宇喜多(うきた)と呼応して織田家を押し潰さんとすること火を見るより明らか。よって我らは謙信の侵略をなんとしても喰い止めねばならん」

 一同の顔が更に険しくなる。

「既に上杉軍は越中に侵攻し、富山(とやま)城を始め数城を攻め落とした。残るは蓮沼(はすぬま)城があるばかりだが、これも時間の問題であろう」

「まさに怒濤(どとう)の勢いですな。毘沙門天(びしゃもんてん)の旗の向かうところ敵なしとはよく言ったものです」

 前田利家が口を開く。利家以外の者が口にすれば臆病の(そし)りを免れない台詞である。勇将である彼なればこその、敵に対する賞嘆の言葉であった。勝家は苦笑しつつ続けた。

「幸いというべきか、謙信と顕如が全面的に同盟を結んだわけではないようだ。右府様からその旨のお達しも受けておる。顕如はあくまで謙信への恒久的な敵対を止めただけで、双方で(よしみ)を結んだわけではないとな」

「とすれば、上杉軍と一向衆が連携して攻め込んでくる危険は少ないということですな」

「今のところはそう考えておいて差し支えなかろう。謙信が京に上洛するまで、一向衆に大きな動きはないと読んでおる。動けばこれ幸いと謙信に叩き潰されるからな。したがって我らは当面の敵を上杉謙信と定め、全霊をもってこれを打ち砕くのだ」

 防ぎきるではなく打ち砕くとは伯父上らしい。盛政は誰にも気づかれぬよう一人心に頷いた。勿論自分自身も望むところの気構えである。

「越中が終われば次は能登(のと)に出てくるであろう。決戦の時は近いぞ。皆、以前にも増して余念なく戦準備を整えよ!」

「ははーっ!」

 座して深く頭を下げる家臣を見回し、勝家は盛政に声をかけた。

「どうだ盛政よ。上杉謙信こそ勇敵の中の勇敵。不足はなかろう。今度こそ『(おに)玄蕃(げんば)』の名を誇り、上杉軍に知らしめてやるがよい」

「元よりそのつもりでござる。ついでに家中第一の鬼の称号、伯父上より奪い取ってみせますよ」

「はっはっは、それは楽しみだ」

 その言葉を合図に散会となり、その日は各人自分の家や所領へと帰っていった。

 盛政が家に入ると、いつものように虎姫が飛び跳ねてくる。

「とーちゃん戦か!」

「戦はまだだ。それよりも虎、もう文字は一通り読み書きできるようになったのか? 作法についてはどうだ、ちゃんと学んでいるのか」

「勉強おもしろくないんだもん……」

 シュンとした虎姫を見下ろして、盛政は軽く溜息をつく。どこまでも父に似おるわい。まぁそれでも、あのアヤカシがここに居ついて以来、きちんと座って教育を受けるようにはなった。以前は捕まえて座らせるだけで一日の大半を使ってしまい、半ば(さじ)を投げられていた状態だったからな。盛政はそういう点ではトラに大いに感謝していた。

「嫌いなものはゆっくり学べばいいさ」

 虎姫の頭をなでながら歩き出す。どこまでも娘には甘い父であった。

 一方トラは、縁側でのんびりくつろいでいた。

「いやー、やっぱりいつの時代も家猫っていうのはいいものですねぇ。こうやって日に当たって寝転んでいるだけで、こんなに幸せを感じられるとは」

“何を呑気なこと言っているんですか。大戦の影はそこまで迫っていますよ。それに、せっかく盛政様に虎姫が町に出回っていいという許可を頂いているんだから、ちゃんと面倒見てもらわないとダメですよ”

「分かってますよぉ。でも町出ても、虎姫様危ないとこばっかり行くんだもん。こっちは生きた心地しませんよ。せめて家にいる時ぐらい、命の洗濯をさせてくださいよぉ」

「トラ、町に行こう!」

 トラの耳に虎姫の声が、そして目に虎姫そのものが同時に飛び込んだ刹那(せつな)。トラは半ば拉致されるように抱え込まれて玄関まで連れて行かれた。

「今日はどこを探検しようかのぉ、トラ」

「もう、知らない野武士の人に付いて行ったり、荒れ果てたお寺を散策したりとかするのはやめてくださいよ。あと、職人さんの集落とかに行くのも禁止です」

「えー、おもしろいのに」

「何回か殺されかけたじゃないですか! 大人しく縁日とか市場を見て回る程度にしておいてください」

「はーい」

 絶対言うこと聞く気ないよこの方……。トラはほとんど諦めたようにうなだれ、深く溜息をつくのであった。そしてその頭上では、同じように深く溜息をつく気配がするのであった。



 同年一一月、越中国を平らげた上杉謙信は能登国(のとのくに)に侵攻した。熊木(くまき)城、富木(とぎ)城といった諸城を次々と攻め落とし、その月のうちに能登国当主 畠山(はたけやま)春王丸(はるおうまる)が立て篭もる七尾(ななお)城を包囲したのである。城内は騒然とし、降伏派と抗戦派がそれぞれの主張を譲ろうとせず、まとまらないこと(はなは)だしい。

 畠山春王丸は(よわい)五つの傀儡(かいらい)君主であり、実権は重臣長(ちょう)続連(つぐつら)が握っていた。そしてこの続連は織田家と誼を通じており、声高に徹底抗戦を叫ぶ筆頭である。

「ここで謙信に膝を屈すれば、我が畠山家はこれより永劫(えいごう)上杉家の一家臣じゃ。ここは織田家に援軍を申し入れ、共に上杉軍を駆逐し、御家の独立と繁栄を計るべきじゃ」

 対する降伏派の筆頭は、これも重臣である遊佐(ゆさ)続光(つぐみつ)である。

「そんな先のことを悠長に言っている場合か。今目の前にいるのは織田軍ではなくて上杉軍じゃ。戦の天才と呼ばれる謙信に、お主どうやって打ち勝つつもりじゃ。ここは一時伏()して機を待つべきじゃ」

「この七尾城は難攻不落の要害じゃ。謙信といえどもそう簡単に攻め入ることはできんわい。攻めあぐねている間に織田の援軍がくれば、前後から挟撃できるではないか」

 結局現時点での権力差が物を言い、七尾城は抗戦の構えを強化した。だが一致団結というわけにはいかず、内部に不満を抱え込んだままの戦になりそうであった。

 一方攻める側の上杉謙信は、長続連の言ったとおり七尾城を攻めあぐねていた。

「さすが噂に名高き堅城。力攻めはこちらも相当の被害を出しそうだ。無視して後方を(さら)すわけにもいかんし。さて、どうしたものか……」

 直江(なおえ)景綱(かげつな)が提案する。

「長期戦になることを見越して、また後方を(やく)する目的も合わせまして、ここいらに城を築いてはいかがでしょう? 城をもって徹底攻略の意志を表せば、七尾城や近隣に対して威嚇(いかく)の効果も出せましょう」

 謙信は少し考えたが、

「ふむ。調べでは七尾城内は一枚岩というわけでもないようだ。威を示すことで、内部に隙を生み出すこともできるかもしれんな。やってみるか」

 景綱の言を(りょう)とした。

 ひと月のうちに景綱の企図した城、石動山(せきどうさん)城は完成し、上杉軍はそこを拠点に攻撃を繰り返した。だが謙信が狙ったほどの効果は得られず、また密かに進めていた内部工作もまだ実を結ばず、七尾城に対する攻略の糸口は掴めないままに越年することとなった。

 そして翌年(一五七七年)三月、さすがに消耗覚悟の総力戦に踏み切ろうかと苦慮していた謙信の下に、春日山(かすがやま)城からの急使が到着するのである。

北条(ほうじょう)氏政(うじまさ)が関東から上野(こうずけ)に進軍してきただと!」

 急使からの書簡を握り締め、謙信は忌々しそうに吐き捨てた。あと一歩で能登国を手中に収めることができたというのに、ここで引き返さなくてはならんとは……。だが悩んでいる暇はない。謙信は総退却の指示を家臣たちに与えた。

「総退却なさるのですか? 折角手に入れた諸城を、むざむざ敵に奪い返されてしまいますぞ。幾分かの戦力を残すべきではございませんか」

「大して苦労したわけではない。奪われたら、また更に奪い取ればいいだけのこと。それに敵は目の前だけではない。すぐ隣に獰猛(どうもう)な虎が控えていることを忘れるな。残した戦力で下手に戦を続ければ、越前から織田軍がしゃしゃり出てくるわ。それこそ戦力をむざむざ浪費することになるというものよ」

 こうして七尾城攻めは一旦中断され、謙信は各城に僅かな手勢を残したのみで越後に引き上げていった。これが第一次七尾城攻めである。指摘された通り、畠山軍によって能登国の諸城は次々に奪い返されていった。

「見よ! やはりこの七尾城は難攻不落。謙信といえど攻めきれずに引き上げおったわ。いかなる猛威であろうと、この城を落とすことなどできんのだ。分かったか!」

 長続連が誇らしげに家臣達に威張り散らす。傍らでは、遊佐続光が悔しさに歯ぎしりしつつどうにか沈黙を保っている。

「これで我らの去就もはっきりしたわ。これまでよりも一層織田家と交誼(こうぎ)を結び、北陸一帯に畠山家の勢力を拡げるのじゃ!」

 城内には続連の高らかな笑い声が響き渡っていた。



 だがこの中断は、本当に一旦でしかなかった。越後に帰還した謙信はすぐさま軍を整え直すと上野に進軍し、たった一戦の下に北条軍を蹴散らした。これには上杉謙信来るという報を受け、進退定まらなかった上野(こうずけ)国人(こくじん)(しゅう)が謙信に付き従ったことも大きく影響した。北条氏政はまだ機が熟せずと悟ると、早々に軍を引き返したのである。

 そして同年閏(うるう)七月、謙信は再び能登国に侵攻してきた。第二次七尾城攻めの始まりである。続連は大いに驚いた。まさかその年のうちに二度軍を動かしてこようとは……。考えようによってはとんでもない暴挙である。

 続連は直ちに諸城を放棄し七尾城に立て篭もった。また引き上げる際、自国の領民に徹底抗戦を呼びかけ、兵力の増強を図った。そしてそれらを七尾城に詰め込んだ結果、篭城する兵は一万五千に膨れ上がった。

「また貝のように閉じこもったか。前回の篭城で味を占めたかな」

 謙信は苦笑しつつ独語した。なお、腹心であった直江景綱は、越後に引き上げた直後に病没している。謙信は有能多才な重臣の死を大変惜しみ、特に手厚く葬ったのであった。

「さて、前回と同じ(てつ)を踏むわけにはいかんな。かといって敵の士気も盛んな今の段階で総攻撃をかけるのは下策。やはり内より崩れるよう策を弄するしかないか」

 謙信とて退却してから、七尾城に対して手をこまねいていたわけではない。一度目の包囲から行っていた内部工作は、退却した後も秘密裡に行われていたのである。そして遊佐続光と連絡を取り合うことに成功し、あとは具体的にどう事を起こすか機をうかがうまでになっていた。

「折角掴んだ糸口だ。最大限に活かす工夫をせねばならんが……」

 ところが、その機は意外な形で謙信の下に訪れた。上杉軍にとっては真に幸運なことで、そして畠山軍にとっては想定外のとんだ災厄である。急遽(きゅうきょ)詰め込んだ領民の影響かどうかは分からない。七尾城内に、疫病(えきびょう)蔓延(まんえん)し始めたのである。

「こ、このような時に流行り病とは……。何か打つ手はないのか」

 続連の指示により、病に侵された者は生者、死者問わずに詰所(つめしょ)に隔離されたが、狭い城内に大軍で篭城しているのである。たちどころに被害は拡大し、死者の数は増える一方となった。そしてこともあろうに当主畠山春王丸までもが病に侵され、そのまま没してしまったのである。

「春王丸様までが亡くなってしまわれた。これで一体どうやって上杉軍に立ち向かうのじゃ。最早事は決した。今すぐ降伏の使者を送るべきじゃ!」

 遊佐続光が声高に叫ぶ。窮地に立たされた続連は、自分の息子で春王丸の後見人であった(ちょう)綱連(つなつら)を城代に当て、指揮を執らせた。この長綱連は、一度目の七尾城防衛において積極的に上杉軍の後方をおびやかし、またこの二度目の篭城に際しても、七尾城に引き上げる最中に襲い掛かってきた敵軍を見事撃退し、味方の士気を大いに高めた武将であった。

 更に続連は、もう一人の息子 (ちょう)連龍(つらたつ)に織田家の援軍を要請するため、安土(あづち)城に向かうよう命じた。連龍は僅かな側近と共に夜陰に乗じて上杉軍の包囲をくぐり抜け、安土城目指して一路駆け抜けていった。

 これでなんとか打開を計った続連であったが、疫病は治まる気配をみせず、将兵は眼前の敵よりも見えない死の影に怯えなければならないため、一向に士気が上がらない。

 更には、いかに傀儡とはいえ、彼らは畠山家に仕えてこれまで戦ってきたのである。当主不在のこの状況で、一体何のために戦うのかという疑念を持つ者も少なくなかった。

 これらの要因により、城内は厭戦(えんせん)の空気がどんどん広がっていった。長綱連の必死の鼓舞もそれほどの効果は得られず、逆にこの長父子が畠山家を乗っ取ろうとしているのではないかという猜疑の目を向ける者まで現れだしたのである。

「こうなっては織田の援軍だけが頼りじゃ。それまでは是が非でも持ち堪えねばならん」

 このような城内の挙動や雰囲気を、間者からの報告や様子見の攻撃を繰り返しながら、謙信は冷静に観察していた。無論謙信の頭の中には織田の援軍が来ることも入っており、それが到着するまでに片をつけたいところであった。

「織田軍がすぐさまこちらに到着できぬよう、一つ手を打ってはあるが……。あまり悠長(ゆうちょう)に機が熟すのを待ってもおれんな。そろそろ動き出すとしよう」

 謙信は傍らに控えた家臣に間者を呼んでこさせ、用意しておいた書簡を遊佐続光に渡すよう命じた。八月半ばのことであった。



 上杉謙信による第一次、第二次七尾城攻めについて、そのどちらもある程度の情報は柴田勝家の下に入っていた。だが織田軍は動かなかった。動けなかったのである。

 勝家は第一次の折から再三安土城に使者を送り、謙信が能登国に侵攻したが苦戦していること、畠山家と連携して謙信を挟撃すべきことを信長に訴えたが、返答は常に「動くことあたわず」であった。

 実際、この時期の信長は石山本願寺との対立を激化させ、本願寺に大量の物資、兵員を送り込んでいる中国の毛利家、紀州(きしゅう)雑賀(さいが)(しゅう)に兵力を傾けていた。どちらも苦戦、激戦を強いられ、北陸に目を向ける余力はなかったのである。それでも勝家は越前の兵力のみでも動かすことを要請したのだが、許可は下りなかった。

「今こそが絶好の機だというのに。一体何のために畠山を我が織田方につけていたというのだ。この機を活かさずして、戦略も戦術もあったものではないわ!」

 怒りに声を張り上げる。勝家は、畠山勢だけで上杉軍を完全に追い払うことができるなどという、蜜漬けの幻想は抱いていなかった。そもそも篭城とは、外部に呼応する味方がいて初めて功を奏するものである。第一次では、呼応したわけではないが北条氏政の上野進出があった。あの時に織田軍が参戦できていれば……。

 そしてこたびの第二次である。もう我が織田軍以外の援軍は望めぬ。対岸の火事と静観を決め込めば必ず七尾城は陥落するであろうし、更には余勢を駆って謙信がこの越前国に押し寄せてくるかもしれない。顕如が謙信と手を結んだ今、一向宗の勢力が強い加賀国はほぼ素通りされてしまうからである。だがさすがに勝家の独断で軍を動かすわけにもいかない。焦りは募るばかりであった。

 こうした中、八月になって長連龍が安土城に到着し、信長に直に援軍を乞うた。ここに至ってついに信長は能登国への進軍を決意し、柴田勝家を総大将に滝川(たきがわ)一益(かずます)羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)府中(ふちゅう)三人衆(前田利家、佐々成政、不破光治)ら家中選()りすぐりの将と兵一万八千を第一陣とし、自身も三万の兵をもって第二陣とすることを家臣団に告げた。

 ただ、決意してもそれだけの大軍を揃えるのには時間がかかる。勝家の下に第一陣の将兵が参集し、武器や兵糧などの物資が揃うまでおよそ一週間が費やされた。



 この能登国への進軍が発令された時、羽柴秀吉は中国遠征のため播磨国(はりまのくに)姫路(ひめじ)城に到着したばかりであった。下命に対しすぐさま越前国に赴くよう使者に返事しておきながら、秀吉は奥の間に引っ込むと一人座して考え込みだした。そこへ軍師の竹中(たけなか)重治(しげはる)半兵衛(はんべえ))が一礼して正対する。

「ご準備なさらなくてよろしいのですか」

「……半兵衛、こたびの戦どう思う」

「戦の趨勢(すうせい)に関してみれば、御味方の旗色が非常に悪うござりますな」

「うむ、右府様には右府様のお考えがあろうが、あまりに時が遅すぎた。今から援軍を送ったところで、良くて上杉軍と正面決戦。悪くすれば虎口(ここう)に飛び込むだけじゃ」

「殿が参陣なされば、御味方を勝利に導くことも叶うかもしれませんぞ」

「あれは駄目じゃ。あれは強すぎる。戦を始める前に権謀(けんぼう)術数(じゅっすう)の限りを尽くして、それでようやく対等になれるかどうかという相手じゃ。空手で向かっていっても到底勝てん」

「すると、殿はこの戦、織田軍の負けと?」

「柴田殿は織田家随一の猛将、『(おに)柴田(しばた)』の異名に偽りはない。だが敵は謙信、『軍神』と呼ばれる男じゃぞ。いかに鬼が強いとて、神には勝てぬであろうが」

 冗談めかしているが、秀吉の気の重さが半兵衛には十分伝わってくる。

「とはいえ、ご下命を無視してここで静観を決め込むわけにもいかんしのぉ。頭が痛いわい」

「それでは、こうしてはいかがでしょう。越前には行くだけ行って、柴田殿とは常に対立する立場をとるのです。そして陣中で喧嘩(けんか)別れして、さっさと戻ってくればよかろうと存じます」

「存じますではないわ。それではご下命に背くも同然ではないか。下手をすれば切腹もんじゃぞ」

「越前まで行くことで名分は果たしておりますから、背いたとはみなされますまい。それに、殿はこの戦では客将の身。引き返したとて柴田殿の軍が減るわけでもございませぬ」

「確かに、そう言われればそうじゃがの。……いや、うむ、そうじゃな。一時は右府様のご不興を買うことになろうが、勝てぬ戦に精を出すよりはいいじゃろ。よし、半兵衛の言う通りにしよう。そうと決まれば支度じゃ。すぐに出るぞ!」

 こうして秀吉は出立し、越前国で勝家の指揮下に入った。そして進軍を開始するが早々、陣中で勝家と衝突したのである。

「柴田殿はいち早く七尾城まで進軍して、畠山軍と連携して挟撃すべきなどとおっしゃるが、相手はあの戦の天才上杉謙信。そう易々と成功させてくれるとはとても思えん。それに、一度も共闘したことのない畠山軍と、どうやってうまく連携など取れましょうか」

「戦とは臨機応変に行うもの。挟撃はなにも計った上でやらずともよい。結果として敵を挟む形に持ち込めればよいのだ。それよりも、まだ見もしない謙信の影に怯えて進軍を遅らせれば、挟撃そのものができなくなってしまうのだぞ」

「遅らせようとして申しているのではござらん。謙信相手に用心するにこしたことはないと申しているまで。戦に臨むからには、お味方が苦戦した時のことも考えて策を定めるべきではござらんか」

「最初から負けることを考えていて戦に挑めるか!」

 このような調子で、秀吉は陣立てや兵科の構成についてまでも事あるごとに勝家に反論し、周りの将たちの執り成しも聞かず、ついに自分の手勢を従えて陣払いを始めたのである。将の揉め事は士気の乱れに通じると心配した盛政が勝家に注意を促したが、

「構わん。このままでは一つの軍に大将が二人いるようなものだ。そのほうがよっぽど害を及ぼすわ。それに今回奴は客将の身で一軍を率いているわけではない。引き揚げたところで大して兵力が減るわけでもないわ」

 秀吉が去ったところで勝家はいよいよ進軍の速度を上げ、加賀国に差し掛かった。ところがここで思わぬ抵抗が待ち受けていた。一向一揆である。

 加賀南部は織田家の勢力下にあったため、大きな足止めは受けまいと勝家は考えていたのだが、事実はその反対となってしまった。しかも一向衆は決まった拠点に固まろうとはせず、進軍を続けようとする織田軍を執拗に攻撃し、不利を悟るとすぐさま退却する戦い方をとったのである。

 これには勝家も有効な対策を打てず、敵が見えれば迅速に隊を整えて迎え撃ち、追い払って対処するしかなかった。この遊撃戦法を繰り返されたことにより、被害はそれほど大きくはないものの織田軍は大幅に速度を落とすはめになり、多大な時間が消費された。

 そしてこれこそが、謙信が打った手だったのである。謙信は顕如に使者を飛ばし、加賀国の一向衆によって織田軍を足止めさせることを確約させたのであった。

 このような妨害の結果、織田軍がようやく加賀国と能登国の境に近い手取川(てとりがわ)を渡河したのは九月十八日のことであった。およそ丸一日かかって渡河を終え、ひとまず兵に休息を言い渡して勝家たちは軍議を開いた。

「伯父上、数日前より上杉軍に忍ばせている間者からの報告がございません。もう少し情報を集めてから進んだほうがよろしいのではございませんか」

「盛政、お主の言うことも一理ある。だがここで足踏みしていてはいよいよ援軍に間に合わなくなるかもしれん。加賀で遅れた分を取り戻すためにも、ここは進軍あるのみだ」

 勝家は改めてここから急ぐことを命じ、その他陣形、兵の配置、連絡方法などをより具体的に取り決め、戦場に到着し次第すぐ開戦できる準備を整えておいて、足早に進軍を再開する運びとなった。

 ところが、勝家が手取川を渡河した十八日には、七尾城は既に陥落していたのである。



 八月半ば、謙信から送られてきた書簡を読んだ遊佐続光は戦慄(せんりつ)した。

「九月十五日までに門を開かぬ場合は全軍をもって総攻撃を行い、城を焼き払う。降伏は許されんと覚悟されるべし」

 続光は心を同じくする温井(ぬくい)景隆(かげたか)三宅(みやけ)長盛(ながもり)らと協議し、城内から事を起こす準備を急いだ。そして期日も差し迫った九月十三日、謙信の手元に続光から準備が整った旨の書簡が届いた。

「一両日中に城内より狼煙(のろし)を上げて門が開いたことをお知らせいたす」

 目を通した謙信はかすかに含み笑いし、すぐに家臣を呼びつけ命じた。

「今日より部隊間の連絡を取る際の合言葉を変えよ。今日中に各将に徹底させ、間違えた者はその場で斬り捨てい」

 謙信は織田軍に間者を潜らせ、その動向を常に把握している。一方で上杉軍にも勿論のこと織田方の間者が出入りしている。謙信は城があと二日以内で落ちる運びとなった今、それ以降の情報を織田軍に与えないようにしたのである。

 いずれは合言葉も漏れるであろうが、数日稼げれば十分であった。戦において、敵方の情報をどちらがより多く掴んでいるか。それが勝敗を分ける重要な鍵であることを、謙信は常人をはるかに超えた領域で認識していた。

 そして九月十五日の夜、ついに事は起こった。遊佐続光、温井景隆を筆頭とする五百余人が城内に討ち入ったのである。彼らは一路本丸を目指し、さしたる抵抗も受けず長続連、綱連父子が居座る広間に着いた。城兵は既に気力、体力共底を突こうとしていたのである。多数の白刃を目の前にして、続連は彼らが押し込んできた目的をすぐに理解した。だが、さすがにこの父子は怯む色を見せなかった。

「おのれ続光、今この時点で敵方に降ってなんとするのだ! 何もかも奪い取られて追放されるか切腹させられるのが落ちだぞ!」

「黙れ! そもそも被害が拡大せんうちに再三降伏を呼びかけたのに、事ここに至るまで抗戦していたのはお前らではないか! 降伏した後は問題ない。ちゃんと謙信からこの国を任される承認は得ておるわ。彼は信義の人だからな、約束を反故(ほご)にはすまい」

「信義の人だと……。愚か者め、信義などこの乱世にあるものか」

「あるかないかは冥府(めいふ)で判断されるがよかろう。もうあまり時間はないのじゃ。者ども、やれいっ!」

 綱連が刀を抜いて父を守ろうと立ちはだかる。だが、戦場において勇猛で知られる彼も、室内で自分一人目がけて突き出される無数の槍に抗する術はなかった。綱連は本来の武勇の才を発揮する間もなく討ち取られ、すぐさま父が後を追った。続光が叫ぶ。

「この本丸に立て篭もる長一族、およびその側近どもを皆殺しにしろ! 数名はわしに続け。狼煙を上げさせにいく」

 まもなく城中からかがり火に照らされた白煙が昇っていくのを上杉軍が発見し、直ちに謙信に知らせた。

「よし、策は成った。全軍表門より城内に突入せよ!」

 上杉軍が城内に押し寄せても、抵抗らしい抵抗はほとんどなかった。本丸では続連、綱連父子の首級を前に、続光が平伏していた。

「城内の長一族、ことごとく討ち果たし、上杉殿に逆らう者はおりませぬ。ただ、長連龍だけは織田に援軍の使者に向かっておりますゆえ、討つことは叶いませんでした」

「よい。別に長一族を根絶やしにする戦いではないのだ。城が手に入ればそれでいい。続光、約束通りこの城はそなた達に任せる。まずは傷病者の手当てにかかるがよい。わしはこのまま南下する」

「ははっ。ありがたき所存」

 続光は自分の選択が正しかったのを悟り、思わずこぼれそうになる笑みを隠すため、必要以上に畳に額を擦り付けるのであった。こうして一年近くに及ぶ七尾城の戦いは幕を閉じ、謙信は能登国をその手中に収めることができたのであった。

 しかし謙信に感慨にふける余裕はない。翌日には軍監(ぐんかん)を七尾城に置き、後処理や政務を続光らに任せ、軍をまとめ直して南下した。目指すは手取川のすぐ北に位置する松任(まっとう)城である。謙信はここを拠点に織田軍と激突するつもりであった。

 九月十八日、松任城を視野に収めるとすぐさま攻撃の指示が出された。だがこの城も堅固で、なかなか力攻めでは落とせそうにない。拠点としての活用を急いだ謙信は、城主 鏑木(かぶらぎ)頼信(よりのぶ)に所領安堵による和睦を申し入れた。

 この松任城は一向一揆の拠点であり、顕如より通達もあったため、鏑木頼信は自分の命が保障されるとあっさりと開城した。これにより謙信は織田軍を攻める橋頭堡(きょうとうほ)を確保したのである。九月二十日のことであった。



 九月二二日、雨が降りしきる中、織田軍は手取川からほど近い加州(かしゅう)水島(みずしま)に陣を張っていた。盛政のみならず、他の武将からも敵軍の情報が得られない状態で進むのは危険だという声が上がったため、新たに間者を数名派遣して、様子を見ることとなったのである。

 いち早く戦場に赴きたい勝家であったが、居並ぶ諸将は信長直属の重臣であり彼の家臣ではない。強制するのは不可能であった。また、確かに勝家も間者が戻ってこない事態に不審を抱いていたのである。もしや……、という嫌な予想が頭を埋める。その予想が声となって勝家の耳に入ったのは、翌二三日朝のことであった。

「七尾城は既に陥落し、上杉軍の支配下に置かれております! 長一族は皆殺しになった模様」

 やはりそうか……。勝家は苦渋に顔を歪め、それでもなんとか平静を保とうとした。しかし、次の報告でその努力は意識の彼方に消し飛んだ。

「なお、謙信率いる上杉軍二万は松任城に入っております」

「な、なんだと!」

 勝家はあまりの驚愕のため思わず立ち上がり、驚く間者を睨みつけた。

「謙信が、目と鼻の先の松任城にいるというのか……」

 これは勝家の予測を超えていた。謙信は七尾城を落としただけで満足せず、この織田軍を撃破しようというのである。そして、今は十分それが行われる最悪の状況下にあった。

「いかん! 全軍直ちに反転し、手取川を渡河せよ! 上杉軍が襲い掛かってくるぞ」

 ここで異を唱えたのは佐々成政であった。

「上杉軍は二万、こちらは一万八千、数においてはほぼ互角。奴らが襲い掛かってくるというのであれば、ここに陣を敷き、馬防柵(ばぼうさく)を作って対峙すればよろしいではございませんか。二年前の設楽(したらがはら)ヶ原(長篠(ながしの)の戦い)と同じように大打撃を与えてやりましょう」

「ならん! あの時は鉄砲が使えた。鉄砲の一斉射撃により、武田軍が誇る騎馬隊を混乱させることができたのが大きな勝因だった。だが今を見よ。この雨の中で鉄砲が役に立つか。必ず正面からのぶつかり合いになる。それに、我らのすぐ後ろは手取川だ。川を背に陣を敷いて上杉軍と決戦するつもりか!」

 成政は不満顔になったが、勝家の言に納得せざるを得なく渋々引っ込み、他の武将もこれで己の窮地を十分に理解した。

「分かったら各々部隊を動かして川を渡るのだ。事は一刻を争うぞ」

「伯父上!」

 勢いよく立ち上がったのは盛政である。勝家が尋ねるより早く、盛政は自身の要望を発した。

「引き揚げるにあたり、殿(しんがり)をこの盛政にお任せ頂きたい」

「本気か盛政。上杉軍が襲い掛かってくれば、お主の部隊のみで敵に当たらねばならんのだぞ。川を渡っている最中に味方は送れん。下手をすれば見殺しにされかねんぞ」

「さればでござります、伯父上。ここに居並ぶ諸将はいずれも織田家になくてはならぬ重責の身。どなたを失う訳にも参りませぬ。更にはこの戦において、ご一同は客将でござる。こたびの戦、先に言われた通り戦う前から勝敗はついており、我らの負けは(いな)みようがありません。ならばその敗戦の責を全うするのは、大将直属の家臣である拙者を置いて他におりませぬ!」

「うむ、よく言った盛政。その覚悟があるなら止めはせん。特に精鋭三千を選んでお主に与えよう。殿は任せたぞ」

 ただし、一万八千の大軍が一斉に渡河するのである。盛政が後方を防ぐといっても、軍の全域を補えるわけではない。各将とも脳裏をよぎる苦戦の影に、顔を強張らせていた。

 そんな中、緊張の色を欠片(かけら)も出さずに軍議に聞き入っている者が一人、いや一匹いた。本陣すぐ傍の木の枝から見下ろしている白猫、トラである。トラは今回の戦もしっかり参加している虎姫から、軍議の内容を聞いてくるよう仰せつかったのであった。

「トチガミさん、何で川が後ろにあるだけで、戦わずに引き揚げちゃうんですか」

“アナタ、『背水の陣』っていうことわざ知ってますか”

「えっと、なんか追い詰められた時に必死で頑張ろうって感じの言葉ですよね」

“……まぁ、そんなところです。このことわざの水というのは川のことで、川を背にして陣を敷く、ということを表しているんですよ”

「へー、そうなんですか」

“つまり、川を背にするというのは、それだけ不利な状況であるということです。なぜなら後方で部隊を展開させるのも困難になりますし、敵の攻勢に押し込まれた場合に、兵が流されて一気に壊滅してしまう恐れもありますからね。あえてそういう状況にすることで兵に決死の覚悟で戦わせた、という中国の故事からきているのですよ”

「じゃあ今回もそういう戦い方すればいいんじゃないですか」

“今回は駄目でしょうねきっと。その故事にある戦も、別働隊が敵の後方に回り込めばこそ成功したんですから。ただやみくもに正面で戦っても勝ち目はほとんどありません。まして相手はあの上杉謙信……”

「あ、それとシンガリって何ですか。なんか大変そうなこと言われてましたけど」

“殿というのは今回のように軍が引き揚げる際、一番後ろにいて敵襲に備え、迎え撃つ部隊のことです。当然一番の激戦になりますから、それは大変ですよ”

「ええっ! それを盛政様が志願しちゃったんですか。そ、そんな役目引き受けたら死んじゃうかもしれないじゃないですか。虎姫様も」

“大変だからこそ志願したのです。そういうお方なのですよ。無論死は覚悟しておいでです”

「は、早く虎姫様にお知らせしないと」

 トラの話を聞いた虎姫は最初大いに落胆した。

「そうか、退却するのか。折角ここまで来たのにのぉ」

「そ、それでですね、盛政様が殿に志願しまして、敵を迎え撃つことになってしまいました」

 途端に虎姫の目が輝いた。

「何、とーちゃんが殿軍(でんぐん)! じゃあ敵と戦えるではないか。やった!」

「よくありませんよ。一番の激戦になるんですよ。死ぬかもしれませんよ」

「死んだら死んだ時のことじゃ。己を高めるために戦うほうが大事!」

「死んだら高めようもないじゃないですか」

「名が高まるよう、そして相手の名を高めるよう死ぬつもりじゃ。天晴れ佐久間盛政の子としてな」

 程なくして盛政が帰ってきた。すぐに虎姫が駆け寄る。

「とーちゃん、殿軍を務めるんだって。やったね!」

「こら、またアヤカシを使って軍議を盗み聞きしおったな。仕様がないやつだ。兵に内容を漏らすなど、下手をすれば切腹ものだぞ」

「腹など切ってる場合じゃないよ。ようやく戦えるのに」

「ああ、この加賀を通っていた時は張り合いのない小競り合いばかりだったからな。ようやく腰を据えて戦えるぞ。それも相手は上杉謙信、相手に不足なし。いや、向こうに不足と思われぬよう、せいぜい奮迅せねばな! 命の一つや二つ、惜しんでられんぞ虎」

「勿論だ!」

 なんかすごい盛り上がってる……。この娘にしてこの父ありってことかな。トラは軽く嘆息した。盛政はすぐに側近を集め、味方がこれから越前に引き返すこと、手取川の渡河に際し自分の部隊に三千の兵が与えられ、殿軍として上杉軍を防ぐことを告げた。

「いいか、我らが奮戦すればするほど、敵の注意が集まって味方の被害が減るのだ。敵を防げばいいなどと考えるな。謙信を討ち取ってやるほどの気迫で臨むのだ!」

「おおーっ!」



 織田軍は二三日昼から渡河を開始した。だがここ数日の雨により手取川は増水しており、作業は難航した。最初に川を渡り始めたのは柴田勝家率いる五千の本隊である。これは率先して逃げ出したわけではなく、対岸に着いた時に敵の勢力、主に加賀の一向衆が待ち構えていることを想定しての行動であり、勝家自身でその露払いをやってのけるつもりであった。

「盛政が殿(しんがり)で責を全うするというのだ。大将たるわしがこれぐらいやらずして何としようぞ」

 勝家の本隊が川の中ほどまで進むと、後続の武将たちが渡河を始めた。辺りは暗闇に包まれようとしていた。

 謙信は二三日昼には軍勢を率いて松任城を出て、待機指示を出していた。織田軍の動きは手に取るように分かる。

「まだだ、まだ動くな。半数以上が川に入るまでは待つのだ。敵に決死の覚悟を取らせてはならん。退路に望みを繋がせてこそ、奇襲の効果は上がるものだ」

 謙信が間者からの報告を受け、全軍に進撃命令を出したのは完全に夜になってからであった。報告の中に、織田軍の一部隊が殿軍として岸に構えていることも含まれていた。

「殿を買って出る者がいたか。さすがは勇将揃いの織田軍よ。よかろう、騎馬を主軸とする本隊五千はわしに続け! 殿軍目掛けて突っ込むのだ。残りは後に続き、陣形を拡げて川を包み、渡河する織田軍に斉射を行え!」

 謙信は殿軍が控えていると見るや、自分の本隊のみでそれと抗戦し、他の部隊は奇襲のみに専念できるよう指示したのである。このあたりの兵の操り方は勝家、盛政よりも謙信のほうが一枚上であった。もちろんこの指示には、自分自身が指揮を執る本隊が負けるという可能性は微塵も含まれていない。

 真夜中になって、ついに織田軍と上杉軍は激突した。盛政は、最初この殿軍のみに向かってまっしぐらに突っ込んでくる騎馬隊にやや狼狽したが、すぐ状況を理解し、逆に戦闘意欲が身中から湧き上がってきた。

「なるほど、こちらの動きを封じるために敵も部隊を投入したか。さすがは謙信、詰めがしっかりしておるわ。ならば、これを打ち崩して奴の算術を誤らせてやろう!」

 盛政のほうも突撃を指示した。敵の騎馬と味方の騎馬がぶつかり合い、一瞬にして川岸は狂騒に満たされた。混戦にならぬよう的確に指示を出していた盛政は、敵の旗印に毘沙門天の文字を見出すと文字通り驚喜した。

「なんと、謙信自身が突っ込んできているのか! 重ね重ね恐ろしい男よ。よし、周りの騎馬はわしに続け! 虎、わしから離れず付いて来るがいい。この乱世で最強を(うた)われる武将に会わせてやろう」

「分かったとーちゃん! 相手に不足かどうか、しっかり見極めてもらいに行かないとね!」

「ひいぃ、あああ、危ないですよぉ」

「トラも虎ととーちゃんの武勇、きっちり見届けるのじゃぞ!」

 盛政と虎姫を先頭に数十騎が続き、敵軍中央目指して突撃を開始した。上杉軍の精鋭部隊も、この二人には傷一つ付けることができず次々と斬り伏せられていく。進むこと数百歩。敵軍前衛にまで到達した盛政は、前方にひときわ威風堂々とした人影を発見した。それは乱刃の中にありながら体勢を崩すことなく、時に刀を振るい、時に伝令へ指示を出して兵を細かく動かしていた。盛政は、彼こそが上杉謙信であることを確信した。それにしても……。

「我が方の攻撃が、ことごとく謙信の体を避けておる」

 ように盛政には見えた。謙信はその場からほとんど動いていない。にも関わらず、足軽から繰り出される槍、走り抜けざまに騎馬から振るわれる刀は、全て謙信をわざと外すかのごとく空を切るのである。まるで見えない妖気が謙信を包み、そこを這う槍や刀を滑らせているかのようであった。

「なんと凄まじき男よ。これが『軍神』と呼ばれる所以(ゆえん)か」

 今夜だけで何度感嘆したか分からない。盛政は改めて刀を握り締めると虎姫に言った。

「虎、あの男こそが上杉謙信だ。奴を討ち取ればこの戦は終わる。命など惜しんで遅れるでないぞ!」

「謙信の首はこの虎が取る!」

 盛政らは謙信向かって駆け出した。しかし主君の危機と見るや、すぐ近くの敵騎馬隊が謙信を囲む。両騎馬隊が衝突した。だがその直後、盛政と虎姫はそれを突き抜けて謙信の目の前に到達した。

「謙信、覚悟!」

「ほう、名のある武将のようだな」

「わしは佐久間 玄蕃允(げんばいん)盛政。上杉謙信、その首貰い受ける!」

「我はその娘虎姫。謙信覚悟!」

「おお、そちが鬼玄蕃か。名は越後にまで届いているぞ。なるほど豪傑だな。それにしても……、虎姫であったか、娘を連れて敵に突っ込むとは、なかなか酔狂なことをするものだ」

「その酔狂が振るう刀に、お前の兵も道を譲っていたぞ」

「ほほう、(とび)(たか)を生むという言葉があるが、鷹からまさに虎が生まれたというわけか。行く末が楽しみだな。まぁ、生きて帰ることができればであるが」

「生きて帰ろうとは今のところ考えておらぬ。それではそろそろ行くぞ、虎!」

「おう!」

 盛政と虎姫から同時に刀が振り下ろされる。鉄の重さをもつ二本の閃光。下手に受け止めれば刀が砕け、そのまま致命傷を受けることは間違いない。しかし……。

 キイィンッ!

 高い金属音と共に盛政の刀は謙信のすぐ横を走り、虎姫の刀は宙を舞っていた。謙信は横一文字に刀を振り、盛政の太刀の軌道を変え、そのままの勢いで虎姫の刀の(つば)元に当て、刀を弾き飛ばしたのである。恐るべき神技であった。一瞬呆然とする虎姫。だが謙信は虎姫に対して二の太刀を入れず、姿勢を戻して盛政に向き直った。

「さすがは名高き鬼玄蕃。剛剣よ」

「くっ、恐るべき太刀筋。虎、下がっておれ。わし一人で討ち取る!」

 我に返った虎姫は悔しそうに唇を噛み締めながら、馬を三歩後退させた。再び盛政から刀が繰り出される。謙信は冷静に受け流す。暴風のような連撃を、謙信は僅かに体を傾け、刀を合わせるだけで外させ、一瞬に満たない僅かな隙に盛政向かって刀を突き入れる。かろうじてそれを弾くと再び暴風となって襲い掛かる。だが全て流される。また一撃が突き込まれ、必死にかわす。

 虎姫の見る限り、手数は圧倒的に盛政のほうが上で、五撃繰り出す度に謙信が一撃返すといった打ち合いを繰り返している。なのに押し込まれ、劣勢に立たされているのは盛政であった。何十合打ったであろうか。気づけばすぐ回りにいる敵味方は、全て手を止めて二人の戦いに見入ってしまっている。謙信は相変わらず冷静で、盛政には焦りが見え始めていた。そしてついに、

「とーちゃん!」

 盛政の右脇から鮮血が散る。それほどの深手ではないが、連撃を振るうことは不可能となってしまった。

「勝負は決したな。どうする、まだ向かってくるか」

「こうなれば己の体を武器とし、刺し違えてくれるわ!」

 盛政が捨て身の突撃を決意し、謙信が正眼に構え直したその時、謙信側の家臣が駆け込んできて報告を入れた。

「お味方の軍勢、全て岸に配置し弓による斉射を始めました! 敵のほとんどは算を乱して逃げております」

「そうか、これで奇襲は成ったな。では我が本隊は後ろに下がるとしようか」

「このまま敵の殿軍に突撃を仕掛けぬのですか」

「馬鹿な。殿(しんがり)は決死で挑んでくるもの。最早この戦は勝ったのだ。勝ち戦を作り上げながらわざわざ被害を増やしてどうする。遠方からの斉射のみで十分だ」

「ははっ、かしこまりました」

 家臣は一礼すると後退の合図を出すため走っていった。まさか謙信の目の前にいる武将が、敵の殿軍の指揮官だとは思わなかったであろう。

「というわけで、予は後退する。お主達も自陣に戻り、壊滅せぬうちに川を渡るがよかろう」

「待て、謙信! お主はこの命と引き換えにしてもわしが討ち取る!」

「愚か者!」

 二人が対峙してから初めて、謙信が激昂(げっこう)した。

「お主は武将の責を何と心得る! 自分の持つ兵のことを考え、兵からの信を得ねば、武将として成り立つものではないわ。傷ついたお主の力で予が討てるか。こやつらに阻まれて討死するのが落ちだ。将がいなくなって残された兵はどうなる。虚しく戦って全滅するしかなくなるのだぞ。こうして勝敗が決した以上、いかに被害を抑えるかを考えるのが将の務めであろう」

 盛政は無念に体を震わせながらしばらく沈黙していたが、やがて静かに声を発した。

「敵であるお主に武将の在り方を教えられるとは、真に赤面の至り。だが言われる通りだ。この上恥を重ねることはできぬ。軍をまとめて退却しよう」

「そうするがいい。我が部隊はお主達を追わん。今ならまだ軍を整えたまま退くことができよう」

「命を永らえさせてもらって言う言葉ではないのだが……。謙信! この借りはいつか必ず返させてもらうからな!」

「はっはっは、よかろう。いずれ相対した時はまた返り討ちにしてくれるわ」

 それから謙信は虎姫に向き直った。

「虎姫、なかなかの剣撃であった。この上は父に付いて一層武を磨くがよい」

「この虎とてとーちゃんと同じ気持ち。謙信! この借りは必ず返す!」

「はっはっは、楽しみに待っておるぞ」

 笑いながら謙信は馬を返し、周りの兵と共に去っていった。盛政と虎姫、付いてきた騎馬達も反転し、急いで陣に戻る。戻るとすぐに退却を命じ、自分と虎姫は最後の最後まで岸を守って、追撃が来ないのを十分に確認してから川を渡っていった。

 上杉軍の奇襲により討死した者千余人、川に流された者千余人。二千を超す死者、更に多くの負傷者を出して、世に言う手取川の戦いは終わった。織田軍の惨敗であった。この戦いにより柴田勝家ら諸将、および後詰めに間に合うことなく引き返した織田信長は、「謙信恐るべし」という畏怖の念を改めて抱くのであった。

 敗軍をどうにかまとめ上げて勝家らは越前国への帰途についた。

「散々に負けちゃったね、とーちゃん」

「ああ、ものの見事に負けた。戦略、戦術、武勇においてまでも、何もかもわしは謙信に勝てなかったわ。武将としての器量も遠く及ばなかったしな。やはり奴こそ当代最強の男」

「悔しいね。どうやって借りを返してやろう」

「これでいよいよ謙信は上洛のため越前に攻め寄せてくるだろう。その時こそが借りを返す時。それまではひたすら修練だ。もっと鍛え上げるぞ虎」

「おお!」

「虎姫様、どんどん勇ましくなっていっちゃいそうですけど、いいんですかトチガミさん」

“もう、いいとも悪いとも言いかねます。でもあんなに活き活きとしているのですから、このまま見守っていきましょう”

 山々に囲まれた細い道を歩き続ける一万五千の兵。これだけ大勢の人がいるのに喧騒(けんそう)は一切聞こえない。どの顔も憔悴(しょうすい)の面を貼り付けながら、それでも隊列を乱すようなことはせず、織田軍は静かに引き揚げていくのであった。

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